中国の法律事情
トップ  > コラム&リポート 中国の法律事情 >  【21-003】新型コロナウイルス蔓延下の武漢小区での生活を法的に見る

【21-003】新型コロナウイルス蔓延下の武漢小区での生活を法的に見る

2021年02月18日

高橋孝治(たかはし こうじ)

略歴

立教大学アジア地域研究所 特任研究員。日本で修士課程修了後、都内社会保険労務士事務所に勤めるも中国法の魅力にとりつかれ、退職し渡中。北京にある中国政法大学 刑事司法学院 博士課程修了。法学博士。専門は比較法、中国法、台湾法、法社会学。中国の法律系国家資格「法律諮詢師」を外国人で初めて取得し、中国法研究の傍ら、中国法に関する執筆や講演、コンサルティングなども行っている。

郭晶『武漢封城日記』に描かれた小区の封鎖管理を素材に

中国では報道規制などで、なかなか全ての事件を知ることはできません。そこで、筆者は「ルポルタージュの中の中国と法」という分析手法を提唱しています。本記事は、コロナウイルス蔓延下の武漢での小区封鎖をルポルタージュである郭晶『武漢封城日記』を素材に分析するものです。

※[ ]は中国語原文を意味する

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19。以下「コロナ感染症」)の蔓延により、2020年1月23日に武漢市がロックアウトされたことは日本でも大きく報道されており、誰もが知るところでしょう。しかし、2月11日から武漢市内の小区も封鎖管理されていたことはご存知でしょうか。2020年2月11日に、武漢市新型肺炎予防指揮部[武漢市新冠肺炎疫情防控指揮部]が発布した「武漢市新型肺炎予防指揮部通告(第12号)[武漢市新冠肺炎疫情防控指揮部通告(第12号)]」がその根拠と言われています(以下、「12号通告」)。この12号通告には以下のように規定されています。

    市全域の新型肺炎予防は新たな段階に入り、より強くコントロールし、最大限まで人の動きを減らし、ウイルスの拡散を頑強に防止し、人民群衆の生命安全および身体健康を切実に保障するため、習近平総書記の「さらに自信を固め、さらに強い意思、さらに断固とした措置をもって、感染症から全体的に防御する人民戦争に必ず打ち勝つ」の指示の精神に基づいて、関連する法律、法規および重要な賛同すべき関連要求により、市内にある住宅である小区に対し封鎖管理を即日おこなうことを決定する。診察によって新型肺炎 の確定的患者もしくは患者となっている疑いのある者に対し居住している建物ごとに厳格な封鎖およびコントロールの管理をおこなうものとする。全市民からの積極的な支持をお願いする。封鎖管理を妨害する者に関しては社会各界が制止をし、必要があるときは公安機関は関連する法律、法規により強制措置を執らなければならない。

 なお、小区とは、中国に多く存在している団地などを入口が1つしかない壁で囲って一区切りにしている小さな空間のことで、日本語では「コミュニティー」と訳されることもあります。ところで、この12号通告では、「小区に対し封鎖管理をおこなう」としているのですが、12号通告が発布される前から各小区では自主的に封鎖管理がなされていました。しかし、その「封鎖管理」とは具体的にはどのようなものであったのか、残念ながらよく分からない部分があります。ここでは、郭晶『武漢封城日記』(台湾・聯經、2020。以下「本書」)148~308頁(同書は稲畑耕一郎氏による日本語訳が潮出版社から2020年に出版されており、当該訳書では150~307頁に相当)に描かれた小区封鎖を法的に分析してみましょう。

 いくつかの武漢市内の区や小区では、12号通告で示された「小区封鎖」をどのように具体的におこなうのかについてルールを定めたようですが、多くの住民はどのように「小区封鎖」がなされるのか、そもそも「小区封鎖」がなされるということすらあまり知らされていない状況でした(本書183頁。当該訳書186頁)。また、12号通告では、2月11日に「市内にある住宅である小区に対し封鎖管理を即日おこなうことを決定」としていたはずですが、本書183頁では2月15日から小区から出られなくなったとしています。

 本書192頁(当該訳書194頁)によれば、小区封鎖の方法は、小区の管理者が「居民臨時通行証」を発行し、その通行証に小区から出ることができる日が記載されているといいます。もっとも、居民臨時通行証は小区内で1人1枚配布されるのではなく、一家庭に1枚で、一家庭から1人だけ3日に1度小区の外に出られることになっていたといいます(本書192頁。当該訳書195頁)。まさに、小区という入口が1つしかなく、その入口に小区の管理事務所があることが多く、さらに入口に警察官などを配置できる小区だからこそできる封鎖方法と言えます。もっとも、17日にはそもそも小区の入口がバリケードでふさがれ、出入りすることすらできなくなったといいます(本書208頁。当該訳書209頁)。さて、このような小区から出られなくするという手法について、中国では法的にどのような評価を受けるのでしょう。

 中国の伝染病予防法[伝染病防治法](1989年2月21日公布、主席令第15号、同年9月1日施行。2013年6月29日最終改正、改正法施行)第43条第2項は、伝染病の暴発、流行時には、省や直轄市の人民政府は伝染病蔓延区で封鎖を実施することができると規定しています。しかし、この規定では省レベルでの決定が必要で、各小区が独自におこなえるものではありません。小区封鎖を法的に説明するには、やはり中国憲法の「移動の自由」に触れる必要がありそうです。

 中国憲法をよく読むと実は「移動の自由」について規定がありません。昔は移動の自由の規定があったのですが、いわゆる中国の戸籍制度が創設され、農民戸籍者は農村以外に居住できないとされたため、1975年に全面改正された憲法からは「移動の自由」が規定されていないのです。さらに、中国では憲法や法律に規定されていない権利は存在しないという前提があるため、「小区封鎖の法的根拠はなくても、そもそも市民に移動の自由を認めていないから自由に小区封鎖が可能」、これまで自由に移動していたのは、権利はないけど黙認していた状態で、いざとなれば移動の自由がないことを全面に出せるという論理となるのです。

 しかし、ここに問題もあります。繰り返しになりますが、12号通告は2月11日に発布されたにもかかわらず、本書では15日から小区封鎖されたとしています。本書152頁(訳書154頁)では、11日の段階では小区の入口に警備員はいたものの、出入りをとがめることはなかったといいます。このような12号通告とのズレについて、本書228頁(当該訳書230頁)では以下のように述べています。

「その友人は言う、『検問所を出入りするのに証明書を持っていない人もいるけど、そういう人に対しては、検問に当たる人がその場の実際の状況で出入りの可否を判断していて、どういう人なら良いかという具体的な基準は特にないの...』。規定だけあって明確な基準がない場合には、『人治』〔人、あるいは少数の人が公的な権力を握っているシステム〕に頼らざるをえない」

 これが市民レベルから見た中国の法の実際であり、本音なのでしょう。規定はあっても、基準が曖昧で現場の判断に依るところが多い、と。実際にそのような側面は大きいです。しかも、小区封鎖に至っては、憲法上「移動の自由」がないから小区封鎖ができたとしても、政府機関とは言い難い小区の管理者が「居民臨時通行証を発行し、誰にいつ移動の権利を付与できるか自由に決められる」ことにはやや違和感を禁じ得ません。武漢市のロックダウンのみならず、小区封鎖をしたことについては、コロナ感染症を急いで抑え込むための「正義」があったため目立ちませんでしたが、このように規定が曖昧に適用されるという中国法の実態を浮き彫りにしたと言えるかもしれません。

image

封鎖管理された小区の入口には防護服を着た監視役がおり、出入りをチェックしていた。


※本稿は『月刊中国ニュース』2021年3月号(Vol.109)より転載したものである。