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【17-04】中国の民主化は若者の意識変化にかかる

2017年 8月10日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 振り返れば、2017年は北京の大学生を中心とする民主化要求運動が政府によって弾圧されたいわゆる「天安門事件」の28周年だった。中国では、天安門事件が風化されたわけではないが、公の場で事件に関する議論やインターネットでの書き込みが厳しく禁止され、タブーとなっている。しかし民主主義は自由な市場経済の発展を担保する重要な制度インフラである。

 一方、今までの4年間、中国で反腐敗キャンペーンが繰り広げられているが、共産党幹部の特権を抑止する民主主義の政治システムが構築されていないため、反腐敗はいわばエンドレスのゲームになっている。ここで問われているのはガバナビリティのあり方である。すなわち、誰が共産党幹部を監督監視するかである。中国人の上昇志向は経済の発展に寄与しているが、経済発展の果実を公平に分配するシステムは民主主義制度の原点である。一党独裁の専制政治システムでは、共産党幹部が自律心が強く清廉潔白な人物であれば、腐敗はしないだろうが、人間は生まれつき利己的なものである。ある意味では、政治の使命はいかに人間の利己心を抑えるかに尽きる。共産党幹部に利己心がなければ、ここまで腐敗しない。

皇権と特権

 かつての皇帝が支配する社会では、皇権が最優先されていた。それに対して、民権が恣意的に犯された。1912年に、孫文は辛亥革命を引き起こし、清王朝を打倒することを目的に、共和制の三民主義、すなわち、民主主義、民権主義と民生主義を樹立させようとした。辛亥革命は清王朝を倒したことで半分は成功したといえるが、三民主義は樹立できなかったため、半分は失敗に終わった。

 2018年は、明治維新の150周年記念である。明治のときの日本人の偉いところは三権分立という法治国家の普遍的な価値観を受け入れたことである。それに対して、中国の最高実力者だった鄧小平は経済の自由化を進めたが、政治改革を認めなかった。ある意味では、今日の共産党幹部の腐敗は鄧小平の残した負の遺産といえる。

 中国政府は民主、人権と自由の普遍的な価値観の受入を拒否している。リベラルな知識人は普遍的な価値観の受入を求めているが、彼らのインターネットのSNSアカウントのほとんどが抹消されている。言論統制によって共産党一党独裁にとってのノイズが排除されている。

 では、中国では、民主化はいつ実現するのだろうか。

 中国社会の現状を踏まえれば、おそらく短期的には民主化を実現する可能性は低い。民主化の政治改革はボトムアップ型のやり方だと、犠牲者がたくさん出る可能性が高い。現実的に考えると、トップダウンの政治改革のほうが望ましい。中国と中国人の伝統は明君が現れ、その人によって民主主義改革が進められる。1980年代初期、間違いなく中国人にとり鄧小平は明君だった。

 しかし天安門事件を境にして民主化の政治改革に対する希望は完全に失われた。人々は金持ちになるのを夢見て、共産党が呼びかける経済建設に呼応してきた。その結果、人々の生活レベルは大幅に改善されたが、基本的な人権が侵される事件も多発している。格差が拡大した結果、国民の間で不満もたまっている。

 議論を先に進める前に、日本人の読者にとって分からない一つのことに言及しておきたい。中国の歴代指導者のなかで、習近平国家主席ははじめて標準語が話せるリーダーなのである。毛沢東と鄧小平の中国語は中国人が聞いても、通訳が必要なぐらいわかりにくかった。胡耀邦元総書記と趙紫陽元総書記の中国語も方言が激しかった。江沢民元国家主席と胡錦濤元国家主席の中国語は中国人が聞いて分からないほどではないが、なまりがあって、美しい中国語ではない。それに対して、習近平国家主席の中国語はなまりがまったくなく、分かりやすい中国語である。

 時系列で比較してみて、この変化がどのようにして起きたのだろうか。

 一つは学校教育のなかで基本はすべて標準語を使わないといけなくなり、もう一つはテレビとラジオの放送がすべて標準語によるものとして展開された。その結果、数世代を経て、中国では、標準語はほぼ普及した。

 これを民主化の政治改革の過程に置き換えれば、問題がはっきりと見えてくる。共産党が言っている中国の特色ある社会主義システム、すなわち、共産党一党独裁の統治はいわば方言のようなものである。人権、民主と自由という普遍的な価値観はまさに標準語のようなものである。

 今の指導者たちにとって中国の特色ある社会主義の独裁政治は国是であり、それを放棄するように求めても、そもそも無理な注文である。でも、今はインターネットの時代であり、若年層の意識を調査すれば、30代以下の中国の若者は方言のような中国の特色ある社会主義に拘ることはない。彼らはハリウッドの英語を見て、日本のアニメを楽しんでいる。中国の若者の間では日本の総理大臣よりも、蒼井空が遥かに有名のようだ。

 30代以下の中国人というのは、そのほとんどが天安門事件以降の生まれだ。彼らは当然のことながら天安門事件のことを知らない。ただし、インターネットを通じて、普遍的な価値観に触れ、基本的な人権が守られなければならないと信じているはずである。

 今の指導者はほぼ全員が文化大革命(1966-76年)の世代である。文革の世代は毛沢東思想教育を受け、完璧に洗脳されている。しかし今の若者をもう一度毛沢東思想で洗脳しようと思っても、ほとんど利かない。インターネットの功績は情報の透明性を高め、情報の非対称性を取り除くことである。

 あと30年経てば、文革の世代のほとんどは引退し、インターネットの世代は指導部の大黒柱になる。そうなれば、中国で民主化の政治改革が一気に前進する可能性が高くなる。30年後というのは2040年代の後半である。アメリカ人の中国ウォッチャーは「中国100年のマラソン」という著書を出版しているが、2049年ごろ、中国の独裁体制が崩壊すると予測している。予測の論理立ては同じではないが、結論は同じである。すなわち、30年後の中国人は中国の特色ある社会主義には拘らない。それよりも、人権、民主と自由に対するアレルギーは完全に克服される可能性が高い。残念ながら、それまでは改革を求めるリベラルな主張と独裁を堅持する保守派の対立が一進一退して紆余曲折の満ちた動きになる可能性が高い。