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【19-011】中国のブックカフェの斬新さとビミョーな感じ

2019年8月20日

中村 正人(なかむら まさと): 『地球の歩き方』編集者

中国のカフェめぐりが趣味で、各地を歩いている。お気に入りは、大連にある「瀋小姐的店」というレトロカフェ。『中國紀行CKRM』に「中国東北地方の今を歩く」を連載中。

最近、中国の地方都市に行くと、代官山の蔦屋書店を思わせるような、おしゃれなブックカフェが次々と生まれている。センスのいい生活雑貨なども販売されていて、お茶を飲みながら1日過ごせるのだが、EC全盛時代のいま、これで営業が成り立つのか心配になる。なぜいまブックカフェブームなのだろうか。

 中国のブックカフェがすごいことになっている。北京や上海、深圳などの先進都市だけでなく、地方都市にもハイセンスで斬新なブックカフェが増殖中だ。たとえば、江蘇省常州という上海から高速鉄道で1時間ほど離れた町でもそうだった。

 訪ねたのは、市内東部の開発区のショッピングモールに2018年にできたブックカフェ「光的空間」。日本の建築家の安藤忠雄氏が設計したものだ。

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「光的空間」の入口近くにはカフェスペースがある。ショッピングモール5階のレストランフロアにあり、安藤忠雄氏による現代美術館が隣接されている。

 店内に入って驚くのは、吹き抜けの広いスペースに天井まで届く巨大な書棚である。手前はステージのようになっていて、本を読みながらくつろげる椅子とテーブルが取り巻くように並んでいる。見た目の印象でいえば、ここは本屋というより劇場である。

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常州市の最新ブックカフェ「光的空間」の巨大な書棚。

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まるで大学の図書館のような「光的空間」の書棚のレイアウト。

 気になるのは、そもそもこんなに 高い書棚に置かれた本は手が届くはずもなく、ディスプレイの一部にしか思えないこと。目の高さの棚を眺めて歩くと、哲学書や歴史書、海外小説の翻訳書など、大学の図書館のような高尚なラインナップが多い。気のせいかもしれないが、日本をテーマにした文化案内書や村上春樹、東野圭吾などの作家の翻訳書が目についた。入口近くには、月刊誌『知日』のバックナンバーを並べた書棚もあったほど。だが、残念なことに、本を購入している人をほぼ見かけなかった。平日の午後でもあったが、市の中心部から車で20分以上離れており、単純に場所が悪いともいえる。

 中国ではなぜこのような書店が誕生しているのか。そもそも本の売上なしでどうやって経営を維持できるのか。それに答える前に、中国のブックカフェブームの歴史と背景について簡単に説明しておこう。

 中国でこの種の書店が最初に現れたのは上海で、1996年に開業した「漢源書店」が嚆矢とされる。中国で発禁処分にされた小説『上海ベイビー』(1999)の登場人物たちが出入りする文化的なスポットとして知られていた。一方、北京では2000年代初めに生まれた芸術区「798」に海外のアート関係書を置くブックカフェ「Timezone8」が現れている。ところが、その後、政治批評を含むアート表現に対する当局の取り締まりが厳しくなるのにともない、コアな人材が抜け出し、芸術区の大衆化が進んだことで、かつての中国独立系文化の拠点という位置付けからソフトな文化商品の発信地に変貌していく。受け皿となったのが、北京五輪前後に市内に続々と生まれた大型商業施設で、テナントとしてブックカフェが入店するようになった。2010年代前半でいえば、三里屯ヴィレッジの「PAGE ONE」や地下鉄6号線青年路駅前の大悦城にある「単向街(One Way Street)」、香河園路の文化地区「当代MOMA」にあった「Kubrick(庫布里克)」などが知られる。少し毛色の違うものとしては、蘇州で2009年に開業して全国チェーン展開している「猫的天空之城」のように、日本のアニメ文化に影響を受けた若者向けのブックカフェもある。

 これらの店は、西単の北京図書大廈のような大型書店とは違い、限られたスペースの中によくセレクトされた本や雑誌が置かれていたことから、当時の中国の都市に暮らす人たちの考え方やライフスタイルを知るうえで参考になった。売り場とつながっているカフェでは、毎週のようにカルチャー系のイベントが開かれるのも特徴だ。その後、売場に本以外の文化雑貨が置かれるようになった。いまや中国全土に展開中の「MUJI」に足を運ぶと、商品傾向がわかるだろう。ここでは生活雑貨と一緒に本が商品として置かれている。

 こうしたブックカフェ盛況の背景には、政府の後押しもある。文化振興を目的とした書店に対する増値税の免除があり、大型商業施設もブックカフェを集客の目玉として位置づけ、賃料を安くするなどして誘致してきたからだ。支持したのは、「小清新」と呼ばれる繊細で耽美的な文化嗜好をもつ若い世代だった。

 だが、光的空間をみていると、それだけが理由ではないと思わせる。なぜなら、ここは党中央宣伝部に属する新華書店で、民間の書店ではないのである。かつて英国の貴族は郊外に別荘を持つとき、書斎の棚にどんな本を置くかで頭を悩ませたという(主人の知性や教養を客人に推し量られてしまうからだ)が、光的空間もどこか似ている。そこには民間ではなく、官の側の文化的エリート主義とスノビズムが漂うのだ。常州は明清代に科挙合格者を多く輩出したというが、そんな土地柄が影響しているとでもいうのだろうか。

 これが地方政府の公共事業の一環だと思えばそういうものかもしれないが、拭い去りにくいのは、バブリーな臭いである。それというのも、北京の「光合作用書房」のような民間の魅力的な書店が倒産してきた例をこれまでいくつも見てきたからだ。それだけに、海外の著名な建築家の設計による官製ブックカフェという存在は、はたして地域文化の担い手といえるのか。ビミョーな感じがしてくるのだ。

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杭州のブックカフェ「鍾書閣」では子供用の絵本や科学書を集めた特設スペースがある。中国のブックカフェは斬新な取り組みが多いのも事実

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「光の教会」で知られる安藤忠雄氏と関係者らが語るメイキングオブ「光的空間」を解説する書。


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年9月号(Vol.91)より転載したものである。