【21-02】アクティブな文系研究職、今が人生で一番楽しい!
2021年07月21日
沓名美和:
魯迅美術学院現代美術学科教授
略歴
清華大学日本研究所訪問学者/ 多摩美術大学客員教授/REBIRTH ASIA代表/ボアオ文化産業フォーラム日本理事
多摩美術大学在学中に文化人類学等に触発され、東アジアの文化や芸術、民俗学に興味を持ち、卒業後、韓国弘益大学で大学院に進学。その後、中国清華大学にて博士号を取得。現在は清華大学日本研究所にて東アジア文化芸術の専門家として外交行事にも携わる。また、アーティストワークとして2013年から、アートと社会を結ぶ公益的な芸術の再生事業を考え、薬莢を再生しアートにする「リバースアジア」をカンボジアにて創設する。この経験を生かし、魯迅美術学院にて中国の美大で初めてとなる現代美術学科「環境の再生と芸術」の教授となり授業を開講している。
中国で研究活動をすることになったきっかけとは?
私はもともと研究職志望ではく、アーティスト志望の学生でした。まず多摩美術大学工芸科に進学したのですが、そこで文化人類学や岡倉天心の考えと出会ったことで、東アジアの芸術、⺠俗学、文化に興味を持ちはじめます。
これがきっかけで、大学卒業後は韓国弘益大学大学院に進路を定めました。韓国では大学院で学びながら、複合芸術センターであるART SONJE Centerやギャラリーに勤め、展覧会の企画と海外担当やその他アートイノベーションの活動に関わりました。これは私にとって貴重な体験でした。日本人という立場で、より実践的なアートの現場に参加したことで、東アジア全体の近現代美術史が各国の歴史背景やプロセスの違いから、明確にできていないことが多いことに気づかされたのです。
その頃には、東アジア美術の専門家として、より深くアジア文化と関わりたいと思うようになっていましたから、次は中国へ渡り、研究を深めようと決めていました。中国の清華大学で博士号をとり、現在は清華大学日本研究所に所属し、東アジア文化芸術の専門家として外交行事などにも携わっています。
日本・韓国・中国の3カ国で学んだ経験が、私の芸術や文化へ考え方に大きな影響を与えたのは確実です。
アーティストという個人の表現だけでなく、芸術を用いて社会をより良くするための仕組みづくりや環境づくりができないか? 自分たちの国だけでなく、世界のあらゆる場所で起こる問題や困難を、解決する糸口にできないか? 3つの国で過ごすなかで、そんなふうに考えるようになったのです。
研究テーマと、中国での活動
私の研究領域は現代美術です。
魯迅美術学院の現代美術学科から声をかけていただき、2019年から現代美術学科の中に「環境と芸術」という研究室立ち上げました。これは中国でははじめてのことです。
もともと私自身が北京で学生として学んでいたころ、アーティストワークとして、2013年からアートと社会を結ぶ「REBIRTH ASIA(リバース アジア)」という活動をしていました。これは、カンボジアで大量に放置されていた内戦時の薬莢を、ジュエリーとして再生させる公益的な芸術活動でした。悲しい歴史の遺物を美しいものに作り変えることによって、廃棄するのではなく、大切な歴史のピースとして次の世代に繋いでいきたいと思ったんです。カンボジアだけでなく、戦争の歴史というのはアジアの歴史と文化を考えるうえで、避けては通れない問題ですよね。
カンボジアではじまったこの活動は、中国、そして日本でも徐々に認知されるようになり、多くの人が薬莢ジュエリーを通して、カンボジアの抱える問題や、アジアの歴史にふれる機会をつくることができたと思います。
現在、私が在籍する魯迅美術学院では、この活動と経験を生かし、生産合理主義の産業中心の社会や、大量生産大量消費のアートに対して、物を作ることをもう一度問い直すという授業をしています。
中国の芸術教育の現場にいることで、日本との違いを発見することも多くあります。
とくに興味深いと思ったのは、大学同士の連携です。日本の有名大学には現代美術専門の研究室がいくつかありますが、それぞれは独立しており、連携して研究したり教育活動を行っているところはほぼありません。
これにくらべて中国では、五美大と呼ばれる国内の有名美術大学はすべて、連携がなされており、現代美術をどのように教えるか、世界に通用するアーティストはどのようにしたら育つかが激しく議論され、共有された情報は徹底的に分析され、教育の現場へフィードバックされていきます。
中国では、現代美術の分野が日進月歩で拡大しています。芸術というと伝統的な絵画や彫刻を思い描くかもしれませんが、今日の芸術はこうした、油絵や日本画といったジャンルに収まるものではありません。かつては、別々の出自を持つと思われている異なる分野同士が、結びつき新たな芸術を生み出しています。
Photo by miwa kutsuna「2020年環境と芸術展示会「壊・立」展覧会のポスター」
そういった背景のもと、私の在籍する現代美術学科では、1年生から徹底的にプログラミングを学ばせます。それは、テクノロジーを絵画の筆のように扱えるようにするためです。そして、アートとテクノロジーを自由自在に用いた、新しい芸術表現を生み出していくのです。
また、こうした技術的な学びと並行して、社会との関わりにおいてアートとは何か? といった問いを深めていきます。技術やそれによって作られる社会に触発されて生まれた表現や、工業技術から生まれた新しい素材をとりいれるなど、芸術制作はとても広範囲におよびます。
日本でも、teamLabやNAKED,INC.、Rhizomatiks、落合陽一氏など、サイエンスやテクノロジーを使ったアーティストやテクノロジーアート(メディアアート)が多く存在しており、今や科学と芸術は切っても切れないものとなっています。
photo by Frank Feng「信息演奏者」
この写真は、魯迅美術学院で私が受け持つ「環境と芸術」のクラスの学生が、コロナ禍でのリモート授業の中で半年かけて作った作品です。私のクラスでは〝情報のゴミ″こそ、現代のゴミであるという仮説を立て、情報のゴミの本質や、再生方法について議論しました。
学生との討論の中で、情報のゴミはいずれ人々の生活を埋めつくし、科学技術のゴミは地球全体を覆い、そして最終的には情報のゴミが人間性を喪失させるものになるのではないか? という仮説ができあがりました。
一部の学生たちはプログラミングを使い、情報のゴミを音に変えるシステムを作ることにも取り組みました。
近年、インターネット上ではSNS等を通じ、誹謗中傷などによって命を絶つ人々が増え、この問題は世界共通の社会問題になっています。この問題解決のため、プログラミングの技術を使い誹謗中傷を音に変えることに取り組みました。
このような取り組みが今後、実用化されるかはわかりません。すぐに利益が出るとも思えません。ただ、創造力と技術を組み合わせ、議論に持ち込むものづくりをする。こうした実験の積み重ねが時代に牽引する新しいものづくりに繋がると思うのです。
大学や研究室は失敗ができる場所
もちろん研究では成果が求められますが、大学という場所はマネタイズをすぐに考える必要がない実験的な場所でもあります。一般の社会のなかでは、すぐに儲けにつながらないことを、長い時間をかけて考え続けることは難しいものです。たとえそれが社会にとって良い結果をもたらす可能性があっても。
大学の研究室では、社会のなかにある漠然とした問題に対して、たとえ突飛に思えても、豊かな発想や面白い着眼点で挑むことができます。そして、こうした試行錯誤と実験の積み重ねは、未来を創るうえでとても重要で、その価値はお金に換算できないところにあると思うのです。
いま、中国で私は、研究の道を歩み始めた学生たちと日々過ごしています。大切なのは、正解を出すことではなく議論する力や、議論に持ち込むような作品を生み出すことだと伝えています。中国という大国の中で、私自身、これからの社会とアートのあり方について新たな研究に挑戦し、より多くの人と新しい価値観を生み出していくことができることに強くやりがいを感じています。