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【25-07】霞の中の「農村集体経済組織法」(第3回)未完の中国農村土地制度

2025年01月30日

高橋五郎

高橋五郎: 愛知大学名誉教授(農学博士)

略歴

愛知大学国際中国学研究センターフェロー
中国経済経営学会前会長
研究領域 中国農業問題全般

カオス状態の土地制度

 紀元前1700年に成立した殷(商)の時代からかぞえて、今年はだいたい3700年目に当たるのだが、辛亥革命(1912)まで、周、秦、漢、三国、晋、五胡十六国、南北朝、隋、唐、五代、宋、元、明、清など、主要な王朝が最も重視して来た政策は土地政策と土地税制度、そして軍事であった。この点は、現代の社会主義中国でも変わっていないと言っても過言ではない。

 土地制度を社会主義政権の根幹に置き、党の重大会議では、指導者が揃って、なお人民服(戦闘服)で身を包むことが常識となっているのには理由がある。そこには、内的には、敵対者を反革命分子、反革命集団と呼び、戦闘行為こそが中国共産党の武器だと公言した毛沢東の伝統があり、外的には、中国を守るためには党が先頭に立って抗うという姿勢がうかがえる。

「農村集体経済組織法」が施行されるのは今年の5月と予定されているが、この法律には、カオス状態に陥った土地制度、土地をめぐる複雑な実情が反映されているように思われる。農村土地収用制度と運用面の問題、最近の土地使用権売買にからむ土地担保制度の動揺(担保権行使不能状態で塩漬けされたままの土地の累積、当事者の不明など)、「不動産バブル」、権利移転状況の実態不明の農村土地の広がりなど、実態の解明さえ不十分な状況が起きているのである。

土地市場の成長とその問題

 中国の土地問題の処理は現代中国の大きな負担となっているが、それは経済の実力を見ると、資本主義国が到達した発展の最高段階と肩を並べるところまでに辿り着いたところで生まれた矛盾の一つだといえる。土地はどんなに進んだ国であろうと製造できないので、権力や経済力が整わないと取得できない性質があるが、中国では、その一方あるいは片方を持つ者が成長し、一定の制限下ではあるがその前提である「土地市場」が生まれている。「土地市場」とは、土地には利用上の利便性や収益性を基準とする等級があり、その最低限の価値のある土地を「限界地」として価格を決定する経済法則を持つ性質がある。

 仮に同じ商業用地でも、東京の銀座にあるか、郊外にあるかによって坪単価に差があるのは、その道理による。また同じ米をつくるにも、水田が魚沼市にあるか遠い島にあるかによって米の値段が違うのも、その道理による。土地市場はその名目(地目等)の人為的な区分を超えて、すべての土地に貫く経済法則を持っており、この点は市場経済を標榜し、実際にも経済原則とする中国も例外ではない。

「中国土地管理法」によれば、中国の土地制度は、農村土地は集体所有、これ以外の土地は国有と決められている。国有地のうち農村土地(農地)面積は全国土面積の13%、都市の土地面積は同じく3%程度にすぎない。この二つを合わせても20%程度だが、「不動産バブル」等で大ごとになっているのは、主に都市の土地の一部なので、全体から見ればごく狭い土地が対象であることが分かるだろう。ただ3%と一言で言っても約30万平方キロメートル、日本の国土面積の80%にも相当する大きさではある。

 農村土地に焦点を絞ると、現在の仕組みや運用からは、土地を直接耕作している者(土地利用者)が誰なのか、どのくらいの面積を集めているのか、その個人、企業、組織等の実態を知ることはできない。土地管理法では、使用権等の権利移動があった場合は登記することになっているが、実際には、農村で聞いた経験などを踏まえると、正確には履行されていない可能性が高い。だから、現在の土地請負制度の有効性や可動性をデータに基づいて評価する前提がないこと自体は当局もよく認識していることだろう。

土地と市場の衝突

 土地市場を巡る市場経済原則と今の中国の農村土地制度との間には、不透明な矛盾があり、その矛盾を調整あるいは緩和しようとする制度が「農村集体経済組織法」なのではあるまいか、というのがこの法律についての筆者の評価である。

 その矛盾の具体例の一つに、中国の長期金融が土地(農地を含む)担保金融と呼ばれる金融方式を形成している点を挙げることができよう。土地担保金融とは、融資審査に当たり、一般的に資金需要者自身の信用力(企業ならば未来の経営成長性、経営安全性、経営陣の信頼性、事業シェアや特長等、個人なら所得、信頼性、健康度等)よりも、価値不変の土地を重視する方式を言う。中国では機関保証(保証料を払って、債務保証をする組織によるもの)も近年は成長しているが、その場合でも無担保融資はまれ、かといって多額の融資に連帯保証人等を依頼することもまれで、土地がもっとも重視される風土にある。

 この土地担保、実際に金融機関が債権回収手段として徴求した担保物件を処分しようにも、買い手を探すことは至難とされている。というのは、農村土地の所有者は実体のない農民集体であり、その担保を処分する金融機関がその土地使用権の買い手を探し、その権利移転を届け出るのに必要な登記を終え、農民集体にその通知を行うにも、組織としての実体がないのだから通知する相手がいない、という問題に直面する。実体がないので、今は村民委員会が仮受けをすることにしているが、もともと役所でもなく陣容が少ない村民委員会の事務処理能力は乏しい。

 そもそも、土地使用権を買い取る資格のある者は、その担保を差し入れた者と同じ村に住む農民でなければならず、限られる。処分対象となった土地使用権の買い手をどうやって探せと言うのか? そもそもこういったことを想定した担保物件処分市場のようなものは存在していないのである。

 では資金力のある企業はどうかというと、「農村土地請負法」の規定により、その土地使用権を持つ資格がないので、村民大会で村民の3分の2以上の賛成を得て、有資格者として認めてもらう必要がある。認めてもらっても、それを処分し債権回収ができるか、となると先の問題が立ちはだかる。

「農村集体経済組織法」の役割

 このような二重三重の障害を払拭するために、この法律が機能するかとなれば否定的な判断をせざるを得ない。その根本的な理由は、農村土地の法的な所有者とされている「農民集体」の実態的な無権能状態を変えるまでには至っていないからである。この法律のどこを読んでも、農民集体の欠陥を修復することも補完することもできるような文言を認めることはできない。この法律は、中国の村々に実存するバラバラの組織を「集体経済組織」として命名する役割はありそうだが、市場経済の原則に対応できるような「農民集体」の主体性を名実ともに発揮できる機能を認めることができない。

 分かりやすく言うと、「農民集体」が農村土地所有者だと言っても、実質的には無主地の状態を変えることができていない、ということである。この問題を解消するには、「農民集体」を法人化、法人規約を設け、構成員氏名の特定化、代表者をはじめとする役員氏名の特定を行うことであろう。これを当局は意識的に避けているようにも見える。なぜ避けるのか、断定はできないが理由はあるのではないか。そのために作ったはずの法律が「農村集体経済組織法」だと推測できる。

 ではなぜこのような法律を作ったのだろうか? その本当の理由を知る由もないが、大きなねらいの一つが、各種の農村集体経済組織についての罰則規定が多い点に見られるように(例えば、同法第7章:争議の解決と法律上の責任)、さまざまな土地権利の取引上発生している違法行為や不適切行為に対する取り締まり、あるいは予防的警告の役割をうかがうことができる。

 これまでも、現実的に生じている農村土地に関する農民間、組織間等の紛糾事案(中国の裁判所等のホームページで、その一部に過ぎないだろうが公開されている。筆者は約15年間、この種の紛糾事案を追いかけている)は依然として多く、しかも複雑化しているように思える。では、こうした紛糾事案をこの法律で減らせるかとなると、限界があると思う。

中国の土地制度には歴史的一貫性

 中国の土地制度の歴史に目を転じれば、井田制、屯田制、占田・課田制、均田制、漁鱗図冊制、永佃制、人民公社制、現在の農民集体制など転変が見られるが、人民公社制以後の土地制度が3700年間の土地制度とは根本的に異なると思われがちである。

 しかし王朝によって土地の国有制、公有制もあり、そして私有制もあり、永佃制の田底制と田面制の二主制に似た、所有権と使用権を分岐した現在の土地制度もあり、けっして本質的な変化を遂げたわけではない。変わったのは政治権力機構とその主体であり、土地税や小作料がなくなったことである。王朝の土地税や小作料は農民の生活を奪うほど厳しいものであった。民国期になると孫文の「土地は耕す者が所有する」という政策、地租を37.5%に減額する減租政策の登場(実際に実現することはなく、共産党の土地改革政策に引き継がれた)、新中国の誕生、史上初めての2005年の農業税廃止が農民の負担を軽減することに貢献したことは大きな変化である。

 しかし、その直後も現在も、農業所得だけでは農民の生活を豊かにすることは実現できていない。納税義務負担は大いに減ったが、出稼ぎ所得がなければ生活は成り立たないし、都市住民との所得格差も大きい。その意味では、中国の農村土地制度はなお未完成と言ってもよいだろう。

 土地制度が社会主義的であるかどうかという問題が、政治権力機構が社会主義的であるかどうかに依存してしまっていることが、現在の土地制度の実質を見失わせ、問題を無くせない理由なのではあるまいか。


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