【16-27】鵜飼い漁誕生の謎追い日中両国で現地調査
2016年12月 1日 小岩井 忠道(中国総合研究交流センター)
中国と日本にしかないといわれる鵜飼い漁が、どのようにして根付いたかを両国の多くの現場に足を運び研究を続けている卯田宗平国立民族学博物館准教授が、11月27日、東京都内で開かれた大学共同利用機関シンポジウム・展示会「研究者に会いに行こう!―大学共同利用機関博覧会―」で、これまでの研究成果を紹介した。会場では、鵜飼い漁が両国で始まった共通の理由の解明が進む一方、観光目的になってしまっている日本と、まだ、生業として各地に根付いている中国との大きな違いに聴き入る聴衆の姿が見られた。
中国の鵜飼い漁(江西省ポーヤン湖、卯田宗平氏提供)
卯田氏が、最初に紹介したのは長江の中流域にある江西省のポーヤン湖で行われている鵜飼い漁の実態。ポーヤン湖は、中国で最大の淡水湖で、豊かな魚資源を求めて多くの漁師たちが働いている。鵜飼い漁は、さしあみ、投(と)あみ、定置あみなどと並ぶ、立派な漁法だ。動画で紹介された漁師の小さな舟には、湖面に向かって伸びた止まり木に2羽ずつ、飼い慣らされた20羽以上のカワウがおとなしく止まっている。漁師が、さおで次々と湖面に落とし、首尾よく魚を捕らえたカワウを網ですくいとり、獲物をはき出させた後、また、湖面に戻す。
1日約6時間に及ぶ漁が終わると、船内や浜に獲物がびっしり並べられる。魚の種類はフナ、ドジョウ、ナマズ、ギギなど40種以上に上り、実に多様だ。地元の人々が集まってきてたちまち買い求めていく魚種と、仲買人が買い求めていく魚種が明確に異なるのを、卯田氏は、魚種を列挙したパワーポイントで、色分けして示した。地元の人たちは、買い求めた魚類を煮込みや姿蒸し、トウガラシとサンショウの炒め物として食べるという。仲買人の売り先は、食堂や魚屋、干し魚加工工場だ
卯田氏によると、中国国内には、鵜飼い漁が行われている地域は、100カ所ほどある。「一度の漁で多種類の魚が捕れる鵜飼い漁は、さまざまな淡水魚を求める食文化が背景にあるからこそ生業として成り立っている」と、氏は語った。さらに、大都市に働きに出た後、地元に戻って鵜飼い漁を生業に選ぶ若者が多い、という。こうした若者たちに直接、理由を聞いた経験を基に、卯田氏は「夏は炎天下、冬は厳しい寒さの中で続ける厳しい仕事にもかかわらず若者が鵜飼い漁を続けるのは、家族や友人たちと過ごす楽しい時間があるため」と説明している。
卯田宗平准教授の研究成果を紹介した展示に見入る参加者(国立民族学博物館展示ブース)
これだけあちこちで鵜飼い漁を可能にするためのカワウは、どのようにして得られるのか。中国では、漁師が自ら繁殖し、中には大量に繁殖したカワウを各地に売り歩く漁師もいるという。
日本の現状はどうか。長良川の鵜飼いで知られる岐阜市をはじめ、10数カ所でしか行われていない。すべて観光目的だ。使われているウは、主に、茨城県日立市十王町で捕獲された野生のウミウである。しかし、日本もかつては各地で生業としての鵜飼いが行われていた。数は、全国150カ所以上に上るという研究もある。淡水魚を好む地域は、日本にもあちこちにあったことを示している。
「高度経済成長期に河川環境が悪化した。それで河川での漁業がやりにくくなった」。卯田氏は、日本で鵜飼い漁が減ってしまった理由の一つを説明する。ただ、明るい話題として、日本を訪れる数が急増している中国人観光客の関心が、日本の地方の自然や文化に向きつつある現状を、氏は紹介している。鵜飼い漁が行われている広島県三次市や愛媛県大洲市を訪れる中国人観光客が増えている、という。
今後、「鵜飼文化にかかわる研究を続けることで、日本と中国の文化交流や相互理解の促進につなげたい」と卯田氏は、語った。
大学共同利用機関シンポジウム・展示会「研究者に会いに行こう!」会場風景