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【19-017】北京の夜は復活するか? 夜間経済の行方―北京暮らしの流儀

2019年11月12日

斎藤淳子(さいとう じゅんこ): ライター

米国で修士号取得後、 北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『 瞭望週刊』など、幅広いメディアに寄稿している。

 夜10時過ぎに閉店する店から追い出され地下鉄に向かう途中、「北京は『夜の生活』がないね」と広東出身の若い女子が呟いた。「広東なら今頃は、皆で『夜宵』(夜食)を食べに出かける時間なんだけど」という。また、四川の成都には夜10時でも激辛火鍋の店には行列ができる。

 中国全体から見る北京の食生活の限界は薄々感じていたが、改めて夜の活気の差に気づかされた。北京市統計局の「夜間消費」に関する最新統計でも夜間(午後6時~朝6時)の消費タイムはピークが午後6~8時(6割以上)で月の平均消費額は500元(約7,500円)以下が最多層(51%)を占めた。かなり地味だ。

 また、『第一財経週刊』2017年版のナイトライフ・ランキングでもトップは上海。北京は深圳、広州に続いて4位だった。これでは、首都のメンツにかかわるからか、近年、北京市は「夜間経済」の活性化に躍起だ。深夜営業のレストランやコンビニに補助金を出し、地下鉄の終電時間を11時台まで延長させ、前門や三里屯など重点エリアのインフラを整備するという。また、各区にナイトマーケットやイベントの企画も求めている。

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北京の浅草に当たる前門は再開発され「北京坊」として再オープンし、「夜間経済」の重点エリアにも指定されている。古い街並み風の新築ビルで北京の夜は復活するだろうか? 撮影/王琴

 一方、民間人は「夜間の人出は少ないし、運営コストも高い」と冷めた目で見ている。プロの商人が儲かるのに店を閉めるわけはない。北京の夜が寂しいのには理由があるはずだ。

 歴史的に、権力のお膝下だった北京では、市民生活は長い間厳しく統制されてきた。1912年の辛亥革命の頃まで夜間外出禁止令が敷かれ、庶民の夜は静まりかえっていたという。その頃から間もなく、世界の魔都と呼ばれニューヨーク、ロンドンと比較されるほど派手な夜の舞台となった上海とは「育ち」が違う。

 また、厳しく長い冬に包まれる中国北方特有の気候の影響も大きい。それは、先のランキングの上位20位のうち、北方都市は辛うじて3都市だけであることからも明らかだ。

 とはいえ、北京が「夜間経済」を知らない訳ではない。1950年代には王府井や前門などの盛り場は朝の2時、3時まで賑わっていたらしいし、ごく数年前まで不夜城ストリートやナイトマーケット、夜間に道にせり出してぼうぼうと煙を上げる羊の串焼き屋などがたくさんあった。

 経済成長の過程で徐々に消えていった所もあるが、加速的に消滅したのは3、4年前からだ。首都、北京の「グレードアップ」を目指し、市政府は「首都機能」以外に当たる「低レベル」な産業と人口を淘汰すると宣言。立ち退きのほか、各種許可基準の厳格化、人件費の高騰など様々な煽りで長年街角で奮闘してきた個人経営の飲食店や活気に満ちていた市場が次々に閉鎖された。大々的に末端経済を担う店や人を追い出したのだから、市の経済全体に影響がない訳がない。先の夜間経済活性化政策の本当の理由は、この穴埋めのためとも言われる。

 こうして、アッと驚くほど「きれい」になった北京の街に残ったのはチェーン店かキラキラした割高な店か出前食を届けるバイクの群ればかり。夜の闇の魅力や、匂いに誘われて夜通し庶民が集まる店は激減した。

 裸電球の飲食店街を壊して整然とした道へ改装するのは簡単だが、人が集まり雑然さと匂いのするストリートを醸成するには月日がかかる。北京は大規模手術で「首都に見合う美貌」を手にしたが、これはこの街の魂と引き換えだったのではないか? それとも歴史を生き抜いた生命力で、北京の夜は復活するのだろうか?


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年12月号(Vol.94)より転載したものである。