【23-30】資本制農業へ舵を切った中国(第2回)
2023年05月18日
高橋五郎: 愛知大学名誉教授(農学博士)
略歴
愛知大学国際中国学研究センターフェロー
中国経済経営学会前会長
研究領域 中国農業問題全般
1.中国における「資本」の一般的な語義について
中国共産党中央が年初に当たり当該年の最も重視する基本政策を謳う「中央一号文件(文書)」(以下、「一号文件」)のテーマが、農業問題(「三農問題」と表現されることが多い)におかれる状況が続いている。今回は農業分野における「資本」についての取り扱い方、すなわちその基本政策の変化に焦点を当てたい。
「資本」(capital)という言葉は「社会」や「調査」などと並んで、日本からの外来用語であり、中国語でこれに当たる意味を持つ用語は「本金」もしくは「本銭」である。
ただし現在は「資本」が一般的な用語として常用されている。一般的には、貸借対照表上の貸方に計上される「資本金」は「資本」の一部または全部を金額表現した現金・預金・有価証券等、借方に計上される資産の形に変わり、利潤を生む原資たる「資本」にはそのほか土地・建物などの有形固定財(固定資本)や一部の有形流動財(流動資本)・特許権など無形財も含まれる。
中国に渡った日本の「資本」の原義は「資本論」・「資本主義」・「資本家」すなわちマルクス主義用語としてであり、その後、「西洋経済学」と総称されるケインズ経済学やワルラスの限界効用理論などが移入されたが、そこでも「資本」はcapitalと同意語として、つまりは経済学一般の基本用語として普及していった。
したがって本稿における中国常用語となった「資本」はマルクス経済学と西洋経済学に共通する意味、すなわち「利潤の元となる資産」という意味である。その上で、本稿は党中央一号文件において、農業部門における「資本」がどのように浸透し発展してきているか、その軌跡を整理し、その意味と今後を展望するものである。
2.「中央一号文件」における「資本」の位置づけ
(1)「資本」の出現頻度
「資本」が上述のような積極的意味を含みながら中央一号文件に現れたのは2012年であった。この時以降、「資本」は直近の2023年まで2019年を除き12年にわたって登場するが、その経緯と「資本」の出現名称、「一号文件」の文脈上の位置づけなどの概要をまとめたのが表1「中央一号文件における『資本』の出現と政策への反映」(未定稿)である。「未定稿」としたのは、それぞれの「資本」の性格、例えば「資本一般」を指すのか「個別資本」を指すのかなどについて、なお検討を要する部分があるという意味である。
「資本」が2019年を除く12年間に出現する回数は44回、最多の年は10回の2015年、次いで多かったのは2016年、2017年の8回であった。このような年次における「資本」の頻出は、後に見るように当時における農地制度に関する政策の変化に反映されている。
(2)「資本」の名称
ではこの間、「資本」はどのような名称で出現したのかであるが、次の通り多彩である。順に羅列すると、「民間資本」(以上2012年)、「社会資本」・「多層階資本」・「工商資本」(2013年)、「社会資本」(2014年)、「社会資本」・「工商資本」・「資本」(2015年)、「社会資本」・「工商資本」・「金融資本」・「多層階資本」(2016年)、「社会資本」・「工商資本」・「資本金」・「外部資本」(外部とは農村外部:筆者註)(2017年)、「自然資本」・「外部資本」・「人力資本」・「工商資本」・「社会資本」(2018年)、「工商資本」(2020年)、「金融資本」(2021年)、「工商資本」(2022年)、「社会資本」・「金融資本と社会資本」・「多層階資本市場」である。
(3)「一号文件」文脈上の位置づけ
前回紹介したように、「社会資本」の語義は日本で使われている「公共資本」など漠然とした意味ではなく、「社会に存在する個別の意志を持った資本=私的資本企業」といった方が適切のように思われる。中国には似たような用語として「公共財」があるが、こちらの方は日本語の「公共資本」や「みんなの財産」といったニュアンスが強いといえよう。「社会資本」の語義が私的資本企業との見方を否定しえないことは、上述の「資本」の「一号文件」上における位置づけからもいえると思う。
またやはり頻出する「工商資本」だが、これは「産業資本」と「商業資本」の2つの形態の「資本」に限定されず、工業・流通・サービス・金融を含む資本制的企業一般を指すと考えられる。
以下、表1の年次ごとに抜粋した「資本」が「一号文件」の文脈上、どのように機能するものとして位置づけられているか見てみよう。
・ 2012年一号文件(以下、「一号文件」を略す)「民間資本」:「農村金融への資本導入・資本の進出促進」
・ 2013年「多層階資本」:「農業産業化農業竜頭企業等農業企業の発展」
・ 同年「工商資本」:「企業的農業への都市資本の進出」
・ 2014年「社会資本」:「県域の中小金融機関の設立への参画」
・ 2015年「社会資本」:「農村建設投資の担い手」「農村サービス業商業化に社会資本の全面的開放」
・ 同年「工商資本」:「企業化農業経営のための資本参加」
・ 2016年「工商資本」:「工商資本の賃貸農地農業への参画と監督・リスク防止制度の取組み」
・ 同年「社会資本」:「農村リゾート開発への農民参加の強化のための社会資本参画」
・ 2017年「社会資本」:「社会資本の株式参加による農林灌漑・農地開墾等」
・ 同年「工商資本」:「工商資本の農業・農村投資規範の研究と推進」
・ 2018年「工商資本」:「農村振興参画のための工商資本の位置づけ明確化の促進」
・ 同年「外部資本」:「集体資産に対する外部資本と少数権力による侵入を防止」
・ 2020年「工商資本」:「『工商資本』がむらへ進むことを推進・奨励(「工商資本下郷」)。
・ 2021年「金融資本」:「農業振興・農村金融改革をにらんだ金融資本に弾みを期待」
・ 2022年「工商資本」:「農外資本(工商資本)の農地不法農外利用を防ぎ、正しい工商資本の農地請負を進める」
・ 2023年「社会資本」:「社会資本の農業進出強化、その活動の監督を強化」「社会資本に依る健全な土地経営権取得を通じた農民利益損害の防止」
・ 同年「多層階資本」:「多用な業態の資本市場を通じた農業支援作用を推進」
3.政策にどのように表れたか
次に、「一号文件」における以上の「資本」が実際の政策の上にどのように表れたか見ていこう。結論から先に言えば、この過程を通じて「資本」が辿り着いた先は、それまで「農村土地請負法」上の農地所有者とされる「集体」から農地を請負う農民と、実質的な同等資格者に格上げされたということであろう。それは2018年の同法の改正となって顕現するが、この点は後述したい。
(1)農業経営規模拡大等における「工商資本」・「農業企業」の役割明記
まず最初に「資本」が具体的な政策に出現したのは中共中央と国務院の連名による「農村土地管理権の秩序ある流動化の推進と農業経営の適切な規模拡大に関する意見」(2014年11月)においてであった。その「十四」で「工商資本は良質の耕種農業・ハイレベルの施設園芸・大規模畜産業等の適切に大規模で近代的な企業化農業経営の発展と農村に残る4つの不毛農地(荒地や荒湿地など)の開発を通じて、多彩な耕種農業経営を発展させるためのリード役となろう。また農業企業・農民・農民専業合作社間の密接な利益形成メカニズムを構築し、合理的な分業関係を作り上げ、相互にウィン・ウィンの関係を実現することを支持する」とし、農業の規模拡大・農業の施設化・遊休資源の活用のために「工商資本」を農業の枠内に組み入れ、農民や農民専業合作社と並列的な存在として期待し、認識を高めたといえよう。
(2)「農村土地請負法」における「工商企業等社会資本」の登場
次に取り上げるべきは、それまでの「農村土地請負法」にはじめて「工商企業等社会資本」を入れ込んだことである。同法が施行されたのは2003年3月であるが、これは農村土地所有権者の「農民集体」(第2条)から当該「農民集体」組織に属する農民がかかる「農民集体」から農地を借りる(請負う)権利の仕組み(「土地承包経営権」)を法制度化したものであった。そこには「工商企業等社会資本」という用語はなく、農地を借りる資格を持つ者は当該「集体経済組織」の農家に限られていた(第15条)。
ところがこの法律は2018年12月に全人代常務委員会で改正され、農地を借りる資格(「土地承包経営権」)を持つ者は当該「集体経済組織」の農民であるとの条文はそのまま残しながらも(第16条)、農民が借りた「承包土地経営権」の「土地経営権」を「工商企業等社会資本」に貸すなどを可能にする条文が新たに設けられたのだった。
要諦は農地所有権者の「農民集体」から農民が農地を借りることができる権利をそのままに、その権利のうち農地を使う権利(「土地経営権」)をはがして「工商企業等社会資本」に貸すことができる、というものである。手は込んでいるが、農地の使い手(農業経営)を農民以外に広げざるを得なくなったことへの苦肉の策であったといえる。
その背景には「農民集体」から農地を直接借りることができる資格を持つ者はあくまでも農民だけであるが、農地を使って農業経営を行う主体は農民に限らず「工商企業等社会資本」でもよい、とするものの農地所有者は農民が構成員である「農民集体」であることに変わりないとする党政治的事情があった。こういうのは、これまでの農地制度が農民にとって最良だったのかどうか検証も行われず、農業生産力を最も高めるものだったという立証もなされていない以上、農業経済論的判断というわけにはいかないのである。当局は、全体をそういう位置関係にしないと、法制上(体制上)の農地所有者を農民集体とする仕組みが崩れると考えているものと見られる。
改正された法制度は、図1のように示すことができよう。
この図で農民Aは土地所有権者の「農民集体」から土地を借り(承包)し自分で耕すか全部または一部を同地区に住む農民Bに貸し(承包土地経営権の移転)、それを受けた農民Bが農民C(略)に貸す、という流れがある。
他方、農民AまたはBが自分の持つ「承包土地経営権」の一部である「土地経営権」を工商企業等社会資本と呼ばれる企業農に貸す(土地経営権移転)するという流れが2018年の法改正で可能となったのである。特定の工商企業等社会資本が農民Bや農民C・D...から土地経営権を集積、規模拡大を進めることが可能となったことが今回の法改正の目玉である。工商企業等社会資本は多数の零細な農民から土地経営権を吸い上げることが可能となったことで、中国農村における資本制農業が一気に広がる条件を得たことになる。法制度上、農民に限られていた農村土地の借り手すなわち農業経営が資本の手に広がった、中国農地制度上の質的転換点となったといえよう。
2012年12月段階で、工商企業等社会資本は農民Aから農民Bへ移転した承包土地経営権の10.3%の土地経営権を手にしていたとの報告もある(「新華網」2013.2.15)。法改正以前のことであり、もちろんこれは違法であるが、それほど農村土地はそれを耕す農民不足のためか権利移動が既成事実化していたことが想像できよう。だから実態が先行しており今回の法改正はそれを追認したもの、ということもできる。
以前から「大棚房」という農業施設の非農業施設への無許可転換行為が横行していたが、この点は農地も同様であり、今回の法改正は農地を農地として維持するためのものと見ることもできよう。
1)「農村土地経営権移転管理方法」(2021年3月)
2018年の法改正を契機にして「資本」による農地経営が始まったのち、関連する制度的な脇固めともいえる施策が続いた。その第一弾が「農村土地経営権移転管理方法」の施行(2021年3月)である。
これは、農民の持つ農村土地経営権の権利移転の形態を2つにすること、すなわち①貸付けの形態をとることで地代収入を得る形態(転包:農民が「集体」から借りた土地経営権を農業経営を行う企業等第3者に又貸しすること)、②土地経営権を資本評価し(土地経営権の擬制資本還元といえる)、企業や合作社等の行う農業経営事業に資本出資の形態をもって移転、当該経営権について投資収益(利回り)を得ることを定めたものである。
農民が持つ農村土地経営権のこれら形態による第3者への移転を促すため、各地に「土地経営権移転市場」または「農村財産権取引市場」の創設を奨励すること定め、県以上の政府が率先して工商企業等社会資本(同方法第28条で、定義として「法人・非法人・自然人等を含む」と、「資本」の性格をより具体化)の企業型農業経営の発展に努めること、ただし同時にこれら資本の農業経営者としての適正を維持しリスクを回避するよう努めることなども織り込まれた。
2)「農村財産権移転取引規範化パイロット事業方案」(2023年4月)
この「方案」は文字通り農村財産権移転、具体的には農村土地経営権の移転を促す取引市場の創設に関するものであるが、なおこれには2つの付属文書がついており、その1つが「農村財産権移転取引規範化パイロット事業建設についての参考」(以下「参考」)というものである。
この「参考」は現段階における財産権の内容について、土地経営権、林権、農村集体経営資産などとし、工商企業等社会資本の参加を前提にその適正な取引市場を謳っている。
なお「参考」のもう一方の付属文書は当該パイロット事業について、地区選定の上2023~2024年に実施する旨を定めている。
以上のように「資本」による農村土地経営権の取得を通じた農業経営への参加が制度的に進められ、第一段階としてのその法的な是認、第二段階としての土地経営権取引市場の創設を通じた、農村土地の集積の進展が図られることとなったのである。
ただし、中国当局はこのような政策変化の事あるごとに、農民「集体」が農村土地所有権者である現行の農村土地所有制度自体に変更はないと念を押していることも付記しておきたい。しかしその肝心の、農民が組織する「集体」の具体的な実体とはいったい、どこにどのような具象をもって存在しているのか、法制度上も実態上も不明のままであることも付記しておきたい。
以上