中国の法律事情
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【21-007】コロナ禍で広がる2.5次元の法の世界

2021年08月25日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

「言葉の意義」を再考する

 コロナ禍の中で「新しい生活様式」に適応することが、様々な場面で求められています。例えば、人との接触を8割減らす、人との間隔をできるだけ2メートル空けるソーシャルディスタンスを意識する、症状がなくてもマスクを着用するといった一人ひとりの感染対策にはじまり、テレワークや時差通勤、オンライン会議やハイブリッド型授業の実施といった新しい働き方のスタイル1つをとって見ても例外はないと思われます。

 そして、このような最中に開催されたオリンピック東京2020は、私たちの法の進むべき道筋を、つまり「新しい生活様式」に適応した法の世界をどう切り開いてゆくかについてヒントを提供してくれました。それが「言葉の意義」にあると私は考えます。

 これまでの生活様式は人と人が面と向かって対峙し五感をフル活用して伝達し合う3次元を前提として「言葉」を活用してきました。そのため言葉は必ずしも美しく正確に使う必要はありませんでした。しかし、その前提が崩れる中で言葉を美しく正確に使う様を学べたり[1]、五感をフル活用できない中で伝達し合う2次元の中で吹き荒れる「言葉の暴力」とそれらに対する保護の様子を体験したりしました[2]。このように3次元における言葉と2次元における言葉の意義を比較する中で、実写版ピクトグラムは言葉の意義を「(強いて言うなら)無言の言葉」が言葉を含む多様な表現を高度に組み合わせて第六感による伝達を実現できる方向性を示していたように私には見て取れました[3]。いわば2.5次元を前提とする「言葉」が、それに適応する2.5次元の法の世界を促そうとしているのではないでしょうか。

 このような一連の流れを俯瞰してみると、新しい生活様式は、人の五感を使って伝達し合う従来の方法だけでなく、その一部を欠如させて伝達し合う現代に存在する様々な方法とが混沌と混在する状態を生み出していると言えます。そして、この新しい生活様式に適応する2.5次元の「言葉」が胎動する中で、どのように法は適応すべきか。2.5次元の法の世界はどのような法の世界となるのかを考察してみたいと思います。

2.5次元の労使関係から見えること

 私たちが生活する3次元の法の世界は、契約を例にとれば、私という自分と対面するあなた、あるいは彼・彼女という他人とが顔を合わせ、膝を突き合わせて何らかの合意に到達し、その合意した内容を遵守させる仕組みを随所に組み込むことによって存在します。一方、現代中国法における「合同 hétong」も、中国民法典の制定をめぐる研究会において中国社会科学院草案起草グループの渠涛先生が説明されたように、<相同じ2枚の文章を作り、其々1枚を収めて対照することの意味である>ということですから[4]、契約に関して基礎となる法的論理については日本法と現代中国法で一致すると言えるでしょう。ちなみに、中国において「契約」と「合同」という2つの単語が併存していること、そして、現在にいたる中で合同が契約に取って代わり、合同の1つの様式として契約があるとの整理が定着していることは最近の先行研究でも再確認されています[5]

 従来、法が無力であるにもかかわらず役に立つ理由は、この契約に関して基礎となる法的論理に求められてきました。契約すなわち五感を使って伝達し合う中で到達する合意=約束であるから<約束は守らなければならない>という人間社会の根本原理を反映する点にその法的論理があるとされてきたわけです。

 しかし、「新しい生活様式」への適応が画期となって、契約に関して基礎となる法的論理も前述の「約束」を「守らなければならない」という根本原理と結び付けるために、追加の論理で補強する必要がありそうです。ここに2.5次元の法の世界の入り口がありそうです。

2.5次元の労働契約とは

 本コラムでは2.5次元の労使関係を展望する『電子労働契約締結手引き』から紐解いてみたいと思います。この『電子労働契約締結手引き』(人社庁発[2021]54号)は人力資源社会保障部が2021年7月1日に公布した行政法規です。5章21条と短い法令ですが、2.5次元の労使関係に対する現代中国法の姿勢が場当たり的なものでないことを随所に確認できる内容になっています。以下、電子労契法と呼ぶことにします。

 電子労契法において、先ずは2次元の労使関係を彷彿させる理念が示されています。

 電子労契法1条は「電子労働契約」が労働契約法(2007年)、民法典(2020年)および電子署名法(2004年)等の法令に基づき、書面の形で見れるデータを媒体として且つ依拠できる電子署名を用いて締結する労働契約をいうと定義します。そもそも労働契約に関する法律である労働契約法の制定について、日本の先行研究では第1ステップとしての労働法(1994年)が解雇法理を導入した後の第2ステップに当たるものと整理し、正規労働者を基本とする労使関係から契約労働者を基本とする労使関係への移行であると評価するのが一般的です。しかし、労働契約法の制定機運が高まった契機は労働契約の締結率の低さからでしたし、違法な労働契約に対する労働監察局の当時の監視制度は実質上労使の間で締結する労働契約の有効無効と直結していましたから、解雇法理の導入や契約労働者の主流化といった現象による上記の評価は中国の労使関係を見誤りやすくするでしょう[6]。むしろ労働契約法の制定において、労働契約の成立とその有効性を使用者と働く人の間で到達する合意のみで良いと言明した同法16条こそ注目されるべきであろうと私は考えます。

 なぜなら、労使の間の合意のみで成立有効にするということは、使用者と働く人がそれぞれ五感を使って伝達し合う中で到達する合意=約束であるため、<約束は守らなければならない>という根本原理に対して自らの責任において向き合うことを現代中国の労使関係も承認したと言えるからです。そして、電子労契法1条はそれを踏襲する形での理念を示しました。

 そして電子労働契約が、インターネット上のコンテンツ通じて電子労働契約を締結するものであることを確認したうえで(電子労契法3条)、電子労契法5条において政府が公表する労働契約の模範文書を用いて締結することを推奨し、また、労働契約に関する必要的記載事項の欠如や法令違反の事項については使用者側が応分の責任を負うことを言明します。同時に、電子社会保険カード(身分証と同様のプラスチックカードで、日本で普及し始めたマイナンバーカードを想像されると分かりやすいでしょう)による実名認証の徹底を期待しているようです(電子労契法7条)。なお電子労働契約の根幹は、インターネット上の他の取引や交流などと同様に、その締結した電子労働契約の内容の改ざんや悪用を防ぐことにあり、その鍵となるのが電子署名です。この点については、法に基づき設立する電子認証サービス機関を通じて電子労働契約へ電子署名を組み込むことを想定しています(電子労契法8条)。膝を突き合わせることのない2次元の世界そのものです。

 次に、2.5次元の労使関係の実現に向けた要求を電子労契法は以下のように示します。

 電子労契法11条は、人の五感を全て使うわけではないけれども膝を突き合わせて一定の労使関係を成立させることを約束するのですから、電子労働契約に関する知識を働く人と比べて多く有するだろう使用者が、労働者に対して電子労働契約の検索やダウンロードの方法を教示したり、必要なサポートを行ったりすることは当然の責務であることを確認し、同時にこれらのサポート費用を労働者から徴収することを禁止します(電子労契法12条)。また、紙媒体の電子労働契約を労働者が望む場合は少なくとも1部については割り印をする等の方法で同一性を確保して提供しなければならないと言明します(電子労契法13条)。

 一方、電子労働契約を締結するコンテンツについては政府が開設するものを優先使用することを勧奨し、同時に現地の人力資源社会保障部門が公表するデータ形式や基準を満たすのであれば独自のコンテンツを使用してかまわないとします(電子労契法15条)。独自のコンテンツを利用した電子労働契約の締結も認めているわけですが、おそらく多くの使用者は政府開設のコンテンツを利用するだろうと感じます。社会保険や職業教育、労働者の家族関係や徴税情報等と紐づけしてビッグデータとして掌握する意図をもつ基準を示してくるでしょうから、それらと紐づけするAPP(アプリ)対応等に強制的に自分の手間暇を取られるよりは政府へ丸投げする方がラクですし、ローコストで済むと打算が働くだろうからです。

 最後にインターネット上に保管される電子労働契約の秘密性について、その情報の主体すなわち締結した本人の同意が無ければ他人へ閲覧や提供などをしないことは当然のことですが、法令の授権があればその限りでないとの言明をしています(電子労契法19条)。この点は、プライバシーやら個人情報保護やらを奇貨としてケースバイケースの対応が絶えず必要になるでしょう。

 なお、鍵となる電子署名については、電子労契法20条が、依拠できる電子署名とは電子署名者本人が専有し管理し、署名後の電子署名やデータの改ざんや修正を確認できるものでなければならないことを確認しています(同4号)。

 以上が概要となります。有体物として紙の労働契約書がなければ安心できない感情やロボットのごとく誰もが同じスペックでない現実に配慮した電子労契法が描く2.5次元の労使関係は、使用者と働く人の間の情報の非対称性を依然として注視し、働く人を弱者として位置づけてサポートする一方で、政府が設ける窓口をローコストの様に見せて、より正確かつより一覧性に富むビッグデータを掌握しようとするものであることが見て取れます。そして、この後者の論理は労働契約法の論理を踏襲しない余地を残すことに注意すべきです。なぜなら<約束は守らなければならない>という根本原理に対する責任を個人が引き受けなくともよい理屈を確認でき、これは労働契約法16条において労使双方に押し付けた責任を軽減したと言えるからです。

中国版2.5次元の法の世界を実現するハードルは低い

 電子労契法の概要を分析してきましたが、そこで明らかになったことは労働契約法で折角、<約束は守らなければならない>という根本原理を支える責任を国家・政府から使用者や働く人という個人へと転嫁したにもかかわらず、それを再び国家・政府が引き受け直す方向へと修正している点です。そもそも現代中国法はあらゆる社会上の行為の合法性の付与を立法関係者が寡占して引き受け、すべての法主体に対して合法性を要求する中国的権利論を根本原理とします[7]。それゆえに、中国版2.5次元の労使関係は中国的権利論との相性が良いはずです。なぜでしょうか。

 私たちの法の世界と現代中国のそれとは、たとえて言えば、舗装された道路であろうが獣道であろうが自由に走行することを認める世界と、舗装された道路の上のみを自由に走行する世界との違いです。前者は自由に走行する中で生じる問題を個人の問題として対処を始めますから、一人ひとりが自分の行動に対する責任を自覚することが必要となります。一方後者は舗装された道路上を走行するわけですから、道路管理の問題として対処を始めることになります。つまり、自分の行動の選択肢は既製のものしかないのですから、そこで生じる問題は既製の選択肢を提示したもの自身がその責任を負うべきというわけです。

 したがって、わざわざ自分が責任を負担せずとも済むのであればその枠組みの中に身を委ねて満喫する方向を喜んで選ぶという人にとってみれば、中国版2.5次元の法の世界は「自由」の世界であり、かつ(自分の責任を自覚しないで済む)無責任の世界が広がることになります。皮肉な言い方になるかもしれませんが、その世界では、ディスイズアペン This is a pen 式の中国語すなわち、定型文だから誰もが理解できるが、そこに話者の気持ちを組み込めない程度の中国語でも勉強しておけば安心して生活できるでしょう。悪いのは定型文しか教示しない側にあると言えるからです(蛇足かもしれませんが、自分で考え抜かずに落第した人が、その教員の教え方が悪いとか、自分の気分を害する発言があったから聞く気にならなくなったから勉強に身が入らなかったとか言い訳することと同じ理屈ですね)。

 しかしながら、私たちの住む日本社会における法の世界は、真逆の世界です。日本版2.5次元の法の世界は、自分の行動に対する責任を自覚し、それを負担することの代替として自由を謳歌します。ゆえに、自分と対面する他人との間でお互いの考えや気持ちを伝達し確認し合う面倒さを当然に引き受けなければなりません。この社会は、定型文ではなく文の構造を理解し、そこに話者の気持ちを組み込む程度の<日本語>を勉強しなければ成り立ちません。また、ここにいう<日本語>が日本語だけでないことは、オリンピック東京2020やコロナ禍の中での「新しい生活様式」の模索から明らかです。

 少なくとも「言葉の意義」に立ち戻って2.5次元の世界を展望しなければならない分、日本版2.5次元の法の世界のハードルは高いと言えます。同時に言葉の暴力が止まらない現在の様子を目の当たりにしていると、無自覚・無責任な日本人が増加しているのかもしれません。そして、そんな人たちにとってみれば中国版2.5次元の法の世界は適応しやすいでしょう。日本社会が電子労契法のような法令を今後制定するのか。それとも日本版2.5次元の法の世界へとステップアップするのか。この鍵となる点が、私たち一人ひとりが「言葉の意義」を自覚できるかどうかにかかっているように、私には思えてなりません。

(了)


1. 例えば「東京五輪、天皇陛下はJOCの「誤訳」をさりげなく訂正:開会宣言に垣間見えた元首の器」(2021年8月7日閲覧確認)を参照されたい。

2. 例えば「五輪選手へ相次ぐ中傷:人格否定、被爆地からかう言葉も」『朝日新聞デジタル』( 2021年8月1日閲覧確認)を参照されたい。

3. 「ピクトグラム"中の人"が語ったこと」( 2021年8月6日閲覧確認)参照。

4. 元.无名氏《合同文字.楔子》:「今立合同文书二纸,各收一纸为照。」より。

5. 例えば、吉田慶子「日中における「契約」の使用と定着に関する一考察」『或問』第29号2016年を参照されたい。

6. 詳細については例えば拙著『学問としての現代中国』デザインエッグ社2019年、特に第8章第2節以下を参照されたい。

7. 例えば、拙稿「中国的権利論③」 を参照されたい。