高須正和の《亜洲創客》
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【19-09】文化と効率。どこまで広東語を徹底すべきか。

2019年11月29日

高須正和

高須正和: 株式会社スイッチサイエンス Global Business Development/ニコ技深圳コミュニティ発起人

略歴

中国深圳をベースに世界の様々なMaker Faireに参加し、パートナーを開拓している。
ほか、インターネットの社会実装事例を研究する「インターネットプラス研究所」の副所長、JETRO「アジアの起業とスタートアップ」研究員、早稲田大学ビジネススクール非常勤講師など。
著書「メイカーズのエコシステム」「世界ハッカースペースガイド」訳書「ハードウェアハッカー」ほかWeb連載など多数、詳細は以下:
https://medium.com/@tks/takasu-profile-c50feee078ac

 前回につづいて香港でのイベントでの話になる。

 11月の15-16日の二日間、香港の芸術教育発展検討会が主催し、香港アーツカウンシルで行われたカンファレンス「EXPANDED FIELD」にスピーカー/パネラーとして参加してきた。

 イベントの2日目、16日はほぼ全セッションが広東語でのイベントになり、広東語がわからない参加者には同時通訳ヘッドセットが配布された。

広東語とカルチャー

 香港での母語は広東語だ。日常会話は多くが広東語でされている。中国大陸の標準語である普通語とは、そのままでは会話が難しいほど異なる。日本で公開されている統計だと「中国語」としてまとめられることが多いが、広東語と普通語の差は、たとえば日本での標準語と方言ほどは、小さくない。

 筆者は英語と北京語はある程度わかるが、広東語についてはほとんどわからない。体感的には「同じラテン語圏の別の言語」ぐらいの差があるように感じる。書き言葉でもいくつか違う漢字がある。話者の数は普通語のほうが圧倒的に多く、最近の中国の経済成長もあり、広東語ができる人はたいてい普通語も話せる。すくなくとも「まったく話せない」ということはない。

 逆に「広東語をこの世から消そう」という勢力は存在しない。広東語はカルチャーではすごく大事な言語で、今もテレビには広東語放送が、香港だけでなく中国の広州にもある。また、広東語での歌劇やポップソングも多い。

 中国の広州では中国超級プロサッカーリーグの一つ広州富力が、「世界で唯一の、広東語を母語にしたサッカーチーム」を標榜している。広州のもう一つのチーム広州恒大もゴール裏に「WE ARE CANTON」の横断幕を掲げている。普通語で广东を表記するGuangDongではなく、広東語だ。

 普通語が中華人民共和国のオフィシャルな言語であることは間違いなく、役所の手続きなどは普通語で提供されるが、窓口のおばちゃんが広東語を話すことや、広東語で演芸や創作活動を行うことは並行して存在している。中央電視台の広東省放送では、2つの広東語チャンネルもある。

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サッカー広州恒大ゴール裏の「WE ARE CANTON」

広東語標準化への取り組み

 このように文化的には重要で話者も多い広東語だが、社会での扱いはずっと「方言」だった。

 大陸の普通語、台湾の国語、シンガポールやマレーシアなどの華語のような標準化の試みはそれほど盛んではない。

 広東語は広い範囲で話されているため、一口に「広東語」と行っても一つではない。中国大陸の広東省広州では簡体字を用いた表記が使われるが香港では繁体字を使う、マレーシアやシンガポールではまた少し異なる。こうした広東語の中での細分化については、あまり統合する試みがなされていない。日本における関西弁や東北弁などの方言と同じだ。今の日本語の標準語は、教科書やカリキュラム、標準漢字などの「標準語とするための努力」が払われている。

 香港では学校教育含め、そうした「自然のままのふわっとした広東語の輪郭を人工的にガッチリさせる」努力が始まっている。たとえば関西弁は日本の方言で、京都の人も大阪の人も奈良の人も一定の範囲に収まる「関西弁」を話すが、それぞれは違う。オフィシャルにするには、どこかに標準を作らなければならない。

 香港ではそれまで英語や普通語で話していたであろう文章を広東語に置き換え、「広東語をより公用語としていこう」という様々な活動が行われている。

 近年の香港特別行政区と中国大陸の関係や感情もあり、香港内では広東語の標準化がさらに増える傾向にあると感じた。もともと英語や普通語含めたバイリンガル・トライリンガルの多い地域でもあり、いきなり社会の大問題にはならないだろうが、いくつかのイベントに参加して、将来的な不安を感じた。

イベントの広東語化

 筆者が初めて広東語でのイベントに参加したのは2017年のメイカーフェア香港になる。オープニングイベントでは行政区の人々がスピーチを広東語で行った。何人かの講演者はかなり喋りづらそうにしていて、手元のペーパーを見ながら話すスピーカーも多かった。オーガナイザーのクリフォード教授に聞いたところ、「契約書類などは英語や普通語でやりとりすることが多いし、こういう場所での畏まった言葉を広東語でやるのは、あんまり慣れていない」と教えられた。

 これは理解できる。僕は東京のベッドタウン、埼玉県の生まれなので方言に縁がないが、契約書やプレゼン資料などの「書き言葉」を関西弁でやるのは、コテコテの関西人でも難しいだろう。大阪の会社のwebサイトを見てみても、会社案内は標準語で書かれている。

 2018年に参加した教育テクノロジーフェア香港になると、さらに広東語でのセッションは増えたように感じた。教育は親と政府の意向がさらに反映されるのかもしれない。

 そして先日の香港アーツカウンシルで行われたカンファレンス「EXPANDED FIELD」では、まるごと広東語の一日になり、同時通訳ヘッドセットが配られた。

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パネルディスカッションはすべて広東語で進行した。

 この日の発表者やパネラーは全員香港人で広東語に堪能だったが、アメリカの大学で研究している人も多い。テーマであるSTEM教育はもともとアメリカで生まれたもので、概念や用語等は英語で考えられたものだ。「Computetional Thinking」や「Project based Learing」などは、普段英語で研究してる研究者が広東語に訳すのは難しいだろう。発表者は英単語を多く混ぜつつ、ちょっと喋りづらそうに話していた。香港中文大で研究している友人に聞いたら、「海外の、基本的に英語の研究成果を香港で研究する際のそうした戸惑い」は、香港の大学でしばしば見かけるそうだ。

「学会やシンポジウムを何語で行うべきか」は日本でもしばしば話題に上るテーマだ。より多くの人が話す言語でやれば参加者が増えて学会のクオリティは上がるが、母語がマイナーな人たちには不利になる。

 新しくて評価の定まっていない言葉を翻訳すると意味が曲がって伝わることも多い。たとえば「そのものではないが、同じ役割が果たせる」ことを示すVirtualは仮想と訳されるが、英語圏では役割が果たせることに注目が集まり、日本では実態がないことが強調されることが多い。

 この問題に絶対的な正解があるとは思えないが、香港にはカルチャーと効率を両立させる未来があってほしい。