【20-010】流行初期は落ち着いていた南京―中国新型コロナ防疫リポート(4)
2020年06月09日
楊保志(風生水起);広東省科技庁科技交流合作処副調研員
河南省潢川県出身。入学試験に合格し軍事学校に入学。26年間、軍務に就き大江南北を転戦し、その足跡は祖国の大好河山に広くおよび、新彊、甘粛、広東、広西、海南などの地域で銃を操作し弾を投擲した。メディア、組織、宣伝、人事などに関する業務に長年従事し、2013年末、広東省の業務に転じた。発表した作品は『人民日報』『光明日報』『中国青年報』『検査日報』『紀検監察報』『法制日報』『解放軍報』『中国民航報』などの中央メディアの文芸・学術欄に、また各地方紙、各軍関連紙軍兵種報紙にも掲載され、『新華文摘』『西部文学』『朔方』などの雑誌や、ラジオ、文学雑誌にも採用され、"中国新聞賞"文芸・学術欄銀賞、銅賞をそれぞれ受賞し、作品数は500篇に迫る。かつては発表を目的に筆を執っていたが、現在は純粋に「自分の楽しみ」のためとしている。
早くから南京で春節(旧正月、今年は1月25日)を過ごすことを私は決めていた―
「人の考えは天の考えには敵わない」という言葉があるように、南京に向かおうとしていた矢先に、中央政府が全国民に対して、新型コロナウイルス感染対策に関する指令を発し、武漢はロックダウンとなった。広東省では、まだ人の行き来を制限する規制は出されていなかったものの、外出をできるだけ控える、外出時はくれぐれも注意し、自分を守る対策を講じ、人の多い場所には行かない、何か症状が出た場合は、速やかに報告し、早期の診察・治療を受け、絶対に先伸ばしにして他の人や自分に害を及ぼすことがないようにする......と、繰り返し強調されていた。
そのような状況で、私は、南京に行くべきか、行かざるべきか悩んだ。行けばリスクを伴うが、行かなければ気持ちが落ち着かない。さんざん迷ったあげく、結局行くことにした。
南京空港にて
私たちは1月23日夜に飛行機で南京に向かった。南京禄口空港に着くと、南京ではマスクを着用している人が、広州より明らかに少ないと感じた。広州の公共の場では、ほぼ全員がマスクを着用していたが、南京では3分の1以下だった。
空港から出ると、エレベーターの乗り口に、発熱者スクリーニング装置が設置されていた。そして、スタッフがその装置で通行人の体温を検査していた。同システムの設置という面では、広州より南京のほうが早かった。広州でも、私たちが離れたその日の夜に同システムが設置されたと、後になって知った。
南京に到着後、最も知りたかったのはもちろん新型コロナウイルスの感染状況だった。車に乗るとすぐに迎えに来てくれた弟に、「会社に中央政府からの通達があったか?関連の対策は講じられているか?関連の指示はあるか?十分のマスクを準備しているか?」と聞いた。弟からは、「すべきことは全てした」という答えが返ってきた。
1月24日午前、朝食を食べ終わると、マスクをして出かけた。弟は私たちよりたくさんのマスクを準備しており、何袋も手元にあった。南京では当時、実際には一度に買えるマスクの枚数が制限されるようになっていた。
ネットユーザー・小小琪媽媽(ハンドルネーム)は、「今日は新型コロナウイルスの発表後、南京で迎えた春節連休1日目だ。朝、夫と共に私の両親を迎えに行き、私の家で年夜飯(旧暦大晦日の夜に家族と一緒に食べる御馳走)を食べた。その時点で、南京で確認された新型コロナウイルス感染者は2人だけだったが、大通りを走る車も歩行者も少なくなっていた。自宅に備えのマスクがないので、夫と一緒に、家の近くにある薬局を探し回った。幸いなことに、薬局・百信にはまだ在庫があった。1人につき1セット10枚限定で、値段は12元(1元は約15.1円)と値上がりしておらず、良心的だった。今年の春節をこんな形で迎えることになるとは思ってもみなかった。切なく、無力感さえあり、複雑な気持ちになった。新型コロナウイルスが早く収束し、みんなが無事で健康であることを願っている」と綴っている。
まず(南京市内の)鶏鳴寺に行ってみると、来ている人は決して少なくなく、普段とそれほど変わらないほどの人出だった。マスクをしている人も少なかった。他の地域から来た観光客ははみんなマスクを着用していたというのに。
まもなく正午という頃に、私たちは鶏鳴寺を後にして、解放門の城壁に向かった。到着した時は、城壁はまだ開いていたが、弟が「この城壁は小さいので、中華門の城の砦に行こう」と言ったのでそこに向かった。
正午に車で中華門の城の砦に着くと、そこはすでに閉鎖されていた。おそらく春節なので、スタッフも休暇で、午後は開放しないのだろうと思っていた。その時は、新型コロナウイルスとそれを結び付けて考えることは全くなかった。
灯会(ランタンフェスティバル)が中止され、ひっそりとした中華門。この門は、南唐時代には都の入り口だった。
城に上ることはできないため、砦に沿って街路樹が茂る道を散歩することにした。正午頃には、道を歩く人はすでにあまりいなかった。その後すぐ、「老門東」に着き、細い路地に入っていくと、たくさんの商店がまだ営業していた。しかし、観光客は少なく、大半が家族連れ、または数家族が一緒になって来ている人たちで、マスクを着用している人は少なかった。新型コロナウイルスが言われているほど深刻だとは、誰も信じていない様子だった。
観光客もまばらで、普段の賑やかさがみられない老門東
老門東の観光を終え、午後5時には、5家族20数人で食卓を囲んだ。みんな楽しくお酒を飲み、お正月の挨拶をし、新型コロナウイルスのことなど誰も気にしていない様子だった。
老門東の近くにある秦淮河も、春節期間中、閑散としていた。ネットユーザー・南京大儉(ハンドルネーム)は、「南京の人々にとって、秦淮灯会(ランタンフェスティバル)は重要な春節の恒例行事。今年は新型コロナウイルスの影響で、ランタンに火が灯されたかと思ったら、すぐに消されてしまった。多くの人は見ることができなかった。私も、春節前に老門東を通った時に、スマホでちょっと撮影しただけ。本当は春節期間中に行って、いい動画を撮ってアップする予定だった。でも、今年はちょっと無理そう。だから、春節前に撮った動画をアップして、みんなに見てもらうことにする!全てがまた元に戻ると信じている!ランタンにまた光が戻るのを楽しみにしている。第一線に立ち奮闘している白衣の天使、勇士たち全員に敬意を示そう!家から出ずに、私がアップした動画を見て、中国工程院院士、呼吸器疾患専門家の鍾南山氏の言うことを聞いて、むやみに外出したりするのはやめよう!」と綴っている。
1月25日、私たちは南京の郊外にある牛首山に遊びに出かけた。しかし、到着すると、閉鎖されていた。そして、私たちより先に来ていた数人も帰途につくところだった。その時になってはじめて、昨日中華門が閉まっていたのは、春節だからではなく、新型コロナウイルスの影響で閉鎖されたのかもしれないと気付いた。
春節期間中、南京の大半の観光地は閉鎖され閑散としていた
牛首山は閉まっていたので、車で田舎町の石塘人家に行き、お化け坂と呼ばれる場所で竹林も見学した。途中であまり人を見かけなかったため、マスクはしていなかった。
帰宅途中、弟の妻に会社から連絡が入り、「新型コロナウイルスの影響で、上司が雲南省から予定通りに帰ることができず、隔離が必要。春節の連休は伸びる可能性があり、いつから出勤するかは追って連絡する」と伝えられた。弟の妻は「連休が伸びるかもしれない」と聞いて、大喜びしていた。
石塘人家では私たち家族の他に人はほとんどいなかった
中山陵を通った時、入ってみようと行ってみたものの、やはり閉まっていた。その時、南京の観光地だけでなく、中国全土の全ての観光地が閉鎖されたのかもしれないと気づいた。
1月26日、私たちは紫金山に登った。山に登る小道は封鎖されていなかったが、途中で遭遇した人はみんなマスクを着用していた。すれ違う時は、意識的に距離も取っていた。南京の人々の新型コロナウイルスに対する見方や行動が急速に変化し始めていたのだ。
1月27日、南京は雨が降った。弟の家では昼食を食べることにした。スーパーに買い物に行くと、客の大半がマスクを着用していた。店員の中には、しんどくなったのか、気持ち悪くなったのか、あごマスクをしている店員もいた。しかし、街中に行ってみると、マスクを着用している人はやはり少なかった。私は、南京の人々の大半は、新型コロナウイルスをまだ十分には重視しておらず、その被害の深刻さをまだあまり実感していないのだと個人的に理解した。私も同じで、まだ外に遊びに出かけていた。
しかし、実際には、私たちは、1月24日夜、つまり武漢がロックダウンした2日後に、南京で約7,000人を動員して、市内全域の一斉スクリーニングが実施されていることをまだ知らなかった。当時、南京で新型コロナウイルスの感染が確認された患者は2人だけで、いずれも、他の地域から流入した人だった。南京にいても、危険を感じることはなく、ホテルにも泊まりに行った。
南京滞在中に聞いた新型コロナウイルス関連のニュースの中で、一番インパクトがあったのは、南京禄口空港で起きたエピソードだ。ある他の地域から来た夫婦の子供が発熱していることが分かり、飛行機に搭乗できず、なんとその夫婦は子供を置き去りにして飛行機に乗って飛び去ったのだという。南京の人々が新型コロナウイルスを重視していないというのは、軽率な発言だったようだ。
1月28日、広東省にいる同僚は既に出勤していた。そして、私も、出勤するようにという指示を受けた。空港に向かう途中の高速道路を走る車は明らかに多かった。特に、湖北省や安徽省、河南省から来た車が多かった。ただ、渋滞は発生しておらず、検問所もなく、スムーズに到着した。
後になって知ったことだが、1月29日に、南京でも車両の通行が制限されるようになり、検問所もあちらこちらに設置された。私は絶妙なタイミングで南京を離れることができたのだ。
今になってみれば、もし広州からの出発が1日遅れの1月24日であったら、武漢は前日にロックダウンしており、広州にも緊迫した空気が流れ、私も危険を冒して南京に行くことはなかっただろうと思う。なぜなら、新型コロナウイルスの感染拡大が抑制できなくなれば、予定通りに広州に戻ることができない可能性があったからだ。私の周りにも、他の地域に数ヶ月にわたってとどまらざるを得ず、四苦八苦したというケースがたくさんある。
幸いにも、復路は1月28日のチケットで、その日の時点では、南京ではまだ厳しい感染拡大防止対策は講じられておらず、私はスムーズに広州に戻ることができた。しかし、翌日、南京から広州に向かう飛行機は運休となった。私が乗る便がそうなる可能性もあったということだ。
広州に戻る飛行機を待つ南京禄口空港の様子は、南京に来た時とは違っていた。全ての人がマスクを着用しており、ソーシャル・ディスタンスも保っていた。
新型コロナウイルスの感染拡大はどんどん深刻になっていた......