中国実感
トップ  > コラム&リポート 中国実感 >  【17-003】実務と忍耐が生んだ「残存者利益」―杭州のある日系紡績加工企業の模索

【17-003】実務と忍耐が生んだ「残存者利益」―杭州のある日系紡績加工企業の模索

2017年 3月 6日

王 淅

王 淅

略歴

 中国四川省出身。16年間の日本での勤務経験を持つ日本の中小企業診断士。来日前は大学の英語講師や政府機関の外資誘致担当、某香港企業の管理職等に従事。来日後は、米 誌フォーチュンが毎年発表している世界トップ企業500社に名を連ねる日本大型精密器械製造会社やIT会社で勤務し、海外市場開拓を担当。2010年にコンサルティング事務所を立ち上げ、2 011年4月から2014年3月まで日本独立行政法人中小企業基盤整備機構中部本部の海外投資顧問就任。2014年から現在まで日本貿易振興機構(ジェトロ)上海事務所投資顧問として上海勤務。

 紡績業はかつて中国が世界の工場だった時期の産業の柱で、80年代後期において日本企業の中国投資先ナンバーワンの産業だった。しかし近年、人件費や原材料のコスト高騰、環境保護の必要性、外部の市場の縮小などが重なり、紡績業は完全に衰退期に入っている。外資系企業の撤退の流れは中国全土に波及し、注文のほとんどがベトナムやパキスタン、インド、カンボジアなどの周辺諸国に流れてしまった。ジェトロが2016年に発表した調査によると、中国の日系企業の半数以上が中国業務の割合を引き続き拡大することを計画している。しかし、紡績製造業に限ってみると、拡張を計画している日系企業はわずか19.1%にとどまり、平均水準をはるかに下回った。

 中国で製造業に従事するのは容易ではなく、日系企業の場合、その難易度はさらに上がる。80年代末から90年代初めにかけて、人件費が高騰する日本国内から中国に移った日系企業は、中国の豊富で廉価な労働力に惹かれてやって来た。そのため長期間にわたり、ほとんどの日系企業、特に紡績製造業の経営スタイルは加工貿易型、つまり日本を含む海外から受けた注文を、中国で加工し、それを輸出して、加工費を利益として得ていた。しかし、人件費などのコストの高騰や為替レートの変動、海外市場の需要の低下などが生じると、加工貿易スタイルはたちまち行き詰まりを見せた。近年、依然としてこのスタイルを維持し続けている日系企業も少なくないが、中国国内の市場開拓への転換を試みている企業もいる。しかしすべての物事には長いプロセスが必要であり、人材と経験が不足している状況において、その結果は火を見るよりも明らかである。そのため現在、日系企業の紡績製造業の販売は輸出の割合が依然として平均約70%以上となっている。

図1

(ジェトロ発表の「2016年度アジア・オセアニア進出日系企業実態調査 中国編」によると、
事業拡大を志向する紡績製造業の日系企業はわずか19.1%と、平均水準をはるかに下回る。)

 ほとんどの企業が大いに苦戦している中、浙江省杭州市にその流れに逆行し、業績を大きく伸ばす日本人100%出資の紡績企業がある。杭州久積科技実業有限公司という名のこの会社は1992年に岐阜県で設立され、杭州に来たのは1998年のことだ。家庭用紡績品を専門に研究開発、デザイン、生産、販売を全て行う日系企業で、現在、中国に加工工場2ヶ所と従業員400人以上を抱えている。同社の最近3年間の売上額はそれぞれ1600万ドル(2014年)、1700万ドル(2015年)、2200万ドルで(2016年)、平均利益率10%以上を保ち、所有する総資産額は1億ドルに達している。20年以上の発展を経て、同社は家庭用紡績品業界において優位性を誇るようになり、最近杭州濱江区からは「骨幹企業」に認定された。

 日に日に衰退しつつある紡績製造業において、なぜ好調な業績を維持しているのだろう?この質問を、同社の創始者である久積三郎会長に投げかけてみると、「残存者利益」という一言が返ってきた。

 そんなに簡単なことなのだろうか?一部の企業が撤退し、残った企業が生き残るためのスペースは少し広がったかもしれないが、自然な淘汰の中で生き残った希少資源となるということは、実質的には受動的な構造を変えたことにはならないからだ。

 久積会長の言葉を少しずつ整理してみると、「残存者利益」は確かに存在しているが、このほかにも同企業には以下の特徴があることに気付いた。

 まず、リスクマネジメントというビジネスにおいて最も基本的な原則を堅持している点。同社には世界中から注文があり、商品は日本や中国、欧洲、米国、オーストラリア、中東などの国へ販売される。このスタイルも、模索を続けながら構築したもので、それにより同社は米国のリーマンショックや欧洲のアンチダンピング、人民元の高騰、日本市場の需要の変化などの危機を何度も無事乗り越えてきた。商品を見ると、寝具専門から、クッション、抱き枕、座布団、絨毯、毛布、ペット用品などの家庭用品を全面的にカバーするまでに発展している。久積会長は、「不安定なグローバル市場において、自分たちが生き残るためのスペースを確保するのは、経営者の一番の責任」と何度も強調していた。

写真

(左写真:2016年9月、会社の記念式典で従業員を前にスピーチする久積会長。右写真:杭州久積科技実用有限公司のビル。)

 次に、盲目的な拡張をしないないこと。これは、多くの日本の中小企業も守っている原則で、リスクを冒して会社を大きくし、商品の種類を増やすより、少なくても品質の高い商品を提供することを重視する。20年以上の発展を経て、他社ブランドの製品を製造するOEMメーカーから、自主ブランドを持つ家庭用品メーカーへと成長し、その間も同社は、紡績加工業をずっと続け、右に倣えとばかりに実店舗を構えたり、盲目的に他の業界に投資をしたりすることはなかった。長年のたゆまない努力と適度の規模を保つことで、経営リスクを抑えると同時に、得意分野をさらに特化させ、加工の分野で世界各国から異なる要求を受けた時に、その卓越した技術を武器に主導権を握っている。

 3番目に、自社の位置づけをしっかりと行い、変化に積極的な対応を見せている点も、杭州久積のコア競争力の一つだ。同社ははじめの頃、寝具とブランケットの加工だけを請け負い、注文は全て日本からで、商品、市場ともに単一的だった。その後、日本市場の需要が低下し、欧米や中東など日本以外の市場を開拓する必要性を認識し、商品もさまざまな家庭用品へと拡大していった。また、中国市場も開拓し、ちょうど近年の「日本旅行ブーム」による質の高い日本の商品が人気になった時期と重なって、多くの大型スーパーやeコマース業者から注文が殺到。短期間で中国市場のシェアが売り上げの約10%を占めるまでになった。久積会長によると、「今は世界中からの注文を受けるため、工場に繁忙期や閑散期は無くなった」という。重要なのは、商品の位置づけという点で、同社はZARAの経験を参考にし、ほとんどの人がついていけないほど高級路線を走ることも、ローエンド路線を走って価格競争に巻き込まれることもなく、中価格帯の市場に照準を絞って、オシャレなデザイン、機能性、品質を武器にし、さらに合理的な価格の商品を提供することで、評判を高め、顧客を獲得して来た。

写真

(杭州久積の展示ホールに展示されている各種家庭用品と加工場に展示されている各種家庭用品)

 4番目に、「日本の品質」に立脚点を置き続けている点が挙げられる。現在、日本の得意先からの注文が依然として全体の60%を占めている。これら得意先は、品質に対する要求がきわめて高く、少々の問題でも返品かやり直しが求められる。そして、日本の業界の慣習で毎年コストの改善も求められる。優れた品質を保証しながら、コストを削減し、さらに、それをコストが急騰している中国で実施していくというのは、二匹の暴れ馬の手綱を引きながら疾走するようなものだ。実際には、日本からの注文は利益率が最も低く、その6割は利益を出すのが難しいほどだ。それでも杭州久積はそれこそ歯を食いしばる思いで、ISO(国際標準化機構)の規格ISO9001、ISO14001、OHSAS8001の認証を取得し、2016年10月には、小野木科学技術振興財団からの表彰も受けることとなった。久積会長は、これは特に日本に対する特別な思いがあるということではなく、国際市場において日本の品質はまさに一流だという点に尽きると語った。商談の際に難しい注文を投げかけてくる海外のクライアントでも、彼らが長年にわたり取引を続けてきた日本企業の名や「久積」ブランドの日本市場における占有率などを聞くと、すぐに契約にサインするという。「日本の品質」を堅く守ることは、同社の技術上の優位性を保つと同時に、マーケティングにかかるコストの大きな削減にもつながっている。両者は、一見何の関係もないように見えるが、実際には一石二鳥の関係にあるのだという。

写真

(スタッフと共に商談会に参加する同社の久積美代子総経理(写真左)。)

 最後に、ヒューマンリソースという面で、同社は一貫してローカライズをすすめている。紡績業は労働密集型の業界で人件費の割合が高い。加えて中国はここ10年、その人件費が毎年約10%のペースで上昇し、そのペースは近隣の発展途上国を大きく上回っている。それでも、同社は各部署で可能な限り中国人スタッフを起用している。人材選抜の際にまず重視されるのが、人格や仕事に対する態度だ。同社の従業員の平均年齢は28歳と若く、帰国子女もいれば、地元の従業員もおり、研究開発からデザイン、製造、販売などの分野で重要な役割を担っている。同社には7つの部署が設けられており、管理上、合理的な内部競争を奨励し、やる気と責任感のある若い従業員と会社が共に堅実かつ一途に事を進め、発展し続けてきた。

 総じて言うと、杭州久積の発展の秘訣は、「リスクマネジメント、根気強さ、臨機応変なイノベーション」だ。既存のスタイルにこだわらない一方で、自社の経営指針を堅く守り、それを発展させている。また、特別に最先端の流行を追い求めることはないものの、時代に合わせて積極的に進歩している。このような実際的なものを重んじ、臨機応変で積極的な経営スタイルは、客観的に見ると、日系企業ではとても貴重な存在で、それは、久積会長のグローバルな視野と関係があると言えるだろう。久積会長は青年時代を中国で過ごし、北京大学で儒学教育を受けてから日本へ戻って就職した後、再び中国に来て起業した。杭州久積の経営において、中国文化の融通性や包容性と匠の精神を崇める日本文化がうまく融合されている。

 それでも、悩みは依然として多いという。近年、「汚水排出制限」や「石炭からガスへの移行」などの環境保護対策が、中国の紡績業にとっては、大きな打撃となっている。川上産業である印刷・染色加工企業の閉鎖や染料の高騰などの影響で、供給量が減少し、杭州久積のような川下企業は、「賢い主婦でも米がなければ飯は炊けない」という状態に陥っている。そのため、プリント生地への移行や染色加工から刺繍工芸への移行などを余儀なくされている。しかし、このような変化により、逆に商品が環境保護というコンセプトに一層マッチするようになっている。

 杭州久積の今後の発展計画について聞くと、久積会長は、「正直、私も10年後、そして20年後はどうなっているか分からない。今年でもう60歳。今すべきことを確実にこなし、スムーズに後継者に会社を任せられるようにしたい」と笑いながら話した。そして、「紡績加工業は難しいため、この業界から撤退したいと考えたことはないのか?」との質問には、「全くない」ときっぱり答え、「もし撤退したら、従業員やその家族が影響を受ける。それに、20年以上かけて、得意先を積み上げてきただけでなく、商品も日本各地の量販店で売られている。この業界には思い入れがあるので、撤退する気にはなれない」とした。

 久積会長のような日本の中小企業の創業者と交流すると、皆、逆境の中でもたゆまず努力して一つの事をやり続けるという共通点があることに気付く。軽はずみにやめることを考えるのではなく、突破口を見出すために模索を続け、薄氷の上を歩くかのように、慎重に自分の会社にとっての難関を一つずつクリアしていく。「残存者利益」は決して偶然に発生するものではない。その背後にある一つのことをやり続けるという精神は、日本においても、中国においても、一つの業界の発展を支える基礎なのだろう。


※本稿は王淅「"剩者为王"的务实与坚持」客観日本(2017年02月07日)を日本語に翻訳のうえ転載したものである。
http://www.keguanjp.com/kgjp_qiye/kgjp_qy_zhrq/pt20170207111117.html