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【18-01】21世紀の教育のあり方―IQとEQ

2018年1月10日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 20世紀の教育は基本的に人々のIQ(知能係数)を高めるためのトレーニングだった。日本では、小学校の低学年で九九を覚えさせられる。中国でも同じである。小学校の高学年と中学校になると、方程式をいかに早く解くかが訓練される。その最たるものに数学オリンピックと呼ばれる競技がある。

 あるアメリカ人の大学教授に聞いたことだが、日本の進学塾の英語の模擬テストは、アメリカの若者の多くは合格しないだろうといわれている。同様に、ある中国人の教師によれば、中国人高校生の数学レベルはアメリカの大学でも十分に通用するといわれている。いずれも極論過ぎる表現だが、日中の受験勉強は試験問題を解く訓練であり、実際の応用能力の向上は必ずしも伴わないといわれている。

 北東アジアでは、韓国の受験戦争も地獄のようである。若者は大学入試に受かるために、昼夜問わず、奇問難問を瞬時に解けるように訓練される。ここまで苦労に耐えて奮闘する目的は出世するためである。本人も頑張ろうとするが、それよりも親や親族からのプレッシャーはとくに厳しい。

 古代中国には科挙という公務員試験があった。その試験は、膨大な漢文を通読し、出題される難問について決まった時間に作文することである。しかも文体は決められた「八股」と呼ばれる起承転結をきちんとまとめないといけない。受験準備のため、受験生は徹夜して大量の漢文を音読し暗記しないといけない。歴史書によると、古代の受験生は髪の毛を家の梁に結び付けるなどして睡魔と闘ったといわれている。また、別の受験生は針を持って、睡魔に襲われたときに、自らが太ももを刺したりしたといわれている。

 古代中国の教育は受験生の文章力をテストするためのものである。それに対して、近代以降の教育は受験生のIQを高めるためのものである。しかし、IQ教育だけでは、これからの社会に適応できなくなる可能性がある。

 これからはAI(人工知能)の時代である。量子コンピューターが普及すれば、AIは人よりも遥かに速く思考することができる。方程式の原理を理解することはこれからも重要だが、実際にその解を求める作業は必要でなくなる。これからは人間にとり重要なのはAIに指示を出すことである。

 囲碁やチェスの名人はコンピューターとの対局で負けた。将来、量子コンピューターの普及により、AIの思考能力は人間を遥かに凌駕することになる。これはシンギュラリティ(singularity)と呼ばれる急激な技術進歩による結果である。したがって、これからの教育は九九から方程式まですべて教えるのではなく、取捨選択を行っていかなければならない。

 これからの教育の重点はコンピューターのできないことを身に着けることである。では、コンピューターは何ができないのだろうか。コンピューターのIQは人間を凌駕していくのだろうが、EQ(感情係数)についてはゼロに近い。どんなに優れたロボットが開発されても、人間はロボットと恋愛することはありえない。人間にとりロボットはあくまでも道具に過ぎない。

 近代教育のなかでもっとも欠如しているのはまさにEQを高めるための教育である。日本のモノづくりの企業の経営者は技術系の人が多い。彼らは東大など名門大学を出ており、IQは高い。しかし、EQの低い人も少なくない。EQの低い人はリーダーとしてふさわしくない。なぜならば、一つの組織のリーダーは直接技術を開発する役割ではなく、従業員を束ねる人望が求められ、パートナー企業との付き合いなど社交性が何よりも重要となる。

 フォーラムなどの会議で日本企業の経営者は往々にして原稿なくしてあいさつすることができない。これはEQが低い証拠の一つである。

 では、どのようにすれば、EQを高めることができるのだろうか。

 2017年を振り返ってもらって、何回美術館に入ったか。何回コンサートを聞いたか。仕事以外に趣味があるか。会社の同僚以外に、親友がいるか。何冊の本(仕事以外の本)を読んだか。これらの質問に答えていけば、自らのEQのレベルはおおよそ判明することができる。

 EQの低い人は往々にして話題性がない。すなわち、同僚や友人と食事をするときに、会話する話題がない。以前、フランスでの国際会議に参加したとき、夜、パーティがあった。フランス人の研究者は次から次へと会話の話題を提供してくれた。こちらの話題にも適切に付き合ってくれた。のちにフランスの友人に確認したら、フランス人にとりパーティで何を食べるかよりも、どのような話題を提供するかがとりわけ重要であり、事前に調べておくといわれている。

 アメリカの商工会議所に講演を頼まれたことがあり、その前にランチを食べた。事前に主催者からいわれたことだが、宗教や民族などの話についてできるだけ避けてほしい。もっとも無難なのはスポーツの話といわれた。

 別のフォーラムに参加したときの話だが、夜の懇親会のとき、ハーバード大学の教授が乾杯のあいさつを頼まれた。難しい話をすると思ったら、英語で次のように挨拶された。

 「古代エジプトで、ある日、王様は大臣たちを招集して会議を開いた。しかし、会議が始まる前に、突然、一匹のライオンが宮殿に入ってきた。王様も大臣もびっくりした。そのとき、一人の大臣はゆっくりライオンに近づき、ライオンの耳元で何かを話した。すると、ライオンはつまらなさそうに出て行った。王様は不思議そうな顔で大臣に『君はライオンに何を話して、ライオンをおとなしく帰らせたのか』と聞いた。大臣は、私はライオンに『これから王様は長い演説を始める』といっただけで、ライオンは自ら出て行った」

 何ともいえないユーモアで知的な乾杯の挨拶だった。21世紀はIQをAIに任せることができるが、EQをそれぞれの努力で高めなければならない。しかし、実際の教育をみると、EQ教育はほとんどの国では行われていない。