【20-011】公務員は春節4日目から出勤―中国新型コロナ防疫リポート(5)
2020年06月15日
楊保志(風生水起);広東省科技庁科技交流合作処副調研員
河南省潢川県出身。入学試験に合格し軍事学校に入学。26年間、軍務に就き大江南北を転戦し、その足跡は祖国の大好河山に広くおよび、新彊、甘粛、広東、広西、海南などの地域で銃を操作し弾を投擲した。メディア、組織、宣伝、人事などに関する業務に長年従事し、2013年末、広東省の業務に転じた。発表した作品は『人民日報』『光明日報』『中国青年報』『検査日報』『紀検監察報』『法制日報』『解放軍報』『中国民航報』などの中央メディアの文芸・学術欄に、また各地方紙、各軍関連紙軍兵種報紙にも掲載され、『新華文摘』『西部文学』『朔方』などの雑誌や、ラジオ、文学雑誌にも採用され、"中国新聞賞"文芸・学術欄銀賞、銅賞をそれぞれ受賞し、作品数は500篇に迫る。かつては発表を目的に筆を執っていたが、現在は純粋に「自分の楽しみ」のためとしている。
春節3日目(初三)の1月27日、南京にいた私のもとに、勤め先から「今いる場所、春節休み中の訪問先、体調不良の有無、広州に戻る日時、当初予定通りの出勤再開可能かなどを報告するように」と連絡が入った。私は、「今南京にいる」と報告した。(注:筆者は広東省の公務員)
勤め先からは、連休は前倒しで終了し、職員全員、1月28日から出勤するようにと指示された。私は、「春節4日目(初四、1月28日)夜に広州に戻るため、春節5日目(初五、1月29日)から出勤できる」と答えると、「体調に異常がないのであれば、29日から通常出勤するように」という返事が返ってきた。
この連絡を受けた時、湖北省や河南省など、多くの都市がロックダウンしており、全国の大半の工場、企業が春節休暇明けの出勤開始を延期すると表明していた。私の親戚は会社から予定通りに出勤再開することはできないと通知を受けていたし、小中高・大学の新学期開始も延期されていた。そのため、「なぜ、我々だけ急いで出勤しなければならないのだろう」と心の中では疑問に感じた。しかし、内情を知らないため、それを口に出して質問することはなかった。
当時、ネット上では、一風変わったロックダウン、道路封鎖の方法がたくさん紹介されていた。道に穴を掘ったり、大きな石を道の真ん中に置いたり、「関守」が道の真ん中に座って見張りをしたり、「通行禁止」という横断幕を掲げたりと、とにかく、心情的には理解に苦しみ、法的には根拠がなく、特殊な時期における特殊な規定としか理解できないような、強硬な規定、融通が利かない規定であり、誰であってもたとえ実父であってもそれを守ることが求められた。そのため、ネット上では、「硬核做法(強力なやり方)」という言葉が生まれ、特殊な時期における非常手段にプラスの評価を与えた。
それでも、私は、「不要不急の訪問、集まり、他の人との接触を控えるようにと言われているのに、なぜ私たちだけが前倒しで出勤しなければならないのか?他の人はみんな休みなのに、何を根拠に、私たちは前倒しで出勤しなければならないのか」と感じていた。
そんな疑問を感じながら、1月28日夜、私たち一家は広州に戻った。広州白雲空港から自宅に向かう地下鉄には、ほとんど乗客がいなかった。1月29日、私は朝早く起きて、時間通り出勤した。勤め先の食堂は通常通り朝食を提供していた。ただ、学校の教室のように、各テーブルに一人しか座ることができず、みんな同じ方向に向かって座らなければならなかった。また、フロアや部署ごとに、食事ができる時間帯も分けられていた。
勤め先の食堂の様子
出勤したものの、仕事は少なく、事務的な作業ばかりだった。仕事の合間には、同僚と春節期間中の過ごし方や新型コロナの情報を話し、新型コロナについてどのように考えるべきか、今後、新型コロナは中国の経済や社会、さらには生活様式、交流様式、学習様式などにどんな変化をもたらすかなどを議論した。理念や行動の面などで、みんな「変化が生じる」と考え、「ピンチであり、チャンスでもある」と話していた。
春節5日目(1月29日)に出勤再開した筆者
私のオフィスが暇だからといって、他の部署も忙しくないというわけではない。ある部署は春節当日も休みはなく、中央政府や省が新型コロナウイルス感染防止対策実施の政令を発表した1月20日から、「広東省新型コロナウイルス感染拡大防止・抑制対策指揮弁公室科学研究グループ」を先頭に立って立ち上げた。そして、十数機関が参加し、社会全体の研究機関、医療機関から緊急時特別対応マニュアルを集め、作業時間を延長して、昼夜を問わずに働いた。彼らは大晦日の日も、家族と一緒に過ごすことはできなかった。
これは、政府当局や公務員の職責であり、使命であると理解している。「天下の憂(うれい)に先(さき)んじて憂い、天下の楽 (たのしみ)に後(おく)れて楽しむ」(民衆が心配するより先に心配し、民衆が楽しんだ後に楽しむ)というのが、中国で数千年にわたり、文武両道を目指し、学問と官職を追求する政府職員の信念、モットーとなってきた。
社会で大きな災害が発生した時に、政府職員の姿を見ることができなければ、人々はパニックに陥ってしまうだろう。そして、政府に対する信頼を失えば、政府がその信頼を取り戻すのは至難の業となってしまう。基準やルールがなければ、人々はどうしていいか分からない。問題に対処できなければ、人々の逃亡や騒動などの社会問題を引き起こしかねない。
幸いにもそのような問題は中国では起きなかった。
それには、3つの理由があると、私は思っている。
第1に、中国国民が非常に政府を信頼していること。新中国成立以降、大災害が起きるたびに、中国政府は第一線で奮闘してきた。例えば、1998年に長江や松花江で大洪水が起きた時や2008年の四川大地震の時など、政府は終始、国民の利益を最優先した。
第2に、政府が今回の新型コロナとの闘いにおいて積極果断な措置を講じたこと。事態が深刻であることを確認すると、直ちに一点の曇りもない対策を講じ、それを発表した。特に、末端の各級組織が上級の指令を厳格に実行し、現地の実際の状況に合わせて、さらに厳格な措置を講じる地域もあったほどだ。
第3に、公務員がいつも国民の見える所にいたこと。人々が「自宅待機」するよう指示された時、公務員は自分の身の危険を冒してでも、積極的に社会が通常運転できるようサポートした。彼らは、各方面が力を合わせてワクチンの研究開発を急ピッチで進めることができるよう調整し、病因を調べ、感染源の遮断に努め、各方面の物資を調達、調整して一般の人々が普通に生活できるよう取り組んだ。
新型コロナの流行中に公務員が出勤するのは、社会の通常運転をサポートする大黒柱となるためであり、社会が平穏に新型コロナを乗り越えることができるようにするための縁の下の力持ちになるためでもある。社会を大きな機械に例えるなら、政府はそのエンジンであり、公務員は各キーパーツのギアである。エンジンが回り続け、ギアが動き続けることで、機械も稼働し続けることができる。また、社会を列車に例えるなら、政府は機関車で、公務員は各車両を繋ぐ連結器だ。機関車が走り続け、連結器がその役割を果たし続ける限り、列車は脱線することなく、機関車が導く方向へと走り続け、目的地に到着することができる。
ここに至って、私は公務員が前倒しで出勤した意義がよく分かった。公務員である私が、自分の持ち場に付いていれば、人々もパニックになることなく、落ち着いた気持ちでいることができるのだ。
すぐに、新型コロナウイルスの感染を判定するPCR検査キットができた。ウイルスの発生源については、コウモリという説もあれば、ハクビシン、センザンコウなどという説もあり、さらに新しく研究開発された薬が症状の抑制や緩和に効果があるという報道もあった。広州衛生健康委員会は、「広州市第八人民病院の中医薬製剤『肺炎1号』は軽症患者100人あまりに服薬され、さらに、省内の30の指定病院での導入が承認された。また、省全域で導入を推進し、湖北省荊州市でも二重盲検法を展開する計画」と公式に発表した。
しかし、全ての職員が春節4日目から出勤しなければならなかったわけではなかった。湖北省や河南省から戻ってきた同僚は、14日間自宅隔離が義務付けられ、病院で検査を受けて問題がないことを確認してから出勤を再開することになっていたのだ。他にも、職員全員が出勤していない政府当局もあった。1部署につき一人だけ出勤し、他の職員は自宅で待機し、必要な時だけ出勤するという部署もあった。そして、外では、厳格な監督、管理を実施して感染を防止し、内では、不必要な接触を避け、仕事が停止することさえなければよいという、内と外を区別する防止対策が徹底して実施されていた。
ある同僚は、ある日食堂で勤め先の運転手と前後の席になった。その運転手の弟が、広東省湛江市で新型コロナウイルス感染していると確認された。運転手は春節休暇中にその弟と同じ車に乗り、一緒に食事をしていた。このため、勤め先はすぐに、その運転手が検査を受けられるよう手配をし、同僚にも自宅隔離するよう指示を出した。結局、その運転手の検査結果は陰性で、同僚も出勤を再開した。
また、別の同僚は、ストレスからか、出勤再開1日目の検温で、基準を0.1度上回ったため、帰宅するように指示された。翌日の検温では、問題なく、出勤が許可された。勤め先は今も毎日、検温を受けなければ誰も中に入ることはできないようになっている。
事務所は今も毎日消毒が行われている
みんな毎日出勤しているものの、マスクを着用したり、アルコールで消毒したり、頻繁に手を洗ったり、人が集まらないようにしたり、事務所を毎日消毒したりと、慎重さをずっと保っている。こうした感染対策は、煩わしく思う人もいるかもしれないが、非常に大切なものだ。