林幸秀の中国科学技術群像
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【21-01】【現代編2】テレンス・タオ~若き中国系数学者

2021年01月15日

林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)氏
公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長兼上席研究フェロー 国際科学技術アナリスト

<学歴>

昭和48年03月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

昭和48年04月 科学技術庁入庁
平成15年01月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成16年01月 内閣府 政策統括官(科学技術政策担当)
平成18年01月 文部科学省 文部科学審議官
平成20年07月 文部科学省退官 文部科学省顧問
平成20年10月 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 副理事長
平成22年09月 独立行政法人 科学技術振興機構 
            研究開発戦略センター上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年06月 公益財団法人 ライフサイエンス振興財団理事長(現職)
平成31年04月 同財団 上席研究フェロー(兼務)
令和 2年09月 国立研究開発法人 科学技術振興機構
            中国総合研究・さくらサイエンスセンター特任フェロー(兼務)

 中国人には、歴史的に華僑などで国外に移住し現地で成功を収める例が多く、その子孫が科学技術方面で活躍した人もいる。このコーナーでは、国籍は中国ではないものの中国人の血を引く優秀な科学者も積極的に取り上げたい。今回は現代編(現役で活躍する人物)の二回目として、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した中国系オーストラリア人のテレンス・タオについて述べる。

生い立ち

 テレンス・タオ(Terence Tao、陶哲軒)は、1975年にオーストラリアのアデレードで生まれた。アデレードは南オーストラリア州の州都で、南極海に面するセント・ヴィンセント湾に位置している。

 父親の陶象国は上海出身で、香港大学の医学部に学び小児科医となった。母親は香港人で、陶象国と香港大学で知り合い結婚した。母は香港大学で天体物理学と数学の学位を取得し、数学と物理の教師であった。テレンスが生まれる3年前の1972年に、香港からオーストラリアに移住している。

教育

 タオは幼い頃から並外れた数学的能力を示し、8歳で米国の大学入学テストの一つであるSAT(Scholastic Assessment Test、大学能力評価試験)の数学セクションを受験し、800点満点のところを760点という驚異的な成績を残した。その後9歳で、飛び級によりアデレードにあるフリンダース大学に入学し、本格的に数学を学んだ。フリンダース大学在学中の1988年に、13歳で数学オリンピックで金メダルを獲得している。ちなみに、宇宙飛行士で日本未来館館長の毛利衛氏はこのフリンダース大学で学び、1976年に博士号を取得している。

 タオは、1991年にフリンダース大学で学士号、1992年に同大学で修士号を取得し、米国のプリンストン大学に留学した。そして、20歳となった1996年には同大学から博士号を取得している。

数々の国際賞を受賞

 博士号を取得の後、タオはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の助教授となり、2000年には正教授に昇任した。24歳であった。

 この頃からタオは、次々と数学分野の国際賞を受賞していく。2000年には偏微分方程式などの研究によりギリシャ人数学者ラファエル・サレム(Raphael Salem)にちなむフランスの数学賞であるサレム賞を受賞した。その後、2002年に米国の数学会によるボッチャー賞、2003年に米国クレイ数学研究所によるクレイ研究賞、2005年に米国数学会によるコナント賞、2005年にオーストラリア数学会賞を受賞した。

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テレンス・タオ

フィールズ賞受賞

 そして2006年31歳の時に、数学者における最高栄誉であるフィールズ賞を受賞した。受賞理由は、偏微分方程式,組み合せ論,調和解析,加法的整数論への貢献であった。フィールズ賞は、カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ (John Charles Fields) の提唱によって1936年に作られた賞であり、40歳までの若い数学者の優れた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的としている。4年に一度開催される国際数学者会議 (ICM) において、2名以上4名以下の数学者に授与される。日本人の受賞者は、小平邦彦(1954年)、広中平祐(1970年)、森重文(1990年)の3人であり、タオは中国系としては丘成桐(Shing-Tung Yau、香港出身の米国人、1982年)に次ぐ受賞であった。

数学的な業績

 これまでの代表的な成果を挙げると、2004年に英国オックスフォード大学のベン・グリーン教授との共同研究により、「素数の集合の中には任意の長さの等差数列が存在する」とするグリーン・タオの定理を発見した。

 フィールズ賞受賞後の2012年には、「全ての3以上の奇数は高々5個の素数の和で表せる」とするゴールドバッハ予想の一つを解決した。さらに2013年には、素数が極端に偏ることなく分布することに関する素数の新定理を発見している。この様に現在も、タオは世界の数学界に多大な貢献を続けており、2019年の時点で、350近くの研究論文と18冊の本を出版している。

中国本土との関わり

 2009年、タオは初めて父祖の地である中国本土を訪れた。目的は、同じくフィールズ賞を受賞している丘成桐ハーバード大学教授の名を冠した「丘成桐中学数学賞」の最終審査委員として審査に参加したものである。その際、清華大学で学生達を前に講演をすると共に、人民大会堂において前教育部長で全人代常務委員会副委員長であった陳至立(女性)と会見している。

参考資料

  • ・陶哲軒『教你学数学』人民郵電出版社 2017年
  • ・『Annual report, Australian Academy of Science 2008』
  • ・"Journeys to the Distant Fields of Prime" The New York Times Kenneth Chang 13 March 2007
  • ・"素数の新定理発見 極端な偏りなく分布 米英数学者「夢のような成果」" スポーツニッポン(2014年2月26日)