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【25-040】AI時代も「読書の価値」は変わらないのか

張盖倫(科技日報記者) 2025年05月22日

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南京市内の書店で本を読む市民。(撮影:蘇陽)

 北京大学党委員会宣伝部と北京大学出版社はこのほど、北京大学で読書イベント「もう一つの居場所-北京大学の学者の書斎」を開催した。

 イベント当日は雨だったが、教職員や学生は、学問の深みと人文的情緒が融合した文化の祭典を楽しんだ。学者同士の対談では、数人の学者が現代における読書の価値について語り合った。彼らは対談を聞いている学生たちに、「こんな天気の日は気軽な読書にぴったりだ」と語りかけていた。

書籍には代替品がない

 断片的な読書が主流となった時代においても、心を落ち着けて1冊の本を読むことの意義は依然として大きい。

 北京大学中国語言文学系の戴錦華教授は、小説「薔薇の名前」が大好きだという。

 戴教授は「今はあらゆるものが電子化される時代なので、この作品で描かれている、命を懸けて1冊の書物を守ろうとする行動は、少し理解しがたいかもしれない。正直、恥ずかしながら、私も電子書籍を読むのがどんどん好きになっている。理由は単純で、文字サイズを調整できるからだ」と語った。

 しかし、電子化が変えるのはあくまでも形式に過ぎない。紙の本が危機に瀕し、出版業界も困難に直面するかもしれないが、現在の世界において書籍は依然として、知識や思想を集め、伝える唯一の媒体だ。戴教授は、人々のメディア利用習慣が変化していることをはっきりと認識している。人々は今、ネット上で気軽に動画を見て、ポッドキャストを聞き、名言を学ぶことができる。ただし、彼女に言わせれば、これらは「知識」ではないという。

「書籍本来の重要な意味を変えることができる新たな技術というのは存在しない。出版業や書店が存在せず、人々がおススメの書籍を紹介し合うことができない世界というのは想像できない。複雑な思想を伝える媒体である書籍には、代替品がない」と強調した。

 ネット空間には何でも揃っているように見えるが、戴教授は依然として、現実空間の意義を大切にしている。「ネット上で『呼び出せるもの』は全て既知のものであって未知のものではない。また、同質的なものであって異質なものではない。『この本が好きな人は他にもこの本が好き』『この本を購入した人は他にもこれを購入する』というような仕組みだ。しかし、本が好きな人にとって最も素晴らしいのは偶然の出会い、未知との遭遇だ。これこそが実店舗の価値であり、私たちはそこで『未知』と出会うことができる」と訴えた。

 北京大学哲学系教授で人文社会科学研究院院長の楊立華氏も「文字情報は密度が高く、読書や執筆という体験は代替不可能だ。読書とは、人の主体性を高度に引き出し、自らの精神を集中させる最も効果的な方法だ」と指摘した。楊氏は、北京大学出版社から出版した「第一等好事」の序文で「読書は依然として人類の精神を伝承する最も重要な手段である。どの時代にも、静かに没頭し、功利を超越する読書が存在している。私は、このような読書人の生活が永遠に続くと信じたい」と綴っている。

AIは優れているが、人には人の役割がある

 対談の話題は人工知能(AI)にも及んだ。

 北京外国語大学の范暁副教授は、主に文学作品の翻訳を手がけているが、現時点ではAIによる影響はそれほど大きくないと感じている。というのも、文学になり得るテキストを扱うのは難しく、AIの能力はまだ十分ではないからだ。彼は「私の印象では、AIの美的センスはまだ時代遅れで、スタイルも少しずれている」と評価した。

 実際、范氏にとって文学の翻訳は必要不可欠な活動であり、単なる結果を求める仕事ではない。たとえAIが翻訳できるようになったとしても、彼は自分で翻訳することを望んでいる。

「ずれている」というのは、北京大学芸術学院の賈妍副教授もAI生成コンテンツに対して感じているものだった。彼女は「15歳の娘は、AIが生成した画像を一目で見分けることができ、『AI感が強すぎる』とよく言っている」と指摘した。賈氏はAIの介入がかえって創作者に「見苦しくない作品を作る」ことを促すきっかけになるかもしれないと考えている。

 楊氏は「AIは平均レベルのものを素早く提供してくれるが、自分の仕事をより高めたいならば、平均を追い求めるのではなく、自らの主体性を発揮することが求められる。たとえAI時代であっても、読書や反復訓練は欠かせない。どんなスキルであっても『自在に使いこなせる』レベルに達するには、繰り返しトレーニングすることが必要だ。今後、ブレイン・マシン・インタフェース技術が発展し、図書館全体がチップとして人間の脳に埋め込まれるようになったとしても、人々の間には違いが存在することに変わりはない。怠惰な人というのは、目の前に膨大な知識があったとしても、検索するのを面倒くさがり、どうやって検索するのかも分からないものだ」と指摘した。

 戴教授は最近、「AI版の戴錦華」が中国国産アニメーション映画「哪吒之魔童閙海」(「ナタ 魔童の大暴れ」)を評価する様子を見た。彼女は自分の言いたいと思っていたことを、AIが一切言わなかったことに安堵したという。

「『AI版の戴錦華』というのは、昨日の私、一昨日の私の下手なコピーに過ぎない。AIはますます進化するかもしれないが、人には人の役割があると私は信じている」

 戴教授がこう語ると、会場からは大きな拍手が巻き起こった。


※本稿は、科技日報「人工智能时代,读书依然是"第一等好事"」(2025年4月25日付8面)を科技日報の許諾を得て日本語訳/転載したものである。

 

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