【24-02】【調査報告書】『中国における科学技術人材の育成・支援戦略』
2024年05月09日 JSTアジア・太平洋総合研究センター
科学技術振興機構(JST)アジア・太平洋総合研究センターでは、調査報告書『中国における科学技術人材の育成・支援戦略』を公開しました。以下よりダウンロードいただけますので、ご覧ください。
https://spap.jst.go.jp/investigation/report_2022.html#fy23_rr03
エグゼクティブ・サマリー
本稿は、中国が科学技術人材を育成・支援するため、どのような政策を打ち出し、いかなる事業を展開してきたのかを明らかにし、それが日本に与える示唆を得ることを目的としている。
上記のミッションをクリアにするため、4章構成としており、その内容は以下のとおりである。
第一章では、中国の科学技術人材の概況を、科学技術人材に関わる指標やデータを通じて紹介している。中国は研究開発や人材育成に継続的な投資を行っており、2022年には遂に研究開発費3兆元(本稿では、1元=20円と換算、約60兆円)を突破した。研究開発者・研究者問わず、その数は世界1位となっている。高学歴社会になっている中国では、ポスドクや院生(修士・博士)の人数も年々増加している。2023年の高等教育を受けた新規卒業生は1158万人にのぼる。新規の卒業生が増えている中、近年失業率の上昇も目立っている。2023年6月時点の青年(16〜24歳)の失業率は21.3%と史上最高を更新した。輩出される人材の数とともに深刻になっている若者の就職難の理由については、コラムで分析している。なお、中国国外への留学生の数は、コロナ禍等の影響があったとはいえ減っておらず、中国の「留学熱」は依然として高い。研究力を図る論文の指標では、数・質(被引用数)とともに世界1位であり、大きな躍進を見せている。
第二章では、14次五か年計画期間(2021〜2025年)中に、中国が科学技術人材を育成、支援するために実施してきた主要政策をまとめている。最重要政策と言われる14次五か年計画の科学技術人材に関する内容には主に、①ハイレベルの人材プールの構築、②人材評価制度改革及びインセンティブ強化、③イノベーション・創業・創造エコシステムの最適化が含まれている。その他、中国では、若手科学技術人材の育成政策、基礎研究人材・技術人材・女性科学技術人材への支援策、海外の優秀な人材の誘致策が打ち出されている。
第三章では、科学技術人材を育成・支援するために実施されてきた大型事業について述べている。大きく国内人材育成事業と海外人材誘致事業に分けられるが、国内人材を育成するために展開している事業としては、ハイレベルの人材を支援する万人計画、若手科学技術人材を育成する国家百千万人材工程、基礎研究人材を育てる基礎科学人材育成拠点プログラム、技術人材を育成する653工程を取り上げている。海外人材を誘致する事業としては、長江学者奨励計画、千人計画、啓明計画等を紹介している。
第四章では、上記の内容から中国ならではの科学技術人材施策の特徴、課題をまとめ、それが日本に与える示唆を述べている。まとめると下記6点である。
(1) 人材育成への大胆な投資と中央・地方政府の強い推進力
中央政府が公開した政策は、「方針や望ましい方向性の提示」という位置付けになっており、それを具体化していくのは、地方の政府である。中国は地方と言っても日本より大きい規模を誇る所も珍しくなく、地方政府によるプロジェクトや支援規模は、中央政府に負けないぐらい充実している。継続的に科学技術や研究開発に多額の予算を投資しており、世界トップの人材規模、国家競争力の向上に貢献している。科学技術分野での発展を目指し、研究者を含む多くの科学技術人材を育成・確保するには、科学技術への大胆な投資が第一歩となるだろう。
(2) 圧倒的な人材規模と長期事業の多さ
中国の場合、教育部、科技部以外にも人的資源と社会保障部、工業情報化部等、多くの省庁が人材関連政策を打ち出しており、人材育成・支援事業の数、種類が大変豊富である。
歴史が長い事業が多いのも一つの特徴であるが、例えば、百人計画―千人計画―啓明計画に繋がる海外人材誘致計画は1980年代から継続されてきており、本稿で紹介した、長江学者奨励計画や653工程等もそれらと同様の長い歴史を有している。中国の場合、比較的早い段階から、海外に向け人材誘致政策を打ち出しており、優秀な人材を多く確保できたため、人材規模面で絶対的な優勢を保っている。世界の情勢は近年不確かさが増しており、予測が難しい。人材へのニーズも同様であり、常に膨大な人材プールを確保しておくのは、国家競争力や研究力向上、科学技術の発展に欠かせない要素であろう。
(3) 中央の政策展開の速さと政策変更の柔軟性
中国ならではの党体制からくるメリットとも言えるが、中央政府の政策が非常に早いスピードで地方に伝わり、着実に展開・定着されるほか、中央政府は時代や情勢の変化に対応できるように、柔軟に政策を変えている。権力が集中されているため、政策打ち出しや変更も比較的にスムーズである。長い時間をかけずでも、全国各地に中央の政策が広がり、関連事業が省単位で実施されるため、効率性という面でもとても優れている。これが方針の変化、事業方向性の転換等のケースになった場合も同じく、複雑な手続きを経ずに実現可能なため、中国は諸事情による変化に柔軟な対応ができる。
(4) 一方で、ノーベル賞受賞者に準ずるトップレベルの科学者や研究者が少ない
中国は、膨大な人材プールを確保しており、人材の数では世界トップに君臨しているものの、ノーベル賞受賞者は少ない。アメリカ系中国人の受賞者は複数いるが、中国大陸、すなわち、中華人民共和国の科学者の受賞はこれまでのところ、2015年抗マラリア薬を発見した中国人科学者 屠呦呦(と ゆうゆう)氏のみである。中国特有の政治体制や教育制度により、教育の自由化と教育自治が実現できていない環境である上に、研究にも教育にも常に政治が介入しているため、独創的なトップ研究者の輩出は極めて難しい。トップ人材の育成には、研究者の研究時間、自由な研究環境を十二分に保障する体制やメカニズムの構築が何より大事である。
(5) 称号制度の存在等により人材の国内流動が激しい
優秀な研究者を顕彰する目的で取り入れた称号制度は、いつの間にか年収や各種評価に直結する「タイトル」扱いになってしまい、今日では取得するための人脈やネットワーク作りに勤しむ学者も多く、一旦、称号を取得すると他校からのスカウトが絶えないため、研究環境よりも高い年俸だけを狙って、他機関に二転三転するケースが多発している。流動性が高すぎると安定した研究ができないため、研究者が育たず、結局は科学技術力強化には不利な状況となっている。人材の流動化は、働き改革等においては重要であるが、研究の世界においては、まずは十分な研究時間の確保と安定した環境で、研究に没頭できるよう必要な支援や体制を作っていくことが求められる。
(6) 人材市場における需要と供給のミスマッチが深刻
中国は学歴がキャリアや社会地位等に与える影響力が大きいため、高学歴者が年々増加している。高学歴者や名門大学卒業生は、学歴に対する高いプライドにより、ホワイトカラーの仕事を希望する割合が高いものの、多くのホワイトカラーの仕事は中国において既に飽和状態に近い。一方で、ニーズが高いブルーカラーの仕事、例えば、自動車・生産・製造業、物流・運輸・交通関連では、常に深刻な人材不足に悩むという需要と供給の深刻なミスマッチが顕在化している。現状は専攻問わず、院生・ポスドクの人数を「増し続ける」方針が目立っており、新たな政策を打ち出す際は人材市場におけるニーズを十分に考慮する必要がある。