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【25-22】IMFの通貨と地政学的要因に関する論考

2025年09月29日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 国際通貨基金(IMF)は2025年9月12日に、世界の貿易建値通貨と地政学的要因に関するワーキングペーパーを公表した。人民元の状況が一つの焦点となっている。今回は同ペーパーの内容について概観してみたい。

ドル、ユーロ、人民元

 今回のワーキングペーパーは「分断する世界経済における国際貿易建値通貨のパターン」("Patterns of invoicing currency in global trade in a fragmenting world economy")と題され、Emie BozなどIMFの3名と、Anja Brüggenなど欧州中央銀行(ECB)の3名、計6名のエコノミストが共同で執筆している。建値通貨(invoicing currency)とは国際貿易において、商品の値段がどの通貨で表示されているかということであり、国際貿易がどの通貨で決済されているかを示す決済通貨とは異なる概念である。本ペーパーでは建値通貨と地政学的同盟との関係が分析されている。

 執筆者は、ECBの建値通貨のデータの他に、IMF、欧州復興銀行(EBRD)、アジア開発銀行(ADB)、国際決済銀行(BIS)などからデータを収集したほか、120カ国の政府当局や中央銀行に依頼してデータを収集した。現時点で国際貿易の建値通貨について、最も多くの国々を網羅し最新のデータを利用した分析といえる。

 本ペーパーでは1990年から2023年までにおける132カ国の輸出入の建値通貨のデータを分析している。本ペーパーの概略は次のとおりである。

 第1に、従来、ドルやユーロなど限られた通貨が建値通貨として支配的な地位を占めており、地政学的要因の出現によっても建値通貨のシェアは全世界レベルでは安定している。米ドルは引き続き国際貿易の建値通貨として支配的な地位を継続している。米ドルについては、世界の輸出全体におけるドルで建値されている輸出のシェアがアメリカに対する輸出のシェアを大きく上回っており、第三国間の取引で媒介通貨(Vehicle currency)として多く利用されていることを示している。一方ユーロは、多くのアフリカ国家とユーロ非利用のヨーロッパ国家の間で媒介通貨として使用されているが、世界輸出におけるユーロ建ての輸出の比率とユーロ地域向けの輸出の比率はほぼ同じ大きさである。これはユーロが第三国間での媒介通貨としてではなく、主にユーロ地域向け輸出で使用されていることを示している。なお、本ペーパーでは通貨発行国ではない第三国間の取引に使用される通貨を媒介通貨と呼んでいる。

 第2に、人民元の国際取引の建値通貨としてのシェアは依然としてそれほど大きくはない。同時に、その役割は2010年代初頭から着実に拡大し、ここ数年間は急速に伸びている。世界輸出における中国向け輸出の比率は2000年以降大きく伸び、現在ではアメリカ向け輸出のシェアと肩を並べるまでになっている。中国は全ての地域にとって重要な輸出先となっているが、特にアジア、アフリカ、ラテンアメリカにとって重要になっている。人民元建値の輸出取引のシェアはまだ小さいが、2010年以降少しずつ拡大してきた。拡大は当初アジア中心だったが、徐々にヨーロッパやラテンアメリカなど他の地域にも広がっている。ただし、人民元はいまだ媒介通貨すなわち第三国間の建値通貨として広くは使用されていないようである。この推論は、ドルやユーロの場合と比べて世界輸出に占める人民元建値の輸出シェアが中国向け輸出のシェアを大きく下回っていることからも支持される。

地政学的要因

 続いて、地政学的要因に関する分析により、以下が指摘されている。

 第3に、地政学的にみてアメリカとの関係が遠い国々で、意外なことにドルが媒介通貨として広く利用されている。これらの国々は大部分が新興市場国や発展途上国であり、先進国と比べてより米ドルを建値通貨として使う傾向がある。ただしこれらの国々は、世界貿易において小さなシェアしか占めていないので、そのドル建値の輸出額はアメリカとの関係が近い国々と比べて小さなものにとどまっている。アメリカとの地政学的関係が遠い国々での媒介通貨としてのドルの利用は、ロシアを中心とした少数の国々が主な原因となって2010年代初頭から減少してきている。ユーロについては、ユーロ地域との関係が遠い国々の間での媒介通貨としての利用は非常に少ない。

 第4に、地政学的な遠近が貿易建値通貨の選択において重要な要因となってきている。今回の分析期間全体にわたって、米ドルとユーロの貿易建値通貨としての利用は地政学的同盟関係と秩序だった関係は存在しなかった。対照的に、人民元は同期間にわたって、地政学的に中国に近い国々により多く利用されてきた。地政学的理由で課される関税や、補助金、直接的な貿易に対する制裁は輸出パターンを変化させ、それに従って建値通貨も変化させる。ロシアのウクライナ侵攻以降、米ドルとユーロのパターンは変化し、その利用とアメリカやユーロ地域との地政学的な距離の間には負の相関関係がみられるようになった。アメリカとユーロ地域から地政学的に離れることとなった国々は、米ドルやユーロの利用を人民元や自国通貨あるいは第三国通貨に代替し始めた。逆に、2022年以降中国との距離が広がった国々では、自国通貨や第三国通貨の利用を減らして、米ドルを使う傾向がみられる。これらの動きは、国際貿易の建値通貨が地政学的要因によって分断されつつあることを示しており、アメリカに接近した国々ほど中国から離れている。

建値通貨における世界分断の危機

 本ペーパーの結論部分では、全体を要約し、以下のように述べている。全世界レベルでは、建値通貨のパターンは近年に至るまでおおよそ安定して推移している。人民元の国際貿易建値通貨に占めるシェアは依然として控えめであるが、2010年代初めから当初はアジア中心に、その後はその他の地域でも急速に伸びてきている。地政学的な関係の距離と建値通貨の選択の関係は特に2022年のロシアのウクライナ侵攻以降深まっている。米ドルとユーロの利用は地政学的同盟関係と秩序だった関係性をほとんど示していないが、人民元は地政学的に中国と近い関係にある国々でより多く使われるようになっていた。さらに、2022年以降は、米ドルとユーロの利用が、アメリカやユーロ地域との距離とより大きく負の相関を示すようになってきている。アメリカやユーロ地域と地政学的に離れている位置づけの国々では人民元、自国通貨、第三国通貨が米ドルとユーロの代替としてより多く使われ始めている。中国との地政学的な関係がより近づいている国々でも米ドルは自国通貨や第三国通貨で代替されてきている。以上の事実は現在の支配的な通貨である米ドル及びユーロの頑健性を示すと同時に、地政学的要因による建値通貨のパターンの分断が生じ始めていることを示している。

 本ペーパーは国際通貨の世界において、人民元が急速に台頭し、分断が生じつつあることに警鐘を鳴らしていると言えよう。

(了)


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