【07-04】労働節と孫中山
渡辺 格(JST北京事務所長) 2007年5月21日
メーデー(労働節)の休みを利用して、北京の天安門のすぐ西隣にある中山公園の中にある中山堂を見学した。かつては故宮を構成していた建物群のひとつの建物を孫中山(孫 文)に 関する小さな博物館にしているところである。
メーデーには、毎年、天安門前広場にある人民英雄記念碑の前に孫文の肖像画が掲げられる、そういう日だから中山公園に行った、ということでは、実はなく、本当は、今日は、20年前の駐在員時代以来、行 っていなかった故宮博物館へ行こうと思ったのだ。しかし、メーデーの当日で、しかも大変天気がよかったため、故宮博物館には地方出身の客(いわゆる「お上りさん」)が大挙して押しかけ、日 本で言うところの初詣の時の明治神宮のような混雑だったため、故宮参観はあきらめて、隣の中山公園へ行ったのである。
孫文は、辛亥革命の指導者として、中国現代史の中では最も重要な人物の一人である。台湾では孫文は中華民国の祖として現在でも国父としての扱いを受けているが、大陸の指導者にとっても、中 国の近代化革命の始祖としての孫文の重要性はいささかも変わるものではない。江沢民は、20世紀の中国の歴史を画した3人の人物として、孫中山、毛沢東、鄧小平の3人を掲げている。
孫文は、辛亥革命前後、日本にいて革命へ向けての様々な活動を行っていた。中山堂にある孫文の足跡を示す展示物や写真には、そのため、日本に関連するものが数多く並べられていた。孫文は、1 915年10月、東京で宋慶齢と結婚したが、この結婚に立ち会った日本人の手による結婚誓約書(日本語)の現物も展示されていた。この結婚誓約書には、宋慶齢が後日書いた「これは本物である」と いう書き込みもされていた。
この日、中山堂では、中国中央電視台が2001年9月に制作した「孫中山」というドキュメンタリー番組(45分間×6回)のビデオを流していた。私もその一部を見たが、い ろいろなところで日本が登場していた。例えば、孫文が日本に滞在中、滋賀県八日市(ようかいち:現在の東近江市)にあった飛行場を訪れ、それに刺激を受けて、多 くの中国人に飛行機について学ばせたことも描かれてた。この番組では、現在の日本の八日市に取材に行き、飛行場があった跡が撮影され、保存されている当時の資料や資料の保存・修 復に当たっている日本人のインタビューなどが交えられていた。辛亥革命(1911年)当時は、ライト兄弟の初飛行(1901年)からまだ10年程度しかたっていなかったにも係わらず、日 本は飛行機の重要性に着目し、八日市に飛行場を作っていたのだが、孫文もまた、中国の将来のために飛行機の重要性を認識して日本から最先端の技術を学んでいたのである。この番組では、孫文が、こ れらの日本での経験を基にして、黄埔軍官学校を設立したことを紹介していた。
この中山堂がある中山公園は、天安門のすぐ西側にあるのだが、外国人の観光コースから外れており、日本人も含めて外国人はほとんど訪れない。今日も、見たところほとんど全てが中国人( 特に地方から出てきた人)だった。参観は有料(中山公園に入るのに10元(約150円)、さらに中山堂に入るのに2元必要)なのだが、結構たくさんの人が入っていた。「孫中山」の ビデオも1回45分という結構長いものだが、上映場所にイスも何もないので、立って見ているか、石の上にペタっと座って見るしかない。それでも、かなり多くの人が熱心に見ていた。これら多くの中国の一般大衆が「 革命の父・孫文は日本から多くのものを学んだ」ということを学んでいたのである。
去る4月に訪日した温家宝総理は、日本の国会での演説で、魯迅、孫文、周恩来らの先人が日本で学んでいたことを指摘していた。この演説には外交辞令的意味合いもあったのかもしれないが、今日、私 が見た中山堂の展示は明らかに中国の一般大衆向けの展示であり、外交辞令的意味合いは全くない。中山堂の展示は、昔から同じような展示を続けているのか、現政権の意向を踏まえたものなのかは定かではないが、お そらく、先の温家宝総理の「多くの中国の先人が日本から学んだ」という言葉は、中国は日本との間で、これからは、去年までの5年間とは違った関係を作りたい、という中国の現政権のメッセージであったと、素 直に受け取ってよいと思う。
今日はメーデー当日だし、雲ひとつないすがすがしい青空だったので、天安門前広場には、むせかえる程の大勢の人が出ていた。そのむせかえるような人々の波の中では、外国人らしき観光客は目立たず、ほ とんど全てが中国の全国から集まってきた人々に見えた。旅行で来た人たちもたくさんいたようだったが、北京の建設現場で働く農民工が今日は休みなので天安門前広場に遊びに来た、という人たちも多いように見えた。天 安門前広場の孫文の巨大な肖像画を見て、たった今、中山堂で、孫文が日本で得たものについて見た直後だっただけに、ここにいる膨大な数の中国人民に対して、日本は何ができるのかを思い、私 にとっては非常に印象深い労働節だったように思う。