【07-09】中国人は変わったのか~貝と羊の中国人~
今井 寛(筑波大学大学院教授・中国総合研究センター特任フェロー) 2007年9月20日
変わったのか、変わらないのか
中国への赴任準備のため、初めて中国語に触れたのは確か1987年の秋。気がつくと、彼の国と付き合い始めて二十年になる。これまで色んなことを見聞きしてきたが、繰り返し浮かんでくる一つの問いがある。
「中国人は変わったのか。それとも変わっていないのか」
北京で駐在員生活を開始した頃は、改革・開放路線に転じて既に十年くらい経過していたが、それでも現在とは随分様子が違っていた。例えば、1 949年の解放後しばらくして中国を旅した人のエピソードを耳にしたことがある。
「宿泊したホテルにカメラを忘れたことに、次の町へ出発した後に気がついた。でも旅程は決まっており、あきらめてどんどん進んでいったところ、後からカメラも町々を転送され追いかけてきて、最 終的には無事に受け取ることができた」
などと聞くと、「昔はのんびりした安心感のある時代だったんだ」と当時でも思った。それでも北京駐在中、治安のことなどで特に不安になることはなかった(逆に戒厳令は体験したが)。
食品の安全性なども、今のように社会問題になることなどなかった。旅行者の心得として「生ものは食べてはいけない」「肝炎には注意して」等言われたが、過剰に農薬を使用しているなどといった話は、特 に記憶にない。むしろ「中国では農薬は使わない。薬で除草するよりも、人手で草取りした方が安くつくからだ」
と聞き、納得していた。
実際、事務所主催のレセプションへの招待状を外注した時のことを思い出す。注文したのはごく一般的な招待状だったのだが、飾りとして入っていた綺麗な蝶と花の絵は、全て手書きで画かれていた(百枚も!)< /p>
あの頃は、単に人件費が安かったから、一見丁寧な仕事をしていたのか。でも、今よりも社会の中に「良い品を作ろう」という気分があったようだ。
それとも、中国人は変わってしまったのか。とにかく短期間でも儲かれば良くて、後々の信用とか特に気にしないのか。それにしては、余りにも短い。こんなに短期間のうちに、人間激変できるものなのか。& #160;それとも、一見「激変」に見えても、中国人の中には変わらない素質みたいなものがあるのか・・・などと、中国の食の安全、環境問題など様々なニュースを聞くと、ついつい自問自答してしまう。こ のような報道が、全部が全部真実であるとは言えないと思う。でも、中国人の行動や求めているものが、以前とは随分変わってきたように感じるのは自然なことだろう。
中国人の二面性
一方で、中国人と接しているうちに、彼らの中には、全く異なる二つの気質があることに気づいた。
一つは、人と人との信義を大切にする心。もう一つは、機会を敏感にとらえ、時には他人を出しぬいても儲けようする商才。この二つが、中国社会や中国人の中に、場合によっては一人の人間の中に混在している。
そんな時に、京劇の研究者である一人の日本人が書いた本「貝と羊の中国人」(加藤徹著、新潮新書)に出会った。この本を読んで、長年抱いていたもやもやとした疑問が整理された。加藤氏は、中 国人を対象とした長年の研究と経験から、「中国人とは何ぞや」という疑問を、中国人の心理の深いレベルまで潜って、解き明かしている。ここでは、その内容を一部紹介しておく。
本書は、中国人には三千年前から二つの気質が流れているとしている。ひとつは東方系の殷の文化、もう一つは西方系の周の文化である。加藤氏は前者を「貝の文化」、後者を「羊の文化」と呼んでいる。
まず、殷人の貝の文化について見ると、
「殷人の本拠地は、豊かな東方の地だった。このため、彼らは目に見える財貨を重んじた」
今も中国沿海部は比較的豊かで、経済など中国の発展を先導する。有形のものを重視する殷の貝の文化は、現在に至るまで脈々と受け継がれている(ちなみに漢字の「貝」はお金を意味しており、「財」、「貨」、「 貿」などには「貝」が付いている)
一方、周人の気質はどうか。
「周人の祖先は、中国西北部の遊牧民族と縁が深く、血も気質も、遊牧民族的なところがあった」
豊かでない大草原や砂漠を移動する遊牧民は、「空から大きな力が降ってくる」という普遍的な一神教を信じやすい。周人が信じた「天」に受け入れられるため には、羊を捧げるだけでは不十分である「義」、「 美」、「善」(全部、「羊」という字が含まれている)など、無形の善行を積まなければならない。ここにイ デオロギー的な無形の「良いこと」を重んじる羊の文化が生まれたとしている。
もし、このような「貝の文化」と「羊の文化」が、中国人や中国社会の深いレベルにまで浸透しているとしたらどうだろうか。中国人の行動に、機を逃さず儲けるということと、信 義を重んじるという二つの面が出ることに、不思議はなくなる。
そして現代中国においては、たまたま「貝の文化」がやや優勢に表れているとも解釈できるのである。
その他本書では、「流浪のノウハウ」「人口から見た中国史」「ヒーローと社会階級」「地政学から見た中国」など、中国人そのものについて考える興味深いテーマが論じられている。中 国人の奥底を理解するための必読の書であると言えよう。
日本と中国の人の「信義」
最後に、本書で紹介されている印象深いエピソードについて。
昭和の初め、上海の書店が全数十冊に及ぶ歴史書の出版を計画したので、日本人の中国史研究者が予約金の一部をそえて申し込んだ。ところが、刊行途中で日本 と中国とで戦争が始まり、両 国の通信手段が途絶えてしまった。するとその書店はできあがった本を順次中立国のスイスへ送り、そこから敵国の日本へと送り続けた。
戦争も、「人が信義を守る」ということを止められない。ましてや、今は戦争中ではない。