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【19-013】福井の中の蛙 大海を知る

2019年9月3日

内藤 順也

内藤 順也: 国立大学法人福井大学 学術研究院工学系部門 材料開発工学講座 助教

滋賀県出身。大阪大学基礎工学部化学応用科学科卒。同大学大学院基礎工学研究科物質創成専攻修了。博士(工学)。日本学術振興会特別研究員(DC1)を経て、平成30年から現職。主な研究テーマは、超分子化学を基盤とした分子の集合状態制御による機能発現。

 私は令和元年6月24日から29日の日程で「中国政府による日本の若手科学技術関係者の招へいプログラム」に参加した。今回は日本から90余名が参加し、約半数ずつの2グループに分かれて中国政府関係者との意見交換や中国の有名大学および有名企業を見学した。私のグループでは日程の前半と後半でそれぞれ北京と太原に赴いた。前半の北京では、中国の名門大学である北京大学の見学や、政府主導で起業を推進している中関村サイエンスパークでの趣旨聴講、中国政府の科学技術関係者との交流座談会を行った。後半の太原では、国家重点大学の一つである太原理工大学の見学や、製鉄企業の太原鋼鉄集団の工場見学、発電等の幅広い事業を展開する山西国際能源集団の企業説明を受けた。加えて、山西博物院と晋祠博物館を見学して山西省の歴史と文化についての見識も深めた。本プログラムを通して、初めて訪問する中国の国土の広さ、資源の豊富さ、科学技術の発展の勢いを実感した。今後さらなる発展が見込まれる隣国・中国との付き合いの重要性を強く印象付けられた訪中であった。

 本プログラムに参加したきっかけは、年度末にJSTのさくらサイエンスセンターから届いた一通の募集メールであった。私が専門とする化学分野で急速に存在感を増している中国の現状を直に学びたいと考えていた私にとって、中国の一流大学や研究機関を濃密に体験できる本プログラムは絶好の機会であった。化学分野における中国の勢いは研究の質の向上にとどまらず、近年は中国化学会と英国の王立化学会とが化学誌を共同で創刊し、それが高いインパクトファクターを示すなど広報分野にもおよぶ。さらに中国から日本に来る留学生も優秀で、研究に対する熱意やハングリーさ、英語でのコミュニケーション能力の高さに驚かされる。このように化学分野における研究、広報、人材いずれにおいても近年勢いのある中国を体感するのに、若手科学技術関係者を対象とした本プログラムは初めて中国を訪れる私にとって理想的なものであった。

 初日に北京空港からホテルへ向かうバスの窓からは、どこまでも続くビル群と果てしない自動車の渋滞が見え、中国の首都の著しい発展ぶりが垣間見られた。少し車を走らせればすぐに田んぼに囲まれる福井とは異なり、延々と高層ビルが広がる北京がいかに大都市であるかが想像できた。建設中のビルも多く、街全体に勢いを感じた。時間を見つけて北京の街中を歩いてみるといくつか気付くことがあった。周りの自動車や路上に砂ぼこりが堆積しており、街全体がうっすら黄土色に包まれているように見えた。ただ、道にタバコの吸い殻や空き缶といったゴミは見当たらなかった。川沿いを歩くと柳の木が並んでいた。日本では桜の木が多いので、川沿いの風景からも異国情緒を感じた。一方、普段見慣れた風景もあった。この日の北京は晴れで気温も38℃と焼けるような暑さだったのだが、街の人々が涼を求めて歩行者用トンネル内の地べたに座ったり寝たりしているのは大阪にいたときもよく見た光景であり親しみを覚えた。また、体を冷やすためか、Tシャツを半分程まくり上げてお腹を出している人がいたのも印象的だった。北京の街ですれ違う人々は Tシャツや短パンといったラフな格好をした人が多く、街全体が平和でおおらかな雰囲気であった。勢いよく発展を続ける街並と、そこに暮らす人々のおおらかな雰囲気との対比が絶妙に面白く、中国の味わい深さを出している。

 今日の中国の発展を語るうえで中関村サイエンスパークの存在は欠かせない。本プログラム前半で訪問した中関村は北京市街の北西に位置し、政府主導で起業を推し進めている、いわゆるアメリカのシリコンバレーのような地区である。ここでは起業家や技術者を対象として税制優遇や戸籍取得条件緩和(北京の戸籍取得は、外国人のみならず北京以外に住む中国人でさえ困難である)などの様々な優遇措置を受けることができる。中関村はこれらの政策のため中国国内で最も起業が盛んな地区であり、毎日のように新たな企業が設立されているという。この中関村からLenovoや百度といった多くの大企業が創業された。中関村での優遇制度の説明を聞いていて研究者の私が特に心惹かれたのは、自らの技術を担保にして起業のための融資を受けられる制度である。日本では科学技術者が産業の卵となる技術を持っていても、それを起業につなげるには主に資金集めの面で依然としてハードルが高い。それに対して中関村のこの制度では、産業化につながりそうな技術を担保に起業のための融資を受けられ、会社が軌道に乗れば資金を返済し、だめだったら融資元に技術を譲渡すればよい。研究者にとって小さなリスクで自分の技術の社会実装の可能性を試せる魅力的な制度である。この制度が中国の人々の「とにかくやってみよう」という気質にも合って、今日の中関村の発展につながっているのだと思われる。今回の訪問では時間の都合により中関村の説明のみに留まりサイエンスパーク内を見学できなかったので、次の機会には実際の街並やオフィス内の様子なども見てみたい。

 北京から太原に向かう道中でも発展を続ける中国の勢いを感じることができた。北京から太原までは西へ約500km離れており、だいたい東京から大阪までの距離と等しい。移動には3時間ほど高速鉄道に乗車したが、列車の外見や内装は日本の新幹線とよく似ており、乗り心地も東海道新幹線と同様でほとんど揺れず快適であった。車内前方の電光掲示板に現在速度が表示されていたのだが、ときおり時速300kmを超えており、この速度で走行時の滑らかさを実現している技術力の高さに驚いた。列車の車窓を眺めていたら、北京市街を抜けたあたりからずっと、秋吉台にもよく似た風景が続いた。起伏のある草原に背の低い樹木がまばらに生え、ところどころ川による浸食で黄土色の地面がむき出しになっていた。よく見ると人為的に植樹された区画も散見された。おそらくこの地に茂っていたであろう森林を伐採し木材を得てきたのだと思われるが、そのあまりの開拓規模の大きさに驚嘆した。目的地の太原南駅で列車から降りると、シナモンと灯油を混ぜたような甘く機械的な香りに包まれたが、それが炭鉱の街・太原の石炭を燃やしたときに発生した窒素酸化物と硫黄酸化物のにおいであることがすぐにわかった。このにおいには程なくして慣れた。そして急速に発展を続ける太原の様子を私に印象付けた。

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図1. 発展を続ける太原の街並。高層ビルが林立し、広い道路には自動車が溢れている。

 太原は2500年以上の歴史がある中国の主要都市の一つで、現在も主要産物の石炭を中心とした産業の発展が著しい(図1)。太原で訪問した企業の一つである太原鋼鉄集団は、特産の石炭と鉄鉱石とを主原料にして鋼鉄やステンレスを生産し、広く国内に供給している。バスで工場見学に向かった際、工場の広大な敷地と密集した建屋とがまるで一つの町のような印象を受けた。バスから降りるとすぐに硫黄酸化物の鼻を突くようなにおいとエアロゾルによる目のゴロゴロ感に襲われた。工場の近くの空も鼠色であった。この時点ですでにこの工場がいかに大規模に操業しているかが伝わってきた。工場内では巨大な機械による製鋼と圧延の工程などを見学したが、特に赤熱した巨大な鋼板をこれまた巨大なローラーで圧延する過程を見学しているときは、機械から数十メートル程度離れていたにもかかわらず、顔がヒリヒリするくらいの熱線と声を張らないと意思疎通できないほどの轟音に包まれ、私に強い印象を与えた。同時に、この規模で鉄が生産され続けている様子に中国の急速な発展の一端が見えた。

 太原では大学においても石炭を利用した独自の研究展開がなされており、今回訪問した太原理工大学もそのような大学の一つである。近年の化学産業は石油を中心として発展してきたが、ここ太原理工大学では特産の石炭を活用して石油と同等以上の付加価値を有する化成品を作る研究が行われている。石炭は分子量の大きな多環式芳香族化合物の割合が石油と比較して高いため精製が困難であることに加え、構成成分もより複雑である。そのため世界的に見ても化学製品の原料としてはほとんど利用されず、大部分はただ燃やして消費されている。そのような状況下で、今回訪問した研究室では石炭の化学的改質による化成品の製造に挑戦していた。この研究室を主宰している教授は30代前半と若い。中国では困難なことでも挑戦しようという意志のある者は寛大に受け入れられ自由に研究できる環境が整っている。研究者から見て非常に魅力的である。中関村でも見られたが、この「とにかくやってみよう」という精神とそれを支える環境とが産業界のみならず学界においても成り立っていることが、今日の中国の学術研究分野の発展に寄与していると思った。

 太原での見学を終えた夕方、少し時間ができたので街を歩いていたら思わぬところで中国のIT化の進展ぶりを実感させられた。太原で宿泊したホテルの近くには柳巷という繁華街があり、夕暮れが近づくと道いっぱいに露店が組み上がる。それと同時に通りに活気が溢れてくる。露店での売買の様子を観察していたら、訪れる客は子どもからお年寄りまで皆がスマホを使ってQRコード(もしくは類似の二次元コード)で決済しているのが分かった。周りを見渡すとどこの露店でもそうである。日本でも一部のコンビニやファストフード店においてQRコード決済は見られるのだが、中国のように露店から百貨店まで至る所でこのような決済方法が可能な状況は、急速に発展を続ける中国を象徴しているように感じた。ITが発達し高層ビルが立ち並ぶ一方で、太原の街には昔ながらの公園も残っており多くの人々で賑わっていた。公園と言ってもまるで庭園のように美しく、敷地内にある広大な池には蓮が咲き、周りには柳が風になびいていた(図2および3)。子ども連れは水遊びをし、おじさんやおばさんの集団は体操のようなことをし、お年寄りは東屋で二胡の練習をしていた。北京でも感じたが、ここ太原でも街全体が平和でおおらかな雰囲気に包まれていた。中国において街並の急速な発展と人々のおおらかな様子との魅力的なコントラストが醸されるのは、広大な国土と豊富な資源とに由来する物質的および精神的な余裕を背景としているように感じた。

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図2. 太原の街中にある公園。柳に囲まれた広大な池の上で人々は舟遊びをしている。

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図3. 公園の池に茂る蓮。池には噴水や噴霧装置があり、夏場でも涼しくて過ごしやすい。

 日本に帰国する際のお土産として干しナツメを買った。果物に目が無い私は、この訪中でも隙を見つけては生のライチや竜眼を味わっていたのだが、特にお土産として購入した干しナツメの大きさと美味しさには驚いた。日本で見かける干しナツメは小指の先ほどの小さなものであるが、本場・中国のものはくるぶしほどの大きさがあり、ひとくち頬張ればまるでレーズンパンのようにふわふわで甘くて食べ応えがあった。大海を渡り福井に戻って干しナツメをかじりながら今回の訪中を振り返ると、中国の国土の広さ、資源の豊富さ、科学技術の発展の勢い、人々のおおらかさ、そして干しナツメの大きさを改めて実感した。全てのスケールが大きく、今後さらに発展を続けるであろう隣国・中国とより一層の関係強化が必要であると強く感じさせられた訪中であった。