【12-004】上海時代の思い出
鈴木 廣志(昭和電工株式会社研究開発本部戦略マーケティングセンター長) 2012年12月 7日
1.カレーライス
私は、2003年8月から2006年7月末までちょうど3年間、上海にあるグループ企業の商社に董事長として勤務しました。それまでは、国内で技術系の営業職が長く、赴任の話を聞いたときは、晴天の霹靂のような印象を持ちました。
赴任先は、2001年頃正式に発足した新しい会社で、半年すると、もう一人いた日本人駐在員が帰国してしまい、社員20名の中で、日本人は自分一人になってしまいました。日本語を話さない社員が三分の一位いて、経理・財務のスタッフも日本語を話さなかったので、財務諸表や商売の取引条件の確認など、必要に迫られる形で中国語を覚えました。
現在も上海の動きは活発ですが、赴任していた2000年代前半は高度成長のまっただ中で、特に変化が激しい時代でした。
住んでいたマンションの近くに、世紀スーパーというマーケットがあり、ある日、そこで日本製のカレールーを見つけました。早速購入し、その日の夕食は、家で日本米を炊き、カレーを作って食べました。
持っていた辞書で調べると、カレーのことは中国語で「咖喱」(gali、ガーリー)、または「加哩」(jiali、ジァリー)と呼ぶらしい、と判りました。
翌日、部屋の掃除をお願いしていた上海人のおばさんに、たどたどしい中国語で、「夕べはカレーを作って食べました」と話したところ、これが全く通じないのです。呼び方が二通りあるので、両方試してみたのですが、だめでした。後で判ったのですが、当時、上海の庶民はカレーを食べる習慣がなかったのです。確かに、広いスーパーの陳列棚で、カレールーが占めていた割合は、ある棚の最下段の三分の一程度でした。
ところが、その後、上海の庶民にも、カレーライスは急速に浸透しました。帰国間際になると、街にはカレー専門店が登場し、スーパーの棚も3段分くらいを占拠して、各地のさまざまなメーカーのカレールーが並べられていました。中国の変化の速さは、食生活の面でも現れていたのです。
2.すべてを失った夜
色々と楽しい思い出が多かった駐在生活でしたが、一年が過ぎて少し慣れた頃、最大の失敗をしでかしました。
ある日曜日の夜に、浦西地区の中山公園のそばにある飲み屋で、友達と痛飲した帰りに、大型の財布を落としてしまったのです。タクシーから降りるときに気がついたのですが、後の祭りでした。
財布と言っても、中にはパスポート、居留証、日中両国の通貨、マンションの鍵、クレジットカードなど、中国における財産の大部分が入っていました。幸い小銭入れがあったので、タクシーの支払いは済ませて降り立ったのですが、酔いはどこかに吹き飛んでいました。
マンションの隣にホテルがあり、何とか泊めて貰いました。だだっ広い部屋のベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を眺めたとき、「異国の地ですべてを失うというのはこういうことか」と思いました。
翌朝、会社へ電話して、中国人の総経理に「これは絶対秘密でお願いします」と前置きして、これからどうしたらよいのか、について相談しました。と言うのは、その週末の土曜日には、日本で親戚の結婚式に呼ばれており、それまでに何としてでも、帰国しなければならなかったからです。
マンションの部屋を合い鍵で開けて貰い、その後、昼前に恐る恐る会社に行って驚きました。既に私の失敗は、社員全員が知っていたのです。口々に「鈴木さん、大丈夫ですか」と慰めて貰ったとき、つくづく中国は恐ろしい国だと思いました。あれほど秘密と言ったのに!
結局、社員皆さんの助けを借りて、警察で居留証の遺失届を提出し、上海の日本総領事館で帰国のための出国用ビザの発行などの手続きを済ませ、金曜日の最終便で一時帰国することが出来ました。
3.交友
帰国した頃、「貝と羊の中国人」(加藤徹著、新潮新書)という本が注目されていました。これは、中国社会の持つ二面性(本音と建て前)を著したもので、財産、経済活動に関する漢字の多くに「貝」の字がついている一方、正義、義理、犠牲、美徳など精神活動に関する漢字の多くに「羊」の字が含まれていると言う内容です。
同じ中国人の中に、この二面性が矛盾することなく内在していて、ある時は拝金主義に見える人が、次の瞬間には人格高潔な仁徳者に見えたりします。2で記した紛失事件以来、「鈴木は放っておくと危ない」と社員全員に認識されて、会社内の人間関係は随分と良好になりました。その中で、特に私の事を気にかけてくれた人がいました。
復旦大学を優秀な成績で卒業した人で、毎朝、彼が入れてくれる美味しいコーヒーを飲みながら、叡智に富んだ色々な話を聞くのが楽しみになりました。このようにして、彼とは次第に「貝」から「羊」の仲になっていったようです。
しかし、赴任後3年になろうとしていた5月に、日本へ帰る話が持ち上がりました。不思議なもので、その話を聞いたとたんに、自分の周りが透明なカプセルで覆われた気がしました。
ようやく言葉を覚えて、上海の生活にもなじんで溶け込んでいたのに、突然、自分がよそ者に戻った気がしました。次の日に出社して、「毎日美味しいコーヒーを一緒に飲めなくなる」と言う話をしました。古来、人々の出会いと別れを繰り返してきた中国大陸の、数千年の星霜を超えた光が彼の澄んだ瞳に宿るのを見た気がしました。
帰任する一週間前に、一緒に西安に行って、土地の名産、羊肉パオモー(泡〓、食へんに莫という字)を食べながらお酒を飲んだことは、中国駐在生活最後の思い出の一頁となっています。