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【15-05】社会主義中国の文化―忍耐強く待つこと

2015年 5月12日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 専制的社会主義と民主主義の違いをあげるとすれば、政治に関するそれぞれの国民の忍耐強さの違いにあると思われる。民主主義体制においてその国民は、政治の失敗について忍耐するのではなく、選挙で新しい政権を樹立させる。日本の民主党政権のときはその典型だった。ようやく政権交代を実現した民主党だったが、公約のほとんどは実現されず、国民によって見放されてしまった。民主党政権の三年間は多くの日本人にとり振り返りたくない政治ショーだった。政治家は、民主主義体制の国民がみんな短気な人であることを認識しておくべきである。

 それに対して、専制的な社会主義体制において政治に対する不満があっても、国民は忍耐強く待つしかない。何を待つのかといえば、その指導者が老衰してその後継者が賢明な名君であることを祈ることしかできない。さもなければ、「国家転覆罪」に問われ投獄されることがある。実は、これは今の中国社会に特有なことではなく、古代中国でも、皇帝を批判することは「大逆不道」、すなわち、倫理に背き道徳に違反するとして処刑されてしまう。今の中国もこの伝統を引き継いでいるようだ。

 問題は中国がすでに門戸を開放し、周りの国はすでに民主化していることにある。中国政府にとり民主主義を否定する理論武装は相当無理があるようだ。中国の教育部長(文科大臣)袁貴仁氏は、先進国の人権や民主主義といった「普世価値」を学校で教えないようにと求めている。しかし、「普世価値」を教えて何が悪いかを論破していない。何よりも皮肉なのは袁部長が先進国の「普世価値」に反対しながら、自らが子息をアメリカへ留学させている。

 これと似たような事例はたくさんある。重慶市党書記だった薄熙来氏は重慶で文革のときに歌われていた毛沢東を謳歌する歌を市民たちに歌わせた。一方、彼は息子を収賄や横領で得たお金でイギリスとアメリカへ留学させている。在任中、彼は中国が法治国家であることを繰り返して強調していた。今、収賄と横領の罪に問われ投獄されているが、当時行ったことの正当性について、筆者は聞きたくて仕方がない。

道半ばにある国民の啓蒙

 中国の将来は解のない方程式である。すなわち、民主化すべきだろうが、共産党にとり中国が民主化することは共産党の下野を意味するものであるから、「普世価値」をかたくなに反対している。中国の知識人の多くは自分の国を民主化してほしいと思っているだろうが、どのようにして民主化を実現するかは分からない。冷静に考えれば、中国は簡単には民主化しないと考えざるを得ない。なぜならば、中国の大衆の多くは民主化についてほとんど理解していないからである。

 振り返れば、1898年の戊戌の変法は一部の官僚と知識人が変革を計画し、国民の啓蒙に取り組んだが、失敗に終わった。毛沢東が革命を起こして勝利したのは大衆を巻き込んだからであり、それにより蒋介石を打倒した。したがって、中国が民主化するとすれば、民主活動家は大衆を啓蒙して彼らを巻き込んで活動しないといけないが、経済が高成長するなかで大衆は民主活動に無関心になっている。それよりも、政府は民主化を啓蒙する活動を警戒し、その活動家のほとんどを連行して投獄している。こうした措置は国際社会において非難されるが、共産党の立場に立って考えれば、自らを打倒しようとする勢力を最初から封じ込めることは合理性が認められよう。

 中国は時代の分かれ目に差し掛かっている。汚職撲滅を担当する共産党中央委員会常務委員王岐山氏は、2014年の中秋節に共産党の老幹部たちを慰問する際、「専制政治体制では、汚職を根絶できないと外国人にいわれているが、我々共産党員はそれを信じない。絶対に根絶してみせる」と豪語した。王岐山氏のやる気には敬服するが、彼はスペイン作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説のなかのドン・キホーテのようにみえる。王氏の汚職撲滅への取り組みは風車に突進するドン・キホーテとまったく同じである。すなわち、汚職した幹部を見せしめとして捕えることができるのだろうが、汚職幹部を再生産する現在の政治体制を改革しなければ、王氏は間もなく老いていくため、汚職幹部は巻き返してくると思われる。王氏にとって習近平政権を擁護するのは責務だろうが、その前に、中国という国、そして、13億6000万人の国民に奉仕することを優先しなければならない。

 中国で展開されている汚職撲滅は国民によって幅広い支持を集めているが、同時に、国民の啓蒙に取り組む民主活動家の多くも拘束している。中国の民主化の道は解のない方程式と述べたが、誰がリーダーシップを取りそれを実現しようとするのか、国民はそれについていくかどうか、まったく未知数であるからだ。

毛沢東時代への逆戻り

 実は、国民大衆を啓蒙する民主活動家の活動を妨げているのは、政府だけではなく、毛沢東支持者も重要な役割を果たしている。毛沢東時代に逆戻りさせようとするのは、あの時代を経験していない若者であれば話は別だが、50代以上の熟年層がそれを支持するというのは不可解である。毛沢東時代は、政府、というよりも毛沢東本人の過ちによって最低でも2000万人が犠牲になったと政府の公式統計で示されている。中国国内の研究者の多くは犠牲者の人数が4000万人に達すると指摘している。

 毛沢東を支持する人たちにとり彼はこの上ない偉大なる指導者のようだが、毛沢東が犯した過ちとその犠牲者の人数からすれば、彼はヒトラーとスターリンと並ぶ20世紀の三大暴君の一人であると言っても過言ではない。何より、ヒトラーは自国民をそんなに殺害していない。スターリンは政敵を殺害したが、毛沢東は全国民を巻き込んで自分に忠誠を誓った仲間まで殺害してしまった。看過できないのは、毛沢東は文化大革命を引き起こし、無知の若者たちに貴重な文化財の破壊を指示した。

 文革の時、中南海(指導者たちの居住区兼執務室の所在地)の護衛を担当したある幹部が最近発表した回顧録によれば、「ある日、紅衛兵たちは、中南海の門を突破しようとした。何しに来たのかと尋ねたら、封建社会の文化を壊しに来たといわれた。このまま、彼らを中南海に入れるわけにはいかないと思い、毛主席の指示を仰ぐから、待ってくださいといった。このことをそのまま、毛主席に報告したら、信じられない返事があった。毛主席は、彼らが古い文化を壊したければ、そうさせたらといわれた。結局、現場の責任者は紅衛兵たちに、我々はすでに毛主席の指示により古い文化を事前に全部破壊したので、紅衛兵諸君にご苦労をかけないので、お帰りなさいといって若者たちを返した」。

 北京大学の張維迎教授(経済学)は中国で起きたさまざまな人災について「それは、多数の人の無知と少数の人の無恥によるもの」と批判している。多数の人は政府によって愚弄されている大衆であり、少数の人は恥を知らない幹部とそれに迎合する知識人のことである。

 北京の高校で教鞭を取る袁騰飛という若手歴史教育者がいる。彼は大学受験に必要な歴史の「知識」をカリキュラムに従って教えると同時に、歴史の真実も学生に教えている。その一部始終をすべてDVDに録画しインターネットにアップロードしている。そのフォロワーは500万人を超えている。この良心的な歴史教育者は、「毛沢東という人について試験のなかで、教科書通りに記述しないといけないが、史実は真逆である」と教えている。このような草の根の啓蒙活動はいずれ花を咲かせようが、筆者が生きる間はその美しい花を見ないのだろう。