【25-04】「反外国制裁法実施規定」の施行と実務的影響
2025年07月07日

柳 陽(Liu Yang):
柳・チャイナロー外国法事務弁護士事務所代表
北京大学、慶應義塾大学法学修士。2006年より弁護士業務を行っており、日本企業の中国における新規投資、M&A、事業再編、不祥事対応、労務及び紛争処理等中国法業務全般を取り扱っている。
事務所ウェブサイトhttp://www.chinalaw-firm.jp
1. はじめに―制度の明文化がもたらす法的リスクの新局面
2025年3月23日、中国において「反外国制裁法実施規定」(以下「実施規定」)が正式に施行された。本規定は、2021年に施行された「反外国制裁法」(以下「反制裁法」)の運用を具体化するものであり、これにより外国による差別的な制裁措置に対して、中国が制度的かつ組織的に対抗措置を講じる枠組みが事実上完成したと言える。
従来、反制裁法は対外的な政治シグナルとしての意味合いが強く、運用においては相当程度の不透明性が指摘されていた。しかし、実施規定の施行により、調査、認定、制裁決定、異議申立、解除手続といった一連のプロセスが法令上明文化され、実効的な制度としての基盤が整いつつある。とりわけ、日本の企業や機関にとっては、米国等が課した域外制裁を遵守するという行為それ自体が、中国法上の「敵対的協力行為」と見なされるリスクを現実のものとする制度環境が生まれたことになる。
本稿では、日中法務の実務に携わる視点から、まず実施規定の概要と特徴について整理した上で、日本企業などの実務に与える影響を分析し、最後にとるべき対応について考察する。
2. 実施規定の概要と特徴
実施規定の最大の特徴は、反制裁法に基づく制裁措置の適用プロセスを、行政手続として明確に定義した点にある。外国による差別的制裁措置が中国の国家利益や公民・組織の合法的権益を侵害する場合、関係機関が調査と証拠収集を行い、その上で関係部門が「反制裁リスト」を策定し、必要な制裁措置を講じるという手続的枠組みが整備された(実施規定第2条、第3条後段)。
また、制裁対象となった企業や個人に対しては、異議申立や措置解除の申請といった救済制度も制度化されており、これにより形式的ながらも衡平性と透明性の確保が図られている(実施規定第14条)。
特筆すべきは、制裁対象の範囲が広範に設定されている点である。実施規定においては、制裁の対象範囲が外国国家から広く個人・組織にまで拡大され、さらに、外国による制裁措置に直接関与した主体のみならず、中国の国家の安全や発展利益を害する行為を「実施、協力または支援」した国家・組織・個人も、制裁対象とし得る構造となっている(実施規定第3条前段)。これにより、第三国に拠点を持つ企業が、自国の制裁法令に従って中国企業との取引を停止した場合、その行為自体が中国における反制裁措置の引き金となり得るという、いわゆる「法的板挟み」の構造がより顕在化することとなった。
制度的には、制裁措置の公示、申立て制度、外交部や商務部など複数部門による判断という設計により、手続面での形式的正当性が一定程度担保されているものの、実質的には外交・政治的判断が大きく影響する制度である点は変わっていない。したがって、今後の制度運用においては、条文の表現以上に、実際の適用事例の積み上げがその評価を左右することになるだろう。
3. 制度の実効化が企業実務にもたらす影響
今回の実施規定の施行により、日本企業などが直面するリスクの性質は、抽象的懸念から実体的な法的リスクへと質的に変化した。
まず注視すべきは、制裁対象となった企業や個人などの名称が今後中国国内で公式に公示される可能性が高くなるという点である。これまで反制裁措置は比較的水面下で行われてきたが、制度化されたリスト制の下では、制裁対象の「見える化」が進むことが予想される。中国市場でのブランド価値、現地パートナーとの関係、政府との協力関係などに対して、深刻な影響を及ぼす可能性がある。
また、企業が米国などの域外制裁に従い、特定の中国企業との取引を停止または契約を解除した場合、その行為が「外国の違法な制裁措置への協力」と評価されてしまうことにより、中国国内での民事訴訟や行政調査を招くリスクも現実化している。すでに2023年には、欧州の海運企業に対し、中国企業が反制裁法に基づいて差し止めを求める訴訟を提起し、調停により解決した事案が報道されており、今後同種事案が増加する可能性は否定できない。
さらに、制裁対象の範囲が広く、定義も抽象的であるため、企業がリスクを事前に察知・管理することが困難であるという構造的問題もある。米国のOFAC制裁リストと異なり、中国側の制裁措置は必ずしも定期的に公表されるわけではなく、事後的に対象となったことを知るケースすら想定される。このような不透明性は、企業のコンプライアンス体制にとって深刻な負担となり得る。
4. 日本企業に求められる対応
こうした制度的変化に対して、日本企業は従来の米国法中心の制裁コンプライアンスから脱却し、「米中双方における法的整合性」を追求する複層的な体制整備を迫られている。
まず、取引の相手方が米国あるいは中国いずれの制裁リストに該当する可能性があるかを把握し、適用される法令とそのリスク評価を行う必要がある。そのうえで、契約条項においては、制裁リスクに関連する解除条項、不可抗力条項、準拠法条項、紛争解決条項などを慎重に設計し、必要に応じて柔軟な見直し条項や協議義務条項を盛り込む工夫が求められる。
また、企業として制裁対応に関する意思決定を行った場合には、その判断根拠と検討過程を可能な限り文書化しておくことが肝要である。仮に後日、中国国内において不法行為の主張がなされた場合であっても、一定の合理性と善管注意義務に基づく対応であったことを示す材料として機能し得るからである。
さらに、中国側の制度運用に精通した法律事務所や対中実務経験のある外部専門家と連携し、必要に応じて制度の適用可能性や影響について先回りして評価を受ける体制を整えておくことも、極めて実務的な備えとなる。
5. おわりに
今回の実施規定の施行は、中国が「反外国制裁法」を単なる外交的ジェスチャーから、制度的に自立した実効的ツールへと移行させる動きの一環であると理解される。
制度としての透明性や予見可能性は一定程度向上したものの、依然として恣意的な運用や外交判断による変動可能性が残されている点に注意が必要である。日本の企業や機関は、従来以上に慎重なリスク評価と契約設計を行うと同時に、対中ビジネスに関する経営判断において、法的観点と政治的観点の両面から統合的な判断を行う体制を整備すべき局面に入っている。
日中法務の現場に身を置く者として、日本企業には「恐れて退く」のではなく、「理解し、整備し、備える」という実務的対応を通じて、変動する国際法環境に柔軟に適応していく姿勢が今こそ求められていると強く感じる。
以上
参考リンク
- 中華人民共和国中央人民政府「实施《中华人民共和国反外国制裁法》的规定」