【13-17】東アジアが団結し世界平和貢献を 野中広務氏が心情吐露
2013年10月 3日 小岩井 忠道(中国総合研究交流センター)
(新聞通信調査会提供)
官房長官、自民党幹事長などを歴任した野中広務氏が9月6日、都心で開かれた公益財団法人新聞通信調査会主催の会で講演し、日中、日韓関係の正常化と東アジア諸国の団結で世界平和に貢献することを強く求めた。
野中氏は6月に中国を訪れ、劉雲山・中国共産党政治局常務委員と会談した。「尖閣諸島領有権棚上げ」に触れたこの会談での発言に対し、帰国後、激しい批判を浴びている。しかし、この日の講演で氏は、語気鋭く批判に反論し、日中国交正常化交渉の際に「尖閣諸島の領有権については棚上げにする」という事実上の合意が日中首脳にあったという認識をあらためて強調した。
さらに「日本は大国ではない。日中、日韓関係が正常化し、東アジアの団結が世界平和に貢献できるように願っている」との心情を吐露し、「『憲法9条を柱として平和な道を歩む』という新しい誓いをしたことを忘れないでほしい」と呼びかけた。
野中氏は2003年に政界を引退、さらに「会長を務める全国土地改良団体連合会の組織を守るため」という理由で、一昨年、自民党も離党している。中国での発言については、直後の記者会見で質問された菅官房長官が、「一個人の発言」として詳しくコメントすることを避けた。離党届を受理したときの自民党の対応が素っ気なかったことをやんわりと批判した上で、氏は「戦争や植民地支配の傷跡がたくさん残っている中国や韓国の場所を歩き、その中から体で学び取ってほしい」と自民党の若い政治家に注文した。
さらに「修学旅行に国費で援助してでも、若い子どもたちに韓国、中国の実情を勉強させてほしい」とも語り、また「ペンを持った人たちが勇気を持って、この国の方向が誤らないようにしてほしい」とメディアに対しても強く要請した。
野中氏の講演で日中関係に関わる箇所は次の通り。
(新聞通信調査会提供)
6月2日から中国を訪問して、劉雲山政治局常務委員と会談した時に、田中角栄首相(当時)が1972年に日中国交正常化の成功をもって帰国後、私にいろいろお話しされたこと、翌年の自民党の青年研修会でお話しになったことなどが頭にあった。田中さんの話では、最初に毛沢東主席が「日清戦争の敗北の時には日本に大変な賠償金を取られたけれども、今度の戦いで日本の人民が後世に多くの負担をしなければならないような賠償要求はしない」と最初に言われたそうだ。大きな荷物をガタッと落としてもらった喜びを、田中さんが体を震わせながら話していた。
周恩来首相との会談で大平正芳外相、二階堂進官房長官がこの折衝に当たった。日中共同宣言をめぐって外務省の高島益郎条約局長が案を提示した中に非常に台湾に気配りをした部分があり、周首相は顔色を変えて高島局長を面罵した。田中さんは「高島局長に怒ることによって、私と大平にその不満をぶつけたと腹に感ずるほど、非常に激しい怒り方だった」と語っていた。
双方が共同声明で一応の了承を得、最後に田中さんが「尖閣について」と言いかけたら、周首相が「その話はやめましょう。あそこは石油が出るから、中国も台湾も、さらにフィリピンも米国も問題を抱えている。いま日本との交渉でそれをやりだしたら問題がこじれて、せっかく合意したものが壊れてしまう。従って、これはなかったことにしてください」と応じた。すると大平さんが「いやいや、田中さんが言ったのはそうじゃない。もしこのまま帰ったら、日本の右翼の人から『尖閣をどうしたんだ』と言われるから、田中さんはその時に言い訳の付くように一言申し上げただけで、他意はない。この問題はそのままにしていただいて結構です」と言った。
「野中君、大平という男は『アーウー』などと言われるけれども、俊敏に判断して、やるべき時には俺の危険なところを上手に助けてくれた。やっぱり大学を出たやつは違うなあ」という話をされた。学歴がないという私と田中さんの共通した部分の胸中を語るように言われたのを、今も胸が熱くなるような思いで思い出す。大平さんの非常に俊敏な判断が危機を救ってくれた、という思いは強かったようだ。
その後、上海に向けて周首相と隣同士で飛行機に乗った時に、田中さんが「この次、東京に来てください」と話したら、周首相が「東京へ行きたいけれども、私はもう生きてあなたの国の土地を踏むことはないでしょう」と答えた。これを聞いた時に「ああ、この人は異常な状態の中で、日中の国交正常化をやってくれたんだ」という熱い思いが伝わってきた…と感慨深く話していた。田中さんが後々まで周首相のその言葉を胸に刻んで大事にしていたのを、節々の話に感じてきた。 72年の国交正常化の後、78年に平和友好条約が成立した。その際、尖閣諸島の問題について鄧小平副首相が「この問題は非常に難しい問題だから、後の世の若い人たちの知恵に任そう」と言い、棚上げされたという話を確か園田直外相に、私は聞かしてもらった。またその後、鄧小平さんが来日した時の記者会見でも、そういう話があったことを覚えている。
私は今回、劉雲山政治局常務委員と会談した際に、こういう一連の話をした。そして「尖閣諸島の緊張は両国にとって大きなマイナスになる。長年、先人たちが築いてきた歴史をぜひとも、もう一度振り返って、日中両国がこれからも本当に信頼関係を構築できるような状況を望んでおります」ということを申し上げた。
そのことが大きく報道され、関西国際空港に私が着いた時には、たくさんのテレビカメラが待ち構えていた。一人のカメラマンが私に「許し難い発言があったわけですから、その発言を撤回されますか」と厳しく私に言った。私はその人間をにらみつけて、「こういう問題を命懸けでやってきた人間に対して失礼じゃないか。どうして俺が撤回するんだ。自分の信ずること、経験したことを言って」と、その記者に食ってかかった。
帰国後に産経新聞が「怪しき生き証人」という見出しで私を非常に厳しく批判し、「当時、京都の一府議会議員であった野中広務氏に対して、一国の総理をやった田中さんがそういう中身を言うようなことがあるか。怪しき生き証人だ」という趣旨の報道をした。私は直ちに産経新聞に抗議した。私と非常に長い付き合いの同紙の元京都支局長が、私に関する単行本を出版した。その中に田中先生と私との長い交わりが詳しく書かれているので、「産経新聞は自分の社の京都支局長が書いた本をよく点検して、こういう個人攻撃のようなことをやるべきではない」ということを熊坂隆光・新社長に申し入れた。
その後、当時の編集担当の常務から「取材の在り方について基本的な指摘をいただき、しかも自分が後輩として仕えた元京都支局長が今度の報道を非常に怒って電話をかけてきています」という趣旨の手紙を頂戴した。
また、この産経の記事を参考にして書いた「週刊文春」にも私は抗議を申し入れた。こちらは率直に、「産経の記事をそのまま転載して、大変失礼なことをいたしました」という趣旨の謝罪文を編集長から頂いた。
私は、自分の信念を何ら取材せずに報道する今のメディアのやり方に、非常に義憤を感じている。
私は領有権について話をしたわけではない。ただ、この(棚上げ)問題は田中─周恩来会談をはじめとして国交正常化への道を歩ませた。さらに鄧小平副首相の下で日中平和友好条約が発効した時に、(棚上げを実質的に認めた)園田直外相の答弁は国会議事録に残っている。
中国から帰国したら、菅官房長官が「党を離れた人が何を言おうと関係がない」という発言をされ、一部強烈なメディアが私を個人攻撃する。右翼の嫌がらせや、名乗らずに「売国奴!」と怒鳴る電話が事務所にかかる。さらに家にも不穏な動きがあるということで、周りの人たちに私の身辺を注意してもらった。今日まで危害を加えられることなく、この講演会に出られたことをうれしく思う。
国民の不満を尖閣問題に集中させている中国にも問題や悩みがたくさんあるわけだ。しかし、日本と同じように、いったん領土問題になったら一挙に燃えてくる。今ようやく、中国から少しずつ旅行客が訪日してくるようになり、日中間の商売も少しずつ窓が開いてくるような状況になってきた。これが徐々に大きくなり、従来のような形に戻るような努力を一刻も早くしていただきたい。
今、憲法の問題やら集団的自衛権などが問題になっている。現役の政治家で戦後生まれが84%を占めるような状況の今日、眼を転じて、日本が満州から中国大陸へと戦争の流れをつくっていった(歴史をかみしめていただきたい)。朝鮮半島はその戦いの中から植民地への道を歩み、また人権を無視したような植民地政策を日本がやった。私は近くで、徴用された朝鮮の皆さんが過酷な状況で働いている姿を若い時から見てきた。
今の政治は焦点が何なのか分からない。マスコミもまた、自分たちの主張を国民に訴えなければ…という危機感を持ってくれなければ、日本はどちらの方向に向いていくのやら、国の方向さえ分からない。大切な現在の平和を考える時に、尖閣は大変な危険をはらんでいる。また今、日本の国の形が変わろうとしている。もっとペンを持った人たちが勇気を持って、この国が方向を誤らないようにしてほしい。
簡単に処理しようということで中国問題は解決しないと思うし、また外務官僚では解決がつかない。やはり、政治家でなければできない。ぜひ中国、韓国の首脳と話をし、土俵づくりをして、大切な中国、韓国との信頼関係を構築していただきたい。また、日本の中学校や小学校の修学旅行に国費で援助してでも、若い子どもたちに中国、韓国の実情を勉強させてほしい。
私どもの石ころのようなやり方が、ぜひ大きな流れになって日中、日韓の関係が正常化し、さらに東アジアの団結が世界平和に貢献できるように願っている。わが国は決して大国ではない。この国が「憲法9条を柱として平和な道を歩む」という新しい誓いをしたことを忘れないでほしいと思う。
注:野中広務氏の全講演内容は10月1日発行の新聞通信調査会報「メディア展望」622号に掲載されています。
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