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【08-011】私が日本で感じた民間人の友好感情 ~北海道ホームステイ体験~

黎平海(中国暨南大学経済学院准教授、博士)   2008年11月26日

 10余年前の夏、私は東京大学大学院経済科の客員研究員であった頃、研究の合間を縫って国際文化交流プロジェクトに参加し、北海道虻田郡字旭町のある民家で2週間のホームステイ生活を体験した。

 日本の文化と風俗習慣について私の知識は甚だ少なかった。それまでの学習や知識、仕事の範囲では日本との関係はあまりなかったし、来日後に注目したのも依然として日本という国ではなく、日本の学者がいかにして中国ないしは世界の経済問題を研究しているかという身近な事象への観察や理解にとどまっていたからである。そのうえ私は中国の学者が集まる後楽寮に住み、日ごろ本物の日本語、日本の文化および風俗習慣にほとんど接することができなかった。そこで、国際文化交流プロジェクトに参加する機会を通じ、私はようやく日本の民間人、一般の人々の生活を理解するための一歩を踏み出すこととなった。
私は世界各地からの同プロジェクト参加者とともに、海洋船に乗って東京湾から太平洋を北上し、日本の北端にある北海道に向かった。私が乗った船の船長はハンサムで温和な中年男性で、特別に招待された乗客一行に極めて友好的な態度を示した。旅人の手持ち無沙汰を取り除くため、彼は興味ある乗客を自ら進んで甲板上の幾つかの作業室の見学に招き、面倒なのを嫌がらずに船の航行に関する知識を解説し、大いに見学者の見聞を広めてくれた。
この機会に私も一つの質問をした。

 「私たちの船をずっと追ってきているあの魚の名前は何ですか」

 船長は私が指差した方を向き澄みきっている海水の中をよく見てから、すぐさま紙に一字の漢字「鱏(エイ)」を書いて見せてくれた。そのため、特異な形をしていて、名前が非凡なその魚と温和で親しみやすい船長の姿はともに私の記憶の中に深く刻まれ、すでに10余年が過ぎた今でもあたかも目の前にいるかのようにありありと思い出される。そしてその事を思い出すたびごとに、私の心は親しみと幸せに満ちあふれるのだ。


温和でハンサムな船長(左)と記念写真(右が筆者)

 北海道に到着後、私はご夫婦二人だけが住む民家を割り当てられた。ご主人は若杉輝男さんといい、木材家具工場を経営している方で、奥さんは幸子さんといい、主婦であった。ご夫婦は二階建ての一軒家を所有しているが、一階には客間、台所、居間があり、二階には寝室があった。住宅がひしめく東京から来たばかりの私にとって、この家は広々としていて、まさに贅沢という二文字で形容できるほどであった。私には二階の部屋が用意されたが、その部屋は彼らの息子さんが大学に入る前まで使っていたもので、息子さんは東北大学を卒業した後に他所へ働きに出かけたそうだ。

 ご夫婦は60歳前後でとても親しみやすく温和な方であった。私はかなり限られた日本語でご夫婦と交流し、少なからぬ話題に話が弾んだ。言葉が分からない時は、よく紙に漢字で幾つかのキーとなる言葉を書くだけで互いに分かり合って、すぐに話を続けることができたものだ。漢字は日中両国の文化交流にとってとても便利なツールだ。日本語の中で使われている漢字は一般的に重要な言葉であり、文章の中で大きな役割を果たしている。


若杉ご夫婦と一緒にいる筆者(右)

 私の生活が味気ないものにならないようにと、ご夫婦は札幌で働いている次女の道子さんをわざわざ呼び寄せた。道子さんは英語が話せるので、彼女との交流はより便利であった。道子さんは毎日私と散歩に出かけ、近くのお寺や繁華街を訪れ、とても気をつかってくれた。

 ある日、近所のお寺の和尚さんが来て、家の仏壇の前で特製の神職の衣服をまとい、とても敬けんな様子で念仏を唱え始めた。その和尚さんの力強いバリトンの声は、一度聞いたら忘れられないものであった。

 私が若杉家を去る数日前、ご夫婦は他の地方で音楽教師をしている長女をまたわざわざ呼び寄せた。彼女は当時まだ幼い息子さんを連れて戻り、私が翌月に東京で上演されるイタリアオペラ『アイーダ』の中でエキストラ出演すると聞くと、居間にあるピアノでヘンデルの『オンブラ・マイ・フ』とイタリア歌曲『カーロ・ミオ・ベン』を弾き始めた。彼女の伴奏に合わせて私はイタリア語でテノールの歌を歌い、若杉家の皆さんと一緒にとても楽しい一時を過ごした。

 10日余の北海道の旅は瞬く間に終った。若杉ご夫婦と別れる時、私は内心とてもつらい気持ちであった。東京に戻った後、ご夫婦の次女道子さんが、出張で東京に来た際に私を訪ねてくれた。私は帰国後も、若杉家の皆さんと連絡を取り合っている。彼らは日中関係の起伏に対して終始善良な期待を抱き、中国で発生した特大地震災害にも援助の手を差しのべた。私は心の奥底から、若杉ご夫婦のことを異国にいる「おとうさん」と「おかあさん」のように思っている。これは口先だけでないことはもちろん、私の人生における一時の通りすがりの出来事でも決してないのである。なぜならば、私は彼らから、日本の一般の人々による中国の人々に対する友情と、日中両国間の子々孫々までの友好関係に期待する気持ちを深く感じたからである。このような豊かな民間の力が日中両国の隅々で根を張り、芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶことができれば、一衣帯水の友好的な隣国は必ずや「永遠に再び戦わない」という厳かな誓いを守り、「子々孫々までの友好」という言葉も決して空論に終わらせることがないであろう。

 私は北海道におられる善良な異国の両親を愛し、また日中友好を大事にするすべての日本国民に敬意を表したい。そして平和を愛する人たちが一生平安であり、アジアと世界各国の人たちの友好の木がとこしえに栄えることを祈ってやまない。

shi_deshun

黎平海:

中国重慶市出身、経済学博士。1983年から西南師範大学、四川大学および暨南大学で教鞭をとり、本科生および大学院生向け必修課程および選択課程を教 授。言語学、文学、経済学、金融学、管理学、翻訳学、教育学、芸術等分野の各種教材、専門書、論文、訳著と訳文を出版、発表。国外財団の支援を得て、日本 東京大学大学院経済学部で客員研究員を務めた。現在中国広州暨南大学経済学院准教授、修士課程指導教員。