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【21-01】「四史」―中国の新たな公的歴史教育・研究の基軸―

2021年02月16日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)

 習近平が歴史、それも党の歴史を重視していること、その中で民国史などが大きく後退するといった変化が中国の歴史学界、歴史教育界に生じていることは、ここのコラムでもしばしば述べてきた通りである。2020年以降、そこに新たな状況が加わってきている。

 党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史の「四史」が共産党史の領域から称揚され、様々な制度に「四史」が組み込まれつつあるのだ。特に胡錦濤政権期の後半に大学の文理共通必修教育として導入された「中国近現代史綱要」については、そこにこの「四史」が組み込まれる、あるいは取って代わられる傾向が見られ始めている。

 2021年10月、教育部は「四史」を大学生の教材に組み込むことに関する「専門(専題)会議」を開催した。それにより、その教材が人民出版社から出版され、2021年春から全面的に使用されることとなった(「教育部啓動編写"四史"大学生読本」、『人民日報』2020年10月13日)。大学の歴史教育の現場では、胡錦濤政権以来、マルクス・レーニン主義系統の(文理共通)必修政治科目である「中国近現代史綱要」が相当に重要な位置を占め、大学内の歴史研究のポストとしてもこの科目担当者が数の上で増加してきていた。「四史」がその「中国近代史綱要」と融合する、あるいは取って代わるということになると、大学における歴史教育や歴史研究において、この「四史」が一つの標準となっていくことが想定される。そうしたことからも、この動きは注目に値する。

 党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史という四史の構成を見れば、最初の党史が共産党史であることは言を俟たない。二つの目の新中国史は、中華人民共和国史というよりも、共産党自身が実際の統治で行ってきた実践の歴史であり、1949年以前を含むと考えられる。1949年以降であれば、党史に対応した国家史だとも言えるだろう。三つ目の改革開放史は、社会主義現代化について学ぶステージであり、中国が「豊かで強い国になる」ことと社会主義との整合性をいかにつけてきたのかを学ぶ段階となる。四つ目の社会主義発展史は、いわば社会主義の発展に主軸を置いた世界史とそこにおける中国共産党の歴史、国家としての歴史などを位置づけるものである。

 四史は、たとえ中国近現代史綱要が、最終的には共産党の正当性を説明することを目的としていようとも、アヘン戦争からの中国近現代史を通史的に語る、従来からの「中国史」のナラティブに近かったことと比べると、大きな違いがある。かつての中国近現代史のナラティブは中華人民共和国の成立に至る、あるいは共産党が政権を掌握していくことを説明するためのものであって、だからこそ帝国主義列強の侵略、半封建・半植民の克服、そして対比する相手としての清朝や民国政府が必要であった。このことに鑑みれば、今回の四史はまさに歴史のナラティブの基軸を21世紀においたものだと言えるだろう。それだけに19世紀の歴史や、20世紀前半の共産党とは関わらない歴史は必ずしも重視されない。また、共産党としての自信の表れもあり、比較対象としての清朝や民国も重視されないということになる。世界史的な理解も、共産主義、社会主義の観点から整理されるということだ。

 このことは日本との関係性にどのような影響を与えるのか。例えば、抗日戦争については、抗日戦争時期として1931年から1945年までを戦争期間とする14年説が採用されているのは周知のとおりである。だが、中央党校(国家行政学院)党史教研部教授で博士学生の指導教員でもある盧毅による「為什麼説中国共産党在抗戦中発揮了中流砥柱作用(なぜ中国共産党が抗日戦争において困難の中でも揺るぎない作用を発揮したと言えるのか)という講演(中国共産党ウェブサイト)には14年説だけではない、他の側面が見て取れる。この講演は、2020年9月3日、すなわち抗日戦争勝利記念日に行われたものであり、また四史を意識した内容となっている。それによれば、「1931年に満洲事変が発生したあと、国民党は『不抵抗』政策を実施し、直ちに中国東北部を放棄してしまった。のちに、『攘外必先安内』政策を採用して日本に対して妥協し続けた。そして中国共産党こそが最初に日本に宣戦したのだ。中国共産党は、日本に対して宣戦しただけでなく、積極的にそれを実践に移し、東北抗日聯軍を領導して抗戦を領導したのだった」などと述べている。ここでは国民党批判が強く打ち出され、以前のような国共合作的な言説が後退し、それに伴って中国共産党の対日宣戦が強調されている。この中国共産党対日宣戦は、1932年初頭に日本が錦州を占領したことに反発して同年4月になされたとされるものだ(『紅色中華』1932年4月21日)。

 今後、抗日戦争における国民党との協力というナラティブも後退して、まさに中国共産党による抗日が抗日戦争史の主旋律として語る歴史が「主流」となっていくのかもしれない。