【13-07】国宝協奏曲—第二次アヘン戦争で奪われた「お宝」の中国帰還?—
2013年 7月17日
川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 准教授
略歴
1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授(現職)
NHKの報道
6月30日朝、NHKの朝のニュースで次のようなニュースが流れた。
中国で、19世紀に破壊された清朝の離宮「円明園」から国外に流失した十二支のブロンズ像のうち、ウサギとネズミの2体が、所有していたフランスの企業家から中国に返還されました。返還されたのは、清朝が北京に造った離宮「円明園」から流出した十二支のブロンズ像のうち、ウサギとネズミの頭部の像2体です。ファッションなどの高級ブランド「イブ・サンローラン」を傘下に置くフランスの企業家が2体を所有していましたが、このほど中国に返還し、北京の国家博物館で記念の式典が行われました。「円明園」は、1860年、第2次アヘン戦争のさなかにイギリスとフランスの軍隊によって破壊されました。中国政府は、その際に十二支のブロンズ像は両国の軍によって略奪されたとして返還を求め、4年前にウサギとネズミの像がパリでオークションにかけられた際、中国国内ではフランスへの反感が強まりました。今回、2体が返還されたことで、流出した十二支のブロンズ像のうち7体が中国に戻ったことになります。
(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130630/k10015686081000.html)
このNHKのニュースを誤りだと断じることはできないが、中国政府の発表の内容をそのまま放送することにも違和感を覚えた。
円明園十二生肖獣首銅像
今回話題になったのは、18世紀に建築され、19世紀半ばに英仏連合軍による略奪された、北京郊外の円明園にあったとされる「円明園十二生肖獣首銅像」である。これは、円明園の噴水時計のまわりに配された12支の獣首人身の銅像で、日本の教科書にも出ているカスティリオーネがデザインしたものとして知られている。
目下、その12体は世界にちりぢりになっており、2009年2月25日、パリでクリスティーズによって競売にかけられたのがウサギとネズミであった。このオークションでは、中華海外流失文物緊急保護専門基金の関係者が落札したが、これは他への流出を防ぐための落札で、実際には支払いを拒否し、中国政府が返還を求めていた。
欧米や日本の博物館には多くのアジアやアフリカの展示物があり、それらの返還交渉が各地で発生している。一部には、先進国で保存されたからこそ保存できたと主張する向きもあるが、総じて帝国主義の侵略にともなう略奪品だとして、返還されることが増えて来ている。
中国の国宝回収熱
ほぼ20世紀を通じて国権回収運動を国是とし、昨今「中華民族の偉大なる復興」を提唱する中国にとって、こうした国宝の回収は急務である。そもそも、いわゆる清代以来の「国宝」の大半が台湾の故宮博物院にある中国にとって、海外に流出した「国宝」の回収は、いまや領土を回復するのと同様に、「屈辱の近代」を取り戻す作業にほかならない。今回のネズミとウサギの像もまさに侵略により略奪された国宝を取り戻す、まさに正義にもとづく行為だと、中国では位置づけられる。
この十二支の銅像が奪われたとされるアロー戦争(第二次アヘン戦争、1856−60年)は、清の敗北によって、清が諸列強と天津、北京条約を締結して、中国をめぐる不平等条約体制が確立した戦争だ。また、この戦争期間中に締結されたロシアとのアイグン条約、北京条約によって沿海州などの広大な領域をロシアに割譲したことでも知られる。そして、円明園は、この戦争の過程で英仏連合軍が北京に進軍した際に、略奪の対象となった清王朝の離宮で、まさに「列強の侵略と富の簒奪」の象徴的な場なのである。
本当に略奪されたのか
しかし、果たして本当にこれらの「国宝」−ウサギとネズミ−は英仏連合軍によって略奪されたのだろうか。そして、今回中国に「返還」されたものが150年前に略奪されたものなのだろうか。
中野美代子「愛国心オークション」(『図書』(岩波書店、2009年7月号、P.32-35))が既に明らかにしているように、当時の略奪についての報告書やフランスの新聞のイラスト、以後の史料からも、この十二支像はアロー戦争に際して略奪にあったと断言するにはまだ検証が必要である。それは、そもそもアロー戦争に際して、これらの像が奪われたのか、という問題である。
次に、このような十二支像は、この円明園にあったものだけなのか、ということである。実は、アロー戦争以後も北京でこの十二体の銅像が確認できる。たとえば、西太后は南海の周囲に十二体の像を並べてライトアップしたともされる。また、中野も参照しているCarroll Brown Malone, History of the Peking summer palaces under the Ch'ing dynasty, The University of Illinois, 1934. は、152ページにはここの示す写真を掲載している。
このページのキャプションには、「北京の冬の離宮の12の銅像」とされ、「これらの銅像は、(同書の)149ページにある円明園の水時計の周囲にあった銅像と同じように置かれている。だが、これらは電球をその手にもっているものの、その技術は決して高いとは言えない。これらは慈禧太后(西太后)のために製作されたという」と記されている。
これは少なくとも、十二生肖獣首銅像が1セット、20世紀に入っても北京に残されたことを示唆している。無論、銅像が実際には略奪されず、清朝によって円明園の外に運び出された可能性もあるし、西太后が中南海に設けたものがすべてレプリカ、あるいはあらためて製作された(つまり銅像は複数セットあった)という可能性もある。
では、今回に中国に返されたというウサギとネズミはどれの一部分なのか。全体で1セットしかないのなら、20世紀初頭には円明園のものは他所に移されていた、つまりアロー戦争では盗まれていなかったということになる。また複数セットあったというのなら、今回返されたものがどのセットの一部分か明確にしなければならない。そもそも南海にあった像は現在もあるのだろうか。こういったことの究明なしに、「国宝返還」と決めつけるのには疑義が残る。だが、中国ではすでに、そういったことを歴史学者が口に出せなくなるほど、「国宝返還」という正義の下に、話が大きくなってしまっている。
「略奪されたものを奪い返す」という国民運動と「略奪品リスト」
中国では、20世紀初頭から条約改正が開始されたが、本格的に、アヘン戦争以来列強により奪われた国家権益を奪い返すという国権回収運動が展開したのは、1920年代半ばからである。主導したのは国民党であり、やがて共産党がそれを継承した。植民地となった香港、台湾、また外国の軍隊が置かれた租借地、そして外国人居住区(あるいは特別司法・行政地帯)としての租界、鉄道や鉱山などの諸利権など、さまざまなな「国権」が回収の対象となった。外国側は「条約」を根拠に、その利権を外国側が有することを正当化しようとしたが、中国側はそうした条約さえも、不法であるとすることがあった。
しかし、ここで問題になるのは、そもそも何が奪われたのか、何を取り戻すのかという中身だ。一般的に、植民地支配を受けた国や、侵略された国では、略奪されたものを奪い返すという政治運動が多く見られる。これは決して珍しいことではない。だが、その略奪されたもののリストが随時変更されたり、頻繁に書き加えることとしたらそれは厄介なことである。まして、その国が軍事力も含めて「大国」になってしまったとしたら、大変なことである。力に任せて、「奪われたもの」であるかどうか曖昧でグレーゾーンにあるもの、あるいは十分に検証されていないものを「略奪品」に加え、正義の名の下に回収することを「国是」とするとすれば、それは大きな脅威となる。回収の意思のみならず、その能力、パワーもあるからだ。
ライジング・ドラゴン(原題・十二生肖)」という、ジャッキー・チェン主演の映画は、まさにこの十二支の銅像の「回収」をひとつのモチーフにした映画である。映画の中での会話は、さまざまなオブラートに包まれてはいるが、そこには十二支銅像以外の「国宝」も登場し、それが中国にとって「回収すべき対象」であることが織り込まれた内容であった。「屈辱の近代」の回復運動は当面続きそうである。