【19-018】北京の時間感覚 不確実な未来も内包
2019年12月16日
斎藤淳子(さいとう じゅんこ): ライター
米国で修士号取得後、 北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『 瞭望週刊』など、幅広いメディアに寄稿している。
人が心地よいと感じる人との物理的距離に地域差があるように、時間に関しても日中では「普通」と感じるタイミングが随分違う。
一般に日本は入念に計画を立て、しっかりその通り実行するのが得意で、また好きだ。例えば、学校行事などの予定も1年前にほぼ決まり、保護者会や学校イベントの正式通知も数週間前に出るのが「普通」だ。
一方、中国では先の事はぼんやりしていて、みんなあまりコミットしない。その代わりに、直近の事には強く、急なお知らせでも混乱なく応じる。公立小学校の保護者会も月曜日か火曜日の夜に「今週の木曜日の2時に集まって下さい」という通知が来る。それでも、こちらの親御さんたちは涼しい顏をしてやってくる。
小学校の保護者会なども「突然計画、即実行」のパターンが多いが、保護者たちは動じず顔を揃える。
レストランの予約も扱ってくれるのはだいたい1カ月以内だ。日本の団体に頼まれて、約3週間先の予約を取ろうと北京のレストラン5軒に電話したところ、3軒は大丈夫だったが、1軒は「そんな先の予約は受けていない。1週間前になったらまた連絡して」という。日本で探したもう1軒はすでに潰れていた。北京の未来はかくも不確実だ。
会食の誘いも大抵突然くる。「明日ランチできますか?」と前日の夜に仕事の初対面の人から連絡がくることもある。プロジェクトも同様で、「12月に日本で大体こんな感じでセミナーをやりたい」と10月末になってから平気で相談してくる。これが中国の「普通」の時間感覚だ。
真剣に細かく先々の計画を立てて着実に実行することに慣れている日本人にとっては、このタイミングは「いきなり」過ぎるし、少々乱暴で時には「失礼」とさえ感じる。一緒に仕事をしていると、思わず焦らされてイライラすることも多い。しかし、中国の人は、「早めになんて無理だし、これで十分間に合う」と思うようだ。それにしても、両国の感覚はなんでこんなに違うのだろうか?
背後にはまず、未来観の違いがあるように思う。中国では「物事はその時になってみないと何も分からない」という感覚が強い。激動の時代を生きた彼らにとって「未来」は常に流動的なものなのかもしれない。
そして、こんな不確かな未来に向かって歩んで来たためだろうか、中国の人はその場、その場で臨機応変に状況を判断し物事に対応するのに慣れていて機動力も高い。到底、無理に思えるスケジュールでもこなしてしまう。
一方、日本では不確実性はむしろ入念な準備努力によって克服、排除されるべきものと捉えられている節がある。社会全体がきちんと計画を作り、その通りに実行できるように整っているのは安定の証でもあり、有難いことだ。ただ、そのために、逆に変化する状況に個人が敏速に対応する能力が磨かれてこなかったのは残念だ。
もう一つは、意志決定プロセスにおいて、中国の場合、リーダーや現場など個人が決定権を担っているので、もっぱら速い。これも中国の「時短」を可能にしている重要な原因かもしれない。
何事も迅速にこなす「中国スピード」の中に時には受け入れ難い「いい加減さ」やプロセス軽視の弊害もある。ただ、中国の短い時間感覚と対にある機動力は日本に無い長所だと思う。
真面目に微に入り細にわたって入念な計画を立てるうちに、力尽きてしまったり、乗り遅れてしまったりするのは余りにもったいない。不確実な未来と共に「走りながら考える」ことも取り入れたら、機動力は上がるはずだ。グローバルにみても、未来の不確実性は増える一方だ。中国的「時間感覚」の裏側にある力強い決断力と行動力は身に着けたいものだ。
北京の時間感覚は日本とかなり違う。いつも「突然」な北京の感覚についていくには機動力が試される。
※本稿は『月刊中国ニュース』2020年1月号(Vol.95)より転載したものである。