【17-05】桜の道を歩み、科学技術の実を結ぶ
2017年 7月19日
楊保志(風生水起);広東省科技庁科技交流合作処副調研員
河南省潢川県出身。入学試験に合格し軍事学校に入学。26年間、軍務に就き大江南北を転戦し、その足跡は祖国の大好河山に広くおよび、新彊、甘粛、広東、広西、海南などの地域で銃を操作し弾を投擲した。メディア、組織、宣伝、人事などに関する業務に長年従事し、2013年末、広東省の業務に転じた。発表した作品は『人民日報』『光明日報』『中国青年報』『検査日報』『紀検監察報』『法制日報』『解放軍報』『中国民航報』などの中央メディアの文芸・学術欄に、また各地方紙、各軍関連紙軍兵種報紙にも掲載され、『新華文摘』『西部文学』『朔方』などの雑誌や、ラジオ、文学雑誌にも採用され、“中国新聞賞”文芸・学術欄銀賞、銅賞をそれぞれ受賞し、作品数は500篇に迫る。かつては発表を目的に筆を執っていたが、現在は純粋に「自分の楽しみ」のためとしている。
この世の中には「縁」がきっかけとなることが大変多く、努力すればそれをつかむことができ、努力を怠ればつかみ損ねることになるかもしれない。このように原因と結果とはいつもつかず離れずの関係にある。
2015年末、私は幸運にも日本の「さくらサイエンスプラン」の中国科学技術行政官員交流プロジェクトの訪日団の一員となることができ、一連の中日科学技術交流協力の成果を促進することができた。
「さくらサイエンスプラン」は、科学技術振興機構(JST)が2014年にスタートさせた。2012年、いわゆる「島の問題」が原因で、中日関係は冷え込み、有馬朗人氏や冲村憲樹氏ら中日友好を訴える日本の科学技術界の人々は心を痛めた。そして、こうした一部の問題が中日交流に与える影響を最小限に抑えるため、各関連機関の間の調整を経て、同プランは2014年になってようやく始動することとなった。その間、日本のノーベル賞受賞者や著名な経済、社会、科学技術などの団体の責任者十数人が支持を表明し、最終的に「さくらサイエンスプラン」の実施にこぎつけることができた。
同プランは日本側が全額負担し、アジアの青少年が日本の教育機関や科学研究機関、企業などを短期で訪問し、日本の青少年や各最先端分野の科学者、研究者などと、科学技術交流を展開する国際交流活動で、現在では35の国・地域をカバーしている。そして、産学官の緊密な連携により、優秀なアジア地域の青少年が日本を短期で訪問し、未来を担うアジア地域と日本の青少年が科学技術の分野で交流を深めることを目指している。私は中国の科学技術部とJSTが取り決めた「中国科学技術行政官員交流プロジェクト訪日団」のメンバーとして訪日し、日本の科学技術界の発展の現状を自分の目で見ることができるという本当に貴重な機会を得ることとなった。
2015年11月4日から11日まで、私たちは東京や京都、大阪などを訪問し、日本の科学技術イノベーションや社会ガバナンスの分野の卓越した成果に焦点を絞り、見学することができ、日本についてまた新たな発見ができた。私は日本の社会は規則や秩序を重視し、一人ひとりが内面的資質に非常に重きを置き、真剣に仕事に取り組み、誠実で、控えめで、まじめで、非常に礼儀正しく人に接すると感じた。7日間の訪日で、私はそれまでの日本の社会に対する暗く、曇ったイメージを払しょくし、中日友好は一つの大きな流れであり、中日が今後も引き続きその友好を強化させ続けることが人々の望みであり、中日友好の促進を望む日本人も数多くいることをより一層確信した。「さくらサイエンスプラン」は2014年からそのような重責を担い、多くの苦難を経験し、紆余曲折したものの、それを実現させてきた。これが、私が今回の訪日で得た1つ目の成果だ。
私が日本を訪問して得た2つ目の成果は、近畿経済産業局との科学技術分野における協力だ。今回の「さくらサイエンスプラン」による訪日期間中、JST中国総合研究交流センターの米山参事役の協力と許可を得て、私たちは大阪で近畿経済産業局の浅井部長らに面会することができた。私は当時、広東省科学技術庁科学技術交流合作処の処長だった曾路氏や広東省科学技術合作研究促進センターの袁艷氏とともに日本の同業者と顔を合わせて議論し、環境保護や省エネルギーの分野で科学技術協力を展開していくことに合意した。
この世における「成功」とは用意周到な人のために取り置かれているかのようだ。業務を加速させ、2017年度広東省国際科学技術協力プロジェクトの届け出に間に合わせるために、2016年1月下旬、近畿経済産業局は最大の誠意を示して、広州や広東省科学技術庁に職員を派遣し、協力に関する話し合いを行い、最終的に2016年3月16日に協力に関する枠組み協議を調印することを決めた。調印セレモニーには、広東省科技庁から楊軍副庁長が、近畿経済産業局からは浅井亨通商部長が出席し、協議書の調印を行った。双方は、2017年から3年間、環境保護・省エネルギーの分野で密接な協力を展開し、広東省の企業と日本の関西地区の企業、大学、研究機関が実務的な協力展開を推進することに合意した。広東省は2017年から、協力プロジェクトを省級国際科学技術協力計画に盛り込み、資金面でのサポートを行う。協議書の調印により、双方の企業家や科学研究人員が協力し合う基礎を築くことができ、広東省と日本の関西地区の科学技術産業協力が実施段階に入ったことになる。当日行われた技術マッチング会では、中日の企業や科学研究機関の代表約40人以上が、約3時間にわたって1対1の技術に関する面談を行い、中日の科学技術協力が幕を開けた。約1年間の努力を経て、中日双方の企業や科学研究機関は、ついに広東省の2017年度協同イノベーション分野の国際科学技術合作プロジェクトに共同での届け出を実現し、届け出た企業約40ペアのうち、省エネルギー・環境保護の分野が13ペアにのぼり、さらに8プロジェクトが重点国別の審議に選出され、最終的に3プロジェクトが広東省2017年度科学技術資金援助を受けることになった。各プロジェクトへの支援額は100万元(注:2014年から、広東省競争性科学技術プロジェクトは、事前に翌年のプロジェクトの届け出を行っている)。
写真1 協議書の調印を行った広東省科学技術庁の楊軍副庁長と日本の近畿経済産業局の浅井亨通商部長
また、私たちは、日本の同業者や関連企業、科学研究機関が広東省各地と科学技術協力を行うよう積極的に推進している。2016年12月に開催された中国(東莞)国際科学技術協力ウイークでは、当組織の紹介を経て、佛山早稲田科技有限公司が「中日環境保護・省エネルギー協力館」を設置し、「中日省エネルギー・環境保護科学技術フォーラム」を行った。多くの中日の環境保護企業が同フォーラムに出展、参加し、開催期間中、多くの来場者が見学や相談を行い、多くの中日協力プロジェクトのマッチングが成功した。例えば、公益財団法人・地球環境センターと広東省科学技術協力研究促進センターのプラットホーム協力プロジェクトや日立造船と広東省の提携企業の高性能水処理新材料協力プロジェクト、オプテックスと広東の提携企業の携帯式水質測定器協力プロジェクト、住友電工と広東の提携企業のスマートエネルギーコミュニティ建設プロジェクトが中日部長級会議の調印プロジェクトに選出され、2016年12月に中国国家会議センターで調印が行われた。
写真2 「2016中国東莞国際科学技術協力ウイーク」の中日省エネルギー・環境総合フォーラムでスピーチする広東省科学技術庁科学技術交流合作処の元処長で、広東省科学技術サービス業研究院の現院長である曾路氏
中国には、「サクランボはおいしいが、その木を栽培するのは難しい(良い結果を見るのは楽しくても、それを得るための過程は容易でないという意味)」という言葉がある。日本の科学技術界と広東省の科学技術庁は科学技術の分野の協力を1年間実施して、多くの成果を収めることができたのは、双方が共に努力している結果であるばかりか、その背後にある「さくらサイエンスプラン」という無形の後押しがあったためだ。つまり、「さくらサイエンスプラン」のサポートがなければ、私たちの日本訪問もなく、同プランの協力、サポート、バックアップがなければ、今日の中日協力の際立った成果もなかったということになる。同プランが、中日科学技術交流の提携にきっかけを作り、大きな成果を次々収めていることは、同プランの目的とも一致しており、また私たちに中日交流の非常に明るい未来を見せてくれた。こうした善意に基づく協力は信頼に値し、希望のために払われている全ての努力は期待に値すると、私たちに確信させてくれた。「心もなく花を植えてもうまく咲かないが、心を込めて柳を植えれば柳は茂って蔭を作ってくれる」という言葉がある。中日友好は常緑樹のようで、「さくらサイエンスプラン」が肥料を与え、水を与え続けることで、成長していくことだろう。
写真3 2015年11月、日本の企業を訪問した「さくらサイエンスプラン」の参加者