林幸秀の中国科学技術群像
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【21-34】【現代編11】アンドリュー・チーチー・ヤオ~世界の計算機科学を牽引

2021年12月20日

林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)
国際科学技術アナリスト ライフサイエンス振興財団理事長

<学歴>

昭和48年3月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

平成15年1月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成18年1月 文部科学省 文部科学審議官
平成22年9月 独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年6月 公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長(現職)

はじめに

 2021年6月、中国人科学者のアンドリュー・チーチー・ヤオに京都賞が授与されると発表された。ヤオは中国大陸の生まれであるが、米国で博士号を取得し研究成果のほとんどは米国でのものであり、また台湾、香港などともつながりが強い。今回はこのアンドリュー・チーチー・ヤオ(Andrew Chi-Chih Yao、姚期智)を取り上げたい。

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アンドリュー・チーチー・ヤオ

生い立ちと基礎教育

 ヤオは1946年上海に生まれた。当時は、日本軍が第二次世界大戦に敗北して中国大陸から撤退し、国民党と共産党が内戦を繰り広げていた時期である。この国共内戦は共産党の勝利となり、1949年に中華人民共和国が建国され、蒋介石率いる国民党とその関係者・支持者は台湾に逃れた。幼なかったヤオは、家族とともに香港を経由して台湾に渡り、そこで基礎教育を受けている。

 1967年にヤオは、台北市にある国立台湾大学で物理学修習による学士号を取得している。国立台湾大学は、日本統治時代の1928年に台北帝国大学として設立され、戦後、現在の名称に変更された。

米国留学と博士号取得

 学士号を取得の後、ヤオは米国のハーバード大学に留学し、1972年に同大学より物理学の博士号を取得した。ヤオはその後イリノイ大学に移り、1975年に今度は計算機科学で同大学より二つ目の博士号を取得した。

 イリノイ大学は、イリノイ州中部のアーバナ市とシャンペーン市に立地する州立大学であり、筆者も1977年一年間この大学に留学し修士号を取得している。ハーバード大学など私学優位の米国で、州立大学としてトップクラスにあるのはカリフォルニア大学やミシガン大学であるが、イリノイ大学は近くのウィスコンシン大学やパデュー大学などとともに次のレベルの大学である。ただ米国の場合、大学全体のレベルと個々の学科・学部のレベルとでは異なる場合が多く、イリノイ大学も工学部に優れた学科を多く擁し、計算機科学、土木工学などは全米トップレベルと言われている。また、これまでに世界でノーベル物理学賞を二度受賞した科学者は、米国のジョン・バーディーン(John Bardeen)博士だけであるが、同博士が二度目の物理学賞の受賞対象である超伝導の理論を研究したのは、このイリノイ大学の教授在籍中である。

米国の著名な大学で計算機科学理論を研究

 二つ目の博士号取得の後、ヤオはマサチューセッツ工科大学(MIT)助教(1975年)、スタンフォード大学助教(1976年)、カリフォルニア大学バークレー校教授(1981年)、スタンフォード大学教授(1982年)を経て、1986年にプリンストン大学コンピュータ科学科の教授に就任した。

 この華麗なる職歴において、ヤオは「計算と通信の革新的な基礎理論の構築により、情報科学における新たな潮流を作り出し、暗号や量子計算などの最先端研究にも多大な貢献を果たすとともに、セキュリティ、秘密計算やビッグデータ処理などの現代社会における実問題にまで影響を与え続けた(後述する京都賞の受賞理由より引用)」。

著名な国際賞を獲得

 ヤオは、京都賞以外にもいくつかの著名な国際賞を受賞している。1996年にヤオは、計算機科学の基礎に対する優れた貢献に贈られるクヌース賞の第一回目の受賞者となっている。この賞は、米国の計算機科学者でアルゴリズム解析など計算理論の発展に貢献したドナルド・エルビン・クヌース(Donald Ervin Knuth)を記念した賞である。

 続いて1999年にヤオは、チューリング賞を受賞する。同賞は、計算機科学分野の国際的な学会であるACM(Association for Computing Machinery)が、同分野における重要性を持つ主要な業績に対して授与するものであり、理論計算機科学や人工知能の重要な創始者とされる英国の計算機科学者アラン・チューリング(Alan Mathison Turing)の名に由来する。

 そして今回の京都賞である。京都賞は、1984年に京セラの創業者である稲盛和夫が設立した公益財団法人稲盛財団が毎年授与している日本発の国際賞である。京都賞には、先端技術、基礎科学、思想・芸術の3つの部門があり、ヤオが受賞するのは先端技術部門である。京都賞受賞後にノーベル賞を受賞した科学者はこれまで8名にのぼり、日本人では赤崎勇(2009年、先端技術)、山中伸弥(2011年、先端技術)、大隅良典(2012年、基礎科学)、本庶佑(2016年、基礎科学)の4名となっている。

新中国へ回帰

 2004年、ヤオは中国科学院の外国籍院士に選任されたことを契機に、新中国との関係を深めていった。ヤオは、プリンストン大学の地位をなげうち、清華大学高等研究センターの教授に就任した。翌2005年、ヤオは香港中文大学の教授も兼任した。2011年には、清華大学に学際的情報研究院が設置され、ヤオはその院長となった。

 さらに2015年にヤオは、ノーベル賞学者の楊振寧 とともに中華民国籍と米国籍を放棄し、中華人民共和国国籍を取得した。これにより両名は、中国科学院の外国籍院士でなくなったため、中国科学院は2017年に両名を改めて通常の院士に選任している。

 2020年には、上海市が主導して人工知能や量子コンピュータなどを研究する「上海期智研究院」が開設された。ヤオの名前「期智」を冠した研究所であり、ヤオはその院長を兼務している。

 なお、中国にはヤオのように米国で教育を受けや研究生活を送ったトップ研究者が多いが、トランプ米国前大統領の登場以来、中米間の科学交流には暗雲が垂れ込めている。これが長期間続くことになると、中国の科学技術の進展にも大きな影響が出る可能性がある。

参考資料