【16-002】中国は消費大国になれるか(その2)
2016年 2月 1日
和中 清: ㈱インフォーム代表取締役
昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む
主な著書・監修
- 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
- 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
- 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
- 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)
(その1よりつづき)
投資は将来の消費大国への布石でもある
その1では最近の中国の消費動向を見た。中国の現実の消費の姿と「過大投資、過少消費」の問題指摘には大きなギャップがある。中国経済が過少消費ならネットショッピング、自動車販売、アップル製携帯電話の売り上げの伸びや旅行業の盛況も説明ができない。
そのギャップの原因は何か、先に述べた5つの視点で考える。
先ず、消費と投資の比率だけで過少消費が指摘できるか
についてである。
GDP統計には三つの計算手法がある。「生産」「所得」「支出」からの計算である。
生産からの計算は(産業別の算出額-産業別中間投入額)となる。所得からの場合、(労働者報酬+純生産税+固定資本減耗+営業余剰)により計算する。支出による計算は(最終消費支出+総資本形成+財貨サービスの純輸出)である。最終消費支出は家計と政府の消費に区分され、人口調査や農家と都市の家計サンプリング調査、政府報告等により推計する。支出法による計算では、消費と投資と輸出の比率はグラフのように推移している。
投資と消費をわかりやすくとらえるために、上海を例に考える。上海開発が進みだしたのは1991年である。今では16号線まである地下鉄の1号線工事が始まったのもその頃である。環状高速道路もなく、上海と近郊の嘉定を結ぶ中国初の高速道路が開通したのは1996年9月である。上海の多数の人が計画経済時代の政府支給住宅で暮らし、市民の足はトロリーバスと自転車だった。浦東国際空港もなく、今では高速鉄道で20分の蘇州へ行くにも1車線の道路で、渋滞すれば5時間ほどかかる時代だった。そこから上海開発は始まり、一時は世界の4分の1のクレーンが上海に集まったと語られた。
今では世界の資本が集まる上海も、固定資産投資があればこそ消費都市に変貌した。
上海の固定資産投資額も一足飛びに上昇したのではない。財政の問題がある。外資を集め企業を誘致し、税収を増して本格的に投資が始まるまで10年ほどの時間も必要だった。上海のGDPの投資と消費の比率はグラフのような推移を示している。
上海の2001年の消費比率は47.5%である。中国の消費を問題とする論者から見れば、2001年の上海も「日本の61%や米国の69%に比べて、内需、個人消費による経済牽引力不足が目立っている」と映るだろう。また中国の1985年におけるGDPの消費比率は66%、投資比率は38.1%である。しからば1985年は消費が中国経済を牽引しているのだろうか。
自由貿易区をつくり、世界の金融資本が集まり、第三次産業も成長して消費が拡大を続けるのは投資の時代があってこそ可能である。中国の多くの都市も、上海のようにインフラ整備を経て、消費都市に変貌しようとしている。
「何もなかった中国」にとって投資は、将来の消費の布石である。
政権保持のために国民に餌を撒く戦略のない投資なら別だが、消費は投資で育ち、また新たな投資も生まれる。旅行、ネット販売、家具、家電、自動車、飲食市場の成長も投資があってこそ、である。
まして広大な国土と厳しい自然の中国である。投資は大きくならざるを得ない。
来年度完成予定で建設が進む州省安順市関嶺布依族苗族自治県と晴隆県を結ぶ高速鉄道に架かる北盤江大橋は全長721m、盤江の水面からの高さが300mの高架橋である。西寧と拉薩を結ぶ青蔵鉄道は崑崙山脈をとおり最も高いところは唐古拉駅付近の海抜5072mである。
中国で最初の高速道路が完成して20年で、中国の消費を米国や日本と比較し、投資との比率で問題を指摘すること自体が無意味である。固定資産投資が進みだしてまだ30年。そんな国で、消費割合が米国や日本と同じ経済など考えられない。
それが考えられる経済は、必要な投資も行えず、国民が衣食の満足を求めるだけの貧しい経済である。すなわち90年代以前の中国である。
社会の生の姿、動的変化が見えなければ、人は統計の比率だけで社会を判断してしまいがちである。格差の問題、失業率の問題、影の銀行の地方債務の問題、住宅バブルの問題、成長率のとらえ方の問題もそこに起因する。中国をとらえようとする際、そこに罠が潜む。
労働者報酬に現れない所得が労働分配率を低くする
次に、GDPの所得計算での労働者報酬(雇用者所得)と企業所得の区分と労働分配率の計算について考える。
「過少消費」の原因の一つに労働分配率(雇用者所得÷GDP)の低さが指摘される。
中国の労働分配率は以下のグラフのように推移している。先進国の労働分配率も低下しているが、中国に比べれば高い。内閣府統計では2014年の日本の労働分配率は69.3%である。
中国の統計上での労働分配率を低くする原因は三つある。
一つ目はGDPの所得計算での所得区分。二つ目には裏経済の裏所得が挙げられる。三つ目は国有経済時代から続く給与外所得の存在である。
先ず、GDPの所得計算の問題を考える。
所得は(労働者報酬+純生産税+固定資本減耗+営業余剰)で計算される。
労働者報酬とは勤務先から受け取る賃金や手当である。営業余剰は産出額(粗付加価値)から中間投入、生産・輸入品に課される税から補助金を控除した額、労働者報酬の三つを差し引いた残余で計算する。営業余剰は法人や個人企業、自営業者などの企業所得である。
農業所得は労働者報酬で計算される。
中国では、庶民が住宅投資をして賃貸する事も多い。庶民が勤務先より受け取る所得は労働者報酬だが、家賃収入は混合所得で営業余剰とされる。同じ庶民の所得が労働者報酬と企業所得に分かれる。
筆者はよく街の市場で野菜を買う。畳1畳か2畳ほどの場所でおばさんが野菜を売る。そのおばさんの所得は自営業者の営業余剰だが、野菜を作る農民の所得は労働者報酬である。
ゆえに所得計算の労働者所得と企業所得の境目はあいまいでもある。
中国は、個体工商戸と呼ぶ個人事業所が総事業所に占める割合が高い。総務省統計では2012年の日本の総事業所数は545万、うち個人事業所数は220万、総事業所に占める個人事業所の比率は40.4%である。中国の同年の国有企業や民営企業、外資企業などの法人単位数は1,062万、個体工商戸数は3,896万で個人事業所の比率は78.6%である。
あいまいな所得区分に加え、小規模零細事業者が多いとなれば、庶民の多くの所得が労働者報酬でなく企業所得(営業余剰)で計算される。つまり市場のおばさんなど、零細個人事業者の所得が労働分配率の計算から外れることになる。
さらに中国では、計画経済時代の社会習慣がある。工場では朝、昼、夜の社員の食事が企業負担のところも多い。昼の食事だけのところもあるが、寮で暮らす従業員から不満が出る。
食事手当で支給するなら労働者報酬になるが、現物支給では集計に困難も伴う。
中国では夏の暑さも手当が支給される対象とされ、賃金外の手当や現物支給は多い。国有企業では幹部の個人使用の乗用車を、それとはわからないように企業費用で負担することもある。国有企業や学校では社員や教職員住宅が勤務先から支給される。家賃も低額である。それが所得統計に入るとしても正しい価格計算は難しい。そのような理由でGDPの労働者報酬は低くなり、その結果、労働分配率も低くなっている。
多額のサービス経済が統計から外れている
次にGDP統計における第三次産業、サービス業の取り扱いの問題である。GDPにおける第三次産業の金額と割合はグラフのように推移している。
GDPの国民経済計算には、ソ連や東欧諸国の計画経済から生まれた物的生産物バランス体系(MPS体系)と西側の市場経済社会で生まれた国民勘定体系(SNA体系)がある。
中国は計画経済時代にはMPSで国民所得を計算し、市場経済への移行で両者の併用期を経て、1993年からSNAに移行した。
計画経済は需要より生産と供給に重きを置いた経済である。そのためMPSから出発した中国の国民経済計算は生産統計に強いという側面を持つ。筆者は今も中国進出の製造業の協力をしているが、政府機関への各種の報告の多さを肌で感じている。社会主義と国有経済の性格からも生産の報告制度は発達する。
一方、市場経済の成長で非物的生産部門(サービス経済)の正確な計算が必要となる。
この20年の経済成長で多くの新サービスが生まれたが、中国は制度整備より成長スピードが速い国である。そのため、サービス経済の統計はSNA移行後も遅れている。第1回の第三次産業統計調査は1993年から1994年で、今も調査は10年に一度である。
だから「生産」「所得」の計算では、多くのサービス業の産出、所得が漏れ、ないしは実態より低い価格で統計されることになる。
裏経済が「生産」「所得」「消費」を隠している
次に、サービス経済の漏れと表裏であるが、膨大な裏経済が「生産」「所得」「支出」計算に与える影響を考える。
サービスや商業分野の国民経済が統計から外れるのは、制度だけが原因ではない。社会風土も影響する。正確な国民経済計算は正しい申告に負うところが大きい。
改革開放前の中国は税金の無い国、その制度の無い国だった。そこに市場経済が入り込んだ。税の申告と支払いの国民意識が育つより経済が先を走った。それも超高速で。自ずと結果がどうなるかはわかる。
前にも日中論壇で、中国の裏経済事情を述べたが、中国は多くの産業の領収書の発行(発票)を国が統一管理する。レストランでの飲食で領収書が発行されなければ、その売上は申告から消える。筆者は上海と天津と深圳でアパートを借りていた。だが、家主から正規の領収書をもらったことはない。領収書がなく、家賃収入の多くは家計所得にも企業所得にも反映されない。
都市郊外の農村集体土地に工業団地が建設され、農民がアパートを経営し、配当所得や家賃収入が生まれるが、家賃収入の多くは所得から外れる。
慣例の紅包(礼金を包む小袋)のお金も、当然だが統計から外れる。ビジネスの裏で動く裏手数料は、全国では莫大な金額だろう。だが所得として統計されるはずもない。
地下生産、闇の産業はどこの国にもある。そこから生まれる裏経済はGDPの何%を占めるのか。計算は不可能だが、イタリアは15%、ロシアは25%とも言われる。だが裏経済を構成するのはマフィアなどの闇社会だけではない。管理制度の問題や課税を逃れる習慣から生まれる経済もその一つである。政治腐敗の灰色収入が話題になるが、国の経済全体を考えた場合、日常的に存在する後者の方が大きな経済である。それゆえ市場経済の急成長で、中国の裏経済規模はイタリアやロシア以上になるとも考えられる。
飲食店、市場や商店、美容室、家政婦、カラオケバ-やマッサージ、個人塾、学校の先生や庶民のアルバイト、病院や学校への謝礼、芸術、タクシー、漢方、コンサルテイング、弁護士、さらに公務員の裏ビジネスまで、どこまでGDPの産出額や所得に反映されているのか。筆者は長く中国経済に関わりながらも依然、不透明さを感じるところである。
中国は貯蓄率が高く、消費が伸びない原因と言われるが、裏経済を考えれば、貯蓄率の高さにも納得がいく。
貯蓄は金融機関の預金残高である。裏の所得が預金に回れば貯蓄だけが表に出る。大きな腐敗所得は別だが、庶民の裏所得にまで税務局の調査は及ばない。だから裏所得の多くは預金や理財投資、株投資にも回る。
中国人はよく冗談で、役人には二つのポケットがあると言う。表のポケット(給与)は貯金し、裏のポケット(お礼や腐敗の収入)で生活する人も多いだろう。裏ポケットの所得はGDPから外れ、貯金だけが表に出れば貯蓄率は高くなる。
もちろん医療、養老、教育の不安から貯蓄する傾向も否定できない。また住宅貯蓄も影響する。90年代後半から、国民がヨーイドンで住宅取得に立ち上がった。住宅販売が増加したのは1998年頃である。1986年の住宅販売面積は1835万㎡、2012年の販売面積の1.86%に過ぎない。住宅取得のために貯蓄率は高くなる。また中国は、個人ローンの整備も遅れた。国有商業銀行の住宅ローンが認められたのは1996年である。車購入時のローン比率は15~20%程度である。長期ローンを組む人が少なければ貯蓄は大きくなる。
しかし住宅貯蓄は将来の消費の備えでもある。その向うに多額の関連消費が控える。
ゆえに、貯蓄率が高いことで消費に問題があると語れるものでもない。
(その3へつづく)