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【17-001】中国進出に成功した清酒のリーディング・ブランド

2017年 2月 3日 取材・執筆:高谷治美(アジア太平洋観光社)

 中谷酒造は中国・天津で日本酒造りを始めて早20年以上。日本中の酒蔵が中国市場に足を踏み入れられない中、現在同社は生産が追いつかないほどだ。中国で成功させた日本酒づくりを探る。

天津で醸される贅沢な酒

 奈良県大和郡山市の中谷酒造は中国で清酒の現地生産に成功している酒蔵だ。銘柄は『朝香』で、吟醸・大吟醸・にごり酒など豊富な種類があり、そのほとんどが米と米麹だけを原料に仕込んだ純米酒と徹底している。現在、醸造所のある天津のほか、北京、上海、広州など主要10都市に営業拠点を構え、数千店もの日本料理店と取り引きをしている。多種多様な輸入清酒が広がりを見せる中、安定した品質で手頃な価格の『朝香』は外せないアイテムとなっている。

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写真1 中国の会社と醸造所は天津市郊外の工業団地にある

 中谷酒造は嘉永六(1853)年、菅田村(現天理市)の在郷商人太兵衛より酒造株を譲り受けて創業した。米を蒸して造る伝統製法を守り、混じりけのない「純米」清酒にこだわりが強い。

 ところで、中谷酒造の日本の従業員数はわずか5人。典型的な地方の家族経営の酒蔵であるが、中国の関連会社天津中谷酒造有限公司の正社員は50名を超える。「商売の規模でも銘柄の知名度でも、日本と中国がすっかり“逆転〟している」と六代目当主中谷正人社長。

 中国での成功の背景には中谷社長の優位性があげられるだろう。蔵元を継ぐ前は総合商社に勤め、中国の事情通であったことと、中国語が堪能、中国法務にも長けていたなどだ。1993年にサラリーマン生活にピリオドを打った中谷社長は、中谷酒造に入蔵。南部杜氏の下で酒づくりの基礎を学び、天津に進出したのは1995年だ。「中国進出を狙うのなら、杜氏の経験と勘に頼る酒づくりからの脱却を図り、中国ビジネスの仕組みづくりをする」そう決意をして中国へ発った。

マニュアル化させた酒造り

 当時、日本の清酒業界に、中国ビジネスの実務経験を持つ人材はほとんどいない。中谷社長は頭の中にすばやく事業プランを描いた。「中国の華北地方には日本と同じジャポニカ米を栽培する地域がある。しかも、米価は日本とは比べものにならないほど安い。日本の和食のブームもくるだろう。そうしたら日本酒も出ていくはずだ。

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写真2 川蟹を飼って除草する遼寧省の水田

 中谷酒造ではこの米を専用の精米機で60%以下(純米吟醸。純米大吟醸は34%と39%)までぜいたくに磨き、清酒酵母を用いて醸造していった。まず、現地に住む日本人が和食の店で日本酒を好んで飲み始め、人気は的中した。

 酒造りには、コンピュータ制御で自動運転させる精米機や吟醸づくりに適した環境を自由に設定できる製麹機など最新鋭の日本製マシンを導入。コメの蒸し上がりを規定通りにするために吸水前の米の水分含有量を測定し、それに合わせて吸水後の重量を計算、その上で吸水試験をして水につける時間を決め、決められた圧力の蒸気で決められた時間だけ米を蒸す。吸水時間の予測を立てるため、気温、水温、天気もその都度記録し、その後の年に役立てていく。発酵もろみも毎日分析し、発酵状況を把握した。加えて数値に基づいて管理し、作業することを従業員に徹底させたのだ。酒造りは酵母菌という生き物相手なので、数値管理の想定を超えることもある。その修正は社長の出番。営業に関しても、社長自ら日本料理店を一軒一軒訪ねて回る地道な活動を続けている。

 これまで20年の間には、水処理など製造の苦労や反日デモで出荷量が激減したこともあったので、一筋縄ではいかなかっただろう。それでも現地中国人スタッフとの信頼関係を築き邁進している。

 日本ではなく中国に市場を求めた中谷社長の経験から、学べることは多いはず。自分の優位性をよく分析し、視野を広げて突き進む。

 「中国で本物の日本酒を造る」ことにこだわり続けた中谷社長のチャレンジ精神こそ、これからの日本のモノづくりが追随していくべき姿勢だろう。

INFORMATION

中谷酒造:嘉永六(1853)年創業。佐保川の水運を利用して大坂を主たる市場とし、戦後の高度経済成長期にはいち早く東京市場を開拓。1995年には中国に関連会社天津中谷酒造有限公司を設立し醸造と販売を開始し清酒の味わいを広めている。

※出典:「中国進出に成功した清酒のリーディング・ブランド」『和華』第12号(2016年11月),pp.56-57,アジア太平洋観光社。