【17-13】留守児童ケアは中国の重要課題 来日の公益団体代表詳細な実態報告
2017年 5月12日 小岩井忠道(中国総合研究交流センター)
都市部に出稼ぎに出ている親と離れ農村で暮らす「留守児童」とその親双方に対する心のケアに取り組む公益団体「上学路上」(北京上学路上公益促進センター)の代表、劉新宇さんが10日、東京大学駒場キャンパスで講演した。講演は阿古智子東京大学教養学部准教授の公開授業として行われ、学生だけでなく社会人も阿古准教授が通訳する劉氏の多様な取り組みと「留守児童」の厳しい生活の話に聴き入った。
劉氏はジャーナリストとして週刊誌『中国新聞週刊』などで活躍した後、2013年5月にこの公益団体を立ち上げた。以来、著名人が朗読する癒やし効果のある物語を録音した「ストーリーボックス(故事盒子)」の支給や、名著の朗読だけでなく音楽も録音したラジオ番組を聴かせる「小雨点広播」(雨ちゃんラジオ番組にリクエスト)プロジェクトなど、「留守児童」に対するきめ細かなケア活動だけでなく、出稼ぎで都会生活を送る親たちへの心のケアにも力を入れている。
最初に紹介されたのは、「留守児童」の置かれた状況の深刻さを示す出来事だ。中国西南部の貴州省で2015年5月に15歳から4歳の兄弟4人が農薬を飲んで自殺する事件が起きた。両親が離婚し、父親は出稼ぎに出て2年間、家を離れている。こうした環境に置かれた「留守児童」の貧しさ故の悲劇というのが、当初の報道だった。しかし、この兄弟が住む家には、米をはじめとする食料だけでなく貯金も残されていた。
講演中の劉新宇上学路上(北京上学路上公益促進センター)代表
劉氏は、自殺の原因は貧しさではなく、心にあるとして、心理学の研究所による次のような調査データを紹介した。「留守児童」のうちの34%が自殺を考えたことがある、という。「留守児童」の数は、中国民生部が2016年11月に公表した数字によると、中国全体で902万人とされている。しかし、氏によるとそれ以前は6,100万人に上るという数字もあった。「昨年11月の民生部調査から『留守児童』の定義が変わった。『父母のどちらかが3カ月以上家を空けている』というそれ以前の定義から、『父母共に3カ月以上家を空けている』に変更になったため、数字が小さくなった。しかし、どちらにしても34%が自殺を考えたことがあるというのは、恐ろしい数字。『留守児童』たちの抱える問題は、お金では解決できない。父母が一緒にいないという心の問題が大きいからだ」と、氏は支援活動を始めた理由を説明した。
また、「自殺しようとする子供たちは自分の命を大事にできない。こういう子供たちは、他人の命も大事にしない傾向がある。反社会的行為に関わる可能性が普通の子供たちより高いということだ」と語り、「留守児童」たちに対する心のケア活動の重要性を強調した。米国で行われている心理学的な支援法を参考に、まず公益団体立ち上げと同時に始めたのが「ストーリーボックス(故事盒子)」だった。国営テレビ「中国中央電視台」(CCTV)のアナウンサーなどに感情のこもった朗読を吹き込んでもらい「ストーリーボックス(故事盒子)」で「留守児童」たちに聴いてもらう活動だ。
一人っ子政策により、農村の子供たちの数が減った結果、学校の合併が進み、中には1時間半もかけて遠くの学校に通う子供たちも珍しくない。長い通学途上に、「ストーリーボックス(故事盒子)」で朗読を聴いてもらう試みを始めて3カ月後に簡単なアンケートを実施した。86%の「留守児童」たちが、毎日ないし2,3日に一度は朗読を聴いており、さらに39%の子が,聴いた話の内容を他人に話していることが分かった、という。
一方「ストーリーボックス(故事盒子)」は、子供たち1人に1台支給する携帯機器が100元(約1,600円)する。そのうえ、朗読内容を更新するたびに費用もかかる。ということで、コストがあまりかからない活動として次に取り組んだのが、「小雨点広播」(雨ちゃんラジオ番組にリクエスト)だった。詩やお話の朗読、音楽などのラジオ番組を制作し、子供たちが好きな番組を選んで聴くことができるようにした。国語の先生に推薦してもらった子供たちの作文を、番組にして流してもらうこともある。このようにすれば、学校などのインターネットや館内放送の設備を活用できるため、コストを大幅に下げることができる。昼ご飯時など、決まった時間帯にラジオ局にアクセスし、校内で番組を放送している学校もあるようだ。
この番組を聴いている学校は2年間で400校に増えた。年内に1,000校に増やし、40~50万人の子供たちに番組を聴いてもらうようにする目標を立てている。2015年4月からは北京市の学校でもこの番組を聴けるようにした。なぜ、大都市の子供たちにこのような番組が必要なのか。劉氏の説明から、大都市の子供たちの中にも「留守児童」とは別の深刻な問題があることが分かる。
北京には、出稼ぎの親に連れられて農村から移り住んだ子供たちがいる。こういう子供たちが通うのは、ブラック企業ならぬブラック学校とも呼べるような学校が多い。いつ閉鎖させられるか分からないような劣悪な施設だ。親たちは余裕がないためにきちんとした学校に子供たちを入れることができないために、こうした学校が存在する。ある学校では10クラスのうち六つが1年生のクラス。2年生以上の学年は1クラスしかないか、あるいは他学年との複式クラスだ。学年が上がると学生数が減るのは、途中で農村に戻る子供が多いからだ。こうした状況に置かれている「留守児童」予備軍のような子供たちを、劉氏は「流動児童」と呼んでいる。農村に戻されたり、再び都市に呼び寄せられたりしている子供たちが、北京市にはたくさんいるという。
劉氏たちの活動のユニークなところは、きちんとした調査を行い、データに基づいて自分たちの活動をより効果的なものに改善する試みをしているところにもある。こうした調査から分かったことの一つに、「留守児童」に電話をしない親が240万人もいるという現実がある。電話をしても、子供に何を言ってよいか分からないという親も多い。出稼ぎに出ているこうした親のために劉氏たちがつくったのが、子供たちにどのような電話をしたら会話が弾むかを教えるハンドブックだ。このバンドブックが教える方法で、農村に残している子供と電話をするようになった結果、「英語の研修に行くからお金を送ってほしい、と娘が言ってきた」と泣いて報告してきた母親の例を氏は紹介した。
劉氏の現在の立場は、国際交流基金のフェロー。今年2月から日本に滞在しており、5月下旬に帰国予定だ。中国での活動には著名なテレビキャスターや、俳優、詩人、会社社長など多くの賛同者、支援者がいる。「2月に来日して以来、どうしたらネットワークを広げられるか、子供たちに対するよりよいケアの方法は何か、を勉強している。公益団体と政府だけでは、『留守児童』問題は解決できないから」。氏は、活動に多くの人を巻き込むことの重要性を強調していた。
公開授業として劉氏の講演を主宰した阿古准教授は、講演と学生たちとの質疑応答が終わった後、「ラジオ番組など中国にもいろいろなコンテンツはあるが、『上学路上』が提供しているような『留守児童』のために特化したものはほとんどない」など、劉氏が進めている活動を高く評価していた。
劉新宇氏(右)の講演会を主宰し通訳も務めた阿古智子東京大学教養学部准教授(左)
戸籍が農村にあり、6カ月以上出身地内で農業以外の産業に就労したり、あるいは出身地から出て就労する労働者は「農民工」と呼ばれている。都市で働く農民工は、農村戸籍のために多くの制約を受けている。中国国家統計局が4月に発表した「2016年農民工モニタリング調査報告」によると、農民工の数は、昨年1年で424万人増えて、2億8,171万人に達した。このうち、「外出農民工」〈出身地から出て6カ月以上就労〉は、全体の約60%を占める。
同報告書では、前年に比べ1.1ポイント下がったものの昨年、雇用主または事業者と労働契約を結んだ農民工の比率は35.1%にとどまることや、昨年、未払い賃金のあった農民工が約237万人いるなど、出身地を離れた親たちもなお苦しい境遇にあることを示している。
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