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【23-48】2カ国語を操る脳のメカニズムを解明

朱 璽(科技日報実習記者) 2023年09月15日

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(画像提供:視覚中国)

「バイリンガルの人々における2つの言語の切り替えは、ある言語を使う間はもう1つの言語の干渉を抑制するというプロセスである。このプロセスにおいて前頭前皮質を刺激し続けることで、生理的な老化を遅らせることができ、結果としてバイリンガルの人々に高度な認知、実行、制御能力をもたらすことが、研究で判明している」
劉紅艷(北京外国語大学教授)

 皆さんの周りには、英語が苦手な人もいれば、複数の言語を簡単に習得している人もいるだろう。このように、人によって言語学習能力に大きな差があるのはなぜだろうか。米科学誌「ポピュラーサイエンス」のウェブサイトによると、2カ国語をマスターすることには大きなメリットがあり、他者とのコミュニケーション能力が高まるだけでなく、脳に変化が起き、神経の可塑性が高まり、認知能力の低下を防ぐことができるという。過去を振り返ると、科学者はこれまでずっと、人間の言語習得/学習メカニズムに関心を寄せ、その謎を解明しようと試みてきた。

脳の言語機能に関する2つの学説

 北京外国語大学の教授で、人工知能・人類言語重点実験室研究員、外語健脳強智研究センター副主任の劉紅艷氏は「人間の脳の言語中枢に関する研究の代表的な見解は『局在論』と『全体論』の2つに分かれる。『局在論』は脳の異なる領域が異なる言語機能にかかわっているという考え方だ。例えば、左半球にある『ブローカ野』が言語を計画、産出する働きがあるのに対し、同じ左半球にある『ウェルニッケ野』は言語を理解する働きがあると研究で証明されている。この2つの言語中枢に加え、第3の言語中枢である『概念中枢』を提唱する学者もいるが、その具体的な位置は分かっていない」と説明した。

 「局在論」に反対して「全体論」を説く学者もいる。彼らは「局在論」は人間の脳の言語野の区分が、言語能力に対する誤った区分の結果だとしている。また、言語能力は脳の限定された領域に対応しているのではなく、各領域が互いに連携し合っていると考えている。

 2つの説は、どちらか正しいのだろうか? 劉氏は「これまでの研究により、人間の脳の各領域が担う言語機能が確証され、はっきりと分かっている。しかし、それらの領域は独立して働いているわけではなく、脳の他の部分もそのプロセスに貢献していることを考慮すべきだ。『局在論』は言語障害関連の研究に病理学的基盤を提供し、失語症の原因を説明している。一方の『全体論』は、言語学習が認知能力(記憶、抽象的な思考、注意力など)に依存していることをより強調しており、脳が全体的に働いた結果だとしている」と見方を述べた。

 過去数十年の間に、人間は脳の言語認知神経について大まかな理解を持つようになった。北京脳科学・類脳研究センターの宋聞凱研究助理によると、言語認知プロセスでは意味処理と文法処理の2つの重要ステップが鍵となる。研究では、その2つの処理で脳の異なる領域の活動が関係していることが分かっている。

 意味処理は、自然言語処理の中核である。人が文章を理解する際、瞬時に各単語の意味を認識し、抽出するだけでなく、それらの言葉の意味を一つにまとめて理解して、脳内に場面やイベントを構築する必要がある。研究者は既に言語処理を担当する脳の領域を識別している。例えば、左の紡錘状回中部が語形識別領域と呼ばれているのに対し、左の側頭頭頂接合部は、語形-音声の規則変換領域と考えられている。しかし、意味処理関連領域はまだはっきりと分かっておらず、左の上側頭溝の前端、中側頭回の後端、角回、下前頭回などの部位がいずれも関係している。

 文法は自然言語の法則であり、具体的には文やフレーズ、語彙の論理、構造的特徴、構成法を指す。文法処理は主に構文処理を含む。既存の研究の多くは構文処理の脳のメカニズムに焦点を当てている。人間は、構文情報を通じて、語彙を特定の方法で繋ぎ合わせ、文全体の正確な意味情報を取得する。脳機能イメージングの研究では、左の下前頭回が構文処理で重要な役割を果たしていることが分かっている。また、左前頭葉の弁蓋部の後端は、文法が適切であるかどうかに敏感で、左前頭葉の弁蓋部下部は、言語が複雑になるほど活発に働くようになることも分かっている。つまり、文法処理は、特定の脳の領域の機能に対応しているわけではなく、左脳の中前頭回や下前頭回、側頭葉、頭頂葉下部といった幅広い領域が関わっている。

2種類の言語認知が可能になる理由は?

 学術誌「Science Advances」に掲載された研究論文は、バイリンガルが2カ国語を処理するプロセスに迫っている。研究により「視覚性単語形状領野」という脳の領域が、文字を「読む」際に重要な役割を果たしていることが分かった。「視覚性単語形状領野」は、脳で文字を認識するための領域で、脳の左の紡錘状回中部に位置し、単語の形状処理や選択に敏感で、視覚系と言語系の間に神経通路を構築し、視覚的な言語習得(つまり、読むこと)で鍵となる。

 この研究が革新的な点は、英語と中国語を話すバイリンガルと、英語とフランス語を話すバイリンガルは、脳の「視覚性単語形状領野」が刺激を受けた時に反応する方法が異なるのを発見したことだ。「視覚性単語形状領野」には、中国語を処理するための特別な神経クラスターが存在するという。

 興味深いことに、研究者は脳が漢字に反応する領域と、顔を認識する領域が重なっていることを発見した。つまり、人々が中国語を学習する際には、顔を認識するのと同じように、全体を認知する方法を採用している。一方、英語やフランス語といった言語を学ぶ際には、アルファベットを見て、部分的に認知する方法をとっている。宋氏は「これはおそらく、それぞれの言語の特徴と関係があるかもしれない。漢字を代表とする表意文字の字形は意味と関係している。一方、ラテン文字を代表とする表音文字の字形は発音と関係している。そのため、漢字を認識する時、学習者は漢字を全体として捉えるが、英語やフランス語を学習する時は、一つ一つのアルファベットを個別に処理した後に、単語や文として合成する」と説明した。

 実際、文字を読む際には、非常に緻密な視覚処理や高度な刺激(音声や意味情報など)を通じて、言葉の意味を正確に判断しなければならない。そのため、それは視覚入力のプロセスだけでなく、語形に含まれている音声や意味情報などの影響も受けることになる。そのため、研究者は「左の紡錘状回中部は、単に『視覚単語形状処理』を担うだけでなく、語形や音声、意味をまとめる機能にも対応している。特に中国語の学習の過程において、この役割が際立っている」と考えている。

バイリンガルは認知機能が優れている可能性も

 世界全体では人口の半数以上がバイリンガルと言われる。初期の研究では、バイリンガルの2カ国語の言語能力は、いずれもモノリンガルより低いとされてきた。また、同じ年齢のバイリンガルのグループとモノリンガルのグループを比べると、語彙量は前者のほうが少なく、母語を使うとの脳の指令に対する反応もバイリンガルのほうが遅いとの結果もあった。だが、一部の学者は、これらの研究が2つのグループを比較する際に、社会・経済的地位や性別、年齢、居住条件といった要素を適切に調整していないと疑問視している。

 その後の実験では、バイリンガルは認知機能の面でモノリンガルよりも優れているとしたものもあった。例えば、バイリンガルはメタ言語的認識が高く、1つの言語の形式や構造のほか、形式と意味の関係もはっきり理解することができる。彼らは2カ国語やさらに多くの言語を同時に学習することができ、それらの言語の規則性を理解する能力が高い。また、バイリンガルは自分の認知プロセスや学習方法をはっきりと理解している。このほか、2つの言語を切り替える必要があるため、バイリンガルは、記号的表現能力や抽象的推理能力も高いというものだ。

 宋氏は「バイリンガルの認知の優位性で最も重要なのは、実行機能が強化されていることだ。実行機能は幼少期に形成され、年を取るにつれて徐々に衰退していく。それは、高次元の脳活動や複数のタスクを実行する際に必要な認知スキルで、前頭前皮質にあるエリアがそれを主に担っている。簡単な認知タスクでは、バイリンガルとモノリンガルにあまり差はなく、複雑な任務を実行する時だけ、バイリンガルの優位性が際立つ」と強調した。

 バイリンガルの認知機能の優位性が、認知機能の逆転を促進する役割を果たしていることは注目に値する。認知機能の逆転とは、正常な老化プロセスにおいて、認知機能の正常な働きを維持し、アルツハイマー病の発症を遅らせることを指す。

 劉氏は「研究によると、バイリンガルの人々における2つの言語の切り替えは、ある言語を使う間はもう1つの言語の干渉を抑制するというプロセスである。このプロセスにおいて前頭前皮質を刺激し続けることで、生理的な老化を遅らせることができ、結果としてバイリンガルの人々に高度な認知、実行、制御能力をもたらすことが、研究で判明している。高齢者のバイリンガルとモノリンガルを比較すると、前者のほうが脳の灰白質の体積が大きく、白質の状態も良いという研究結果もある。また、関連研究では、高齢者が話すことのできる言語の数と、その各段階の認知レベルは正の相関関係があったことが分かっている。高齢者が習得している言語が1つ増えるごとに、その認知障害を抑制する確率が明らかに向上するとの結果もある」と説明した。

 劉氏は「2カ国語、または多言語を学習することと、脳の認知能力の関係を明らかにする研究は非常に意義がある」と指摘。「中国はアルツハイマー病患者が世界で最も多い。2カ国語の学習がアルツハイマー病に与える影響は、既存の治療薬よりも優れているという英国の研究もある。バイリンガルと認知の関係を今後の研究の重点とするべきで、この種の研究は、高齢者の認知障害への早期介入や治療にとって、良いアプローチを提供するものとなる」との見解を語った。


※本稿は、科技日報「揭开大脑驾驭两种语言的奥秘」(2023年8月3日付6面)を科技日報の許諾を得て日本語訳/転載したものである。