【20-02】新型肺炎とマクロ政策
2020年3月27日
田中 修(たなか おさむ)氏 :奈良県立大学特任教授
ジェトロ・アジア経済研究所 上席主任調査研究員
略歴
1958年東京に生まれる。1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に1等書記官・参事官として勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信 州大学経済学部教授、内閣府参事官、財務総合政策研究所副所長、税務大学校長を歴任。現在、財務総合政策研究所特別研究官(中国研究交流顧問)。2009年10月~東京大学EMP講師。2 018年4月~奈良県立大学特任教授。2018年12月~ジェトロ・アジア経済研究所上席主任調査研究員。学術博士(東京大学)
主な著書
- 「日本人と資本主義の精神」(ちくま新書)
- 「スミス、ケインズからピケティまで 世界を読み解く経済思想の授業」(日本実業出版社)
- 「2011~2015年の中国経済―第12次5ヵ年計画を読む―」(蒼蒼社)
- 「検証 現代中国の経済政策決定-近づく改革開放路線の臨界点-」
(日本経済新聞出版社、2008年アジア・太平洋賞特別賞受賞) - 「中国第10次5ヵ年計画-中国経済をどう読むか?-」(蒼蒼社)
- 『2020年に挑む中国-超大国のゆくえ―』(共著、文眞堂)
- 「中国経済はどう変わったか」(共著、国際書院)
- 「中国ビジネスを理解する」(共著、中央経済社)
- 「中国資本市場の現状と課題」(共著、財経詳報社)
- 「中国は、いま」(共著、岩波新書)
- 「国際金融危機後の中国経済」(共著、勁草書房)
- 「中国経済のマクロ分析」(共著、日本経済新聞出版社)
- 「中国の経済構造改革」(共著、日本経済新聞出版社)
はじめに
1~2月の中国経済指標は、新型コロナウイルスによる肺炎(以下「新型肺炎」)の拡大により大きく悪化し、これに伴いマクロ政策も見直しが行われている。本稿では、経済の現状とマクロ政策再検討の状況を紹介する。
1.各指標の推移
(注)消費・輸出・輸入の2月のデータは1~2月。 | |||||
1~10月 | 1~11月 | 2019年 | 1~2月 | ||
都市固定資産投資 うち インフラ 不動産開発 民間 |
5.2 4.2 10.3 4.4 |
5.2 4.0 10.2 4.5 |
5.4 3.8 9.9 4.7 |
|
-24.5 -30.3 -16.3 -26.4 |
10月 | 11月 | 12月 | 1月 | 2月 | |
消費財小売総額 | 7.2 | 8.0 | 8.0 | -20.5 | |
輸出 | -0.8 | -1.3 | 7.6 | -17.2 | |
輸入 | -6.2 | 0.8 | 16.3 | -4.0 | |
調査失業率 全国都市 31大都市 |
5.1 5.1 |
5.1 5.1 |
5.2 5.2 |
|
6.2 5.7 |
M2 | 8.4 | 8.2 | 8.7 | 8.4 | 8.8 |
消費者物価 | 3.8 | 4.5 | 4.5 | 5.4 | 5.2 |
(1)物価動向
2019年の消費者物価は、前年比2.9%上昇と、抑制目標の3%以内にぎりぎりおさまった。しかし、12月は目標を上回っている。
これは、アフリカ豚熱の影響により、豚肉の供給量が減り、豚肉価格が12月に前年同月比97.0%と大きく上昇したためである。1月以降は、新型肺炎拡大を契機とした庶民の食料・マスク等の買いだめや、物流の混乱・生産の停滞が、消費者物価を更に押し上げている。
(2)消費
2019年の小売総額は、前年比8.0%増と、18年の9.0%からさらに落ち込んだ。うち、自動車消費の伸びが-0.8%であり、自動車を除いた伸びは9.0%増と、18年と変わらない。
ただ12月は、自動車消費が前年同月比1.8%増と、11月の-1.8%からプラスに転じ、18年から続いていた自動車市場の調整局面が、終わりに近づいている可能性があった。しかし、新型肺炎の影響により、1~2月の自動車消費は再び前年同期比-37.0%と大きく落ち込んだ。
消費で注目すべきは、全国インターネット商品・サービス小売額(Eコマース)であり、前年比16.5%増となった。ただ、伸び率は18年の23.9%より鈍化している。
新型肺炎の影響により、1~2月のEコマースも前年同期比-3.0%となったが、実物商品の売上げは3.0%増とプラスを維持した。これは、新型肺炎の影響で店頭ではなくEコマースを利用する消費者が増え、加えて非接触型の宅配が宅配利用の80%を占めるなど、Eコマース自体にバージョンアップの動きが見られるためである。
(3)投資
2019年の都市固定資産投資は、18年の5.9%より減速し、20年1~2月は更に大きく落ち込んだ。
その中で、インフラ投資の伸びは、18年と同水準を維持した。これは、地方政府が収益性のあるプロジェクトを対象とする特別地方債の発行を増やし、事業量を確保したことが大きい。しかし、新型肺炎の影響で、建設中のプロジェクトの中断と新規着工の遅れが発生し、1~2月は大きく落ち込んだ。
また2019年の不動産開発投資の伸びは、1~4月の11.9%をピークにやや鈍化している。これは、住宅市場の過熱が次第に沈静化していることが大きい。加えて、新型肺炎の影響で住宅市場は取引がストップしており、1~2月の不動産開発投資も落ち込んでいる。
他方、2019年の民間固定資産投資は、18年の8.7%から大きく鈍化した。これは、米中貿易経済摩擦の激化により、民間企業が設備投資を手控えたことが大きい。第1段階合意により摩擦はやや緩和され、新規投資の増加が期待されたが、新型肺炎の影響で、1~2月は再び落ち込んだ。
(4)外需
2019年の輸出は、前年比0.5%増、輸入は-2.8%となった。輸入がマイナスであったため、外需の成長率への寄与はプラスとなった。ただ12月になって、米中経済交渉の第1段階合意の方向が見えてきたため、12月の輸出・輸入とも急激に持ち直している。
しかし、新型肺炎の影響により、1~2月は、輸出・輸入は再びマイナスになり、輸出の大きな落込みにより貿易赤字が発生した。
今後合意の履行とともに、輸入はある程度回復することが見込まれる。他方、新型肺炎の拡大は、工業生産に影響を与えており、輸出の鈍化が長引けば、成長率への外需の寄与率は、再びプラスからマイナスに転じる可能性がある。
(5)雇用
2019年に経済の減速にもかかわらず、比較的安定を保っていた調査失業率が、2月は大きく悪化した。これは、新型肺炎により省間の人の移動が寸断され、春節終了後の出稼ぎ農民の職場復帰が進んでおらず、雇い主側も生産・消費の落込みが深刻ななかで、労働者の採用に慎重になっているためと思われる。
2.新型肺炎発生後のマクロ政策の変化
党中央・政府の新型肺炎対策の重点は、次第に変化している。
(1)疫病防御から経済安定へ
新型肺炎対策を主導する党中央新型肺炎対策領導小組は、当初は、新型肺炎感染拡大の防御、続いて防護服・マスク・ゴーグル・関連薬品等を生産する企業の業務・生産再開のための税制・金融支援、生活必需品の供給保障を重点政策としていた。
しかし、2月3日の党中央政治局常務委員会会議は、「新型肺炎が経済運営にもたらす衝撃・影響に焦点を絞り、『雇用・金融・対外貿易・外資・投資・予想』を安定させる政策を実施することを軸に、各種の複雑・困難な局面への対応をしっかり準備しなければならない」とし、企業の業務・生産再開への支援、労働者の雇用保障、プロジェクトの着工強化が指示された。ここでマクロ経済の安定が政策の大きな柱となるに至ったのである。
これを受け、人民銀行は2月3・4日の2日間で、公開市場操作により計1.7兆元の流動性を放出している。また、財政部は2月11日、地方政府の新規債務増の限度額を1兆8,480億元とすることを下達した。
続く2月12日、党中央政治局常務委員会会議は、「マクロ政策の調節を強化し、疫病がもたらした影響について、相応の政策措置を検討しなければならない」とし、マクロ政策については、次の方針を示した。
①積極的財政政策の役割を更によく発揮し、資金投入を増加。引き続き段階的に減税・費用引下げ措置を検討して打ち出し、企業の経営困難を緩和。
②穏健な金融政策の柔軟・適度を維持し、マスク等防疫物資生産企業に対して、優遇貸出金利支援を実施。疫病の影響が比較的大きい地域・産業・企業に対して、差別化した金融サービスを提供。
③雇用優先政策により力を入れ、中小・零細企業を支援する財政・税制、金融、社会保険等の政策を整備。大学卒業生等の就業政策に力点。
これを受け、2月18日の国務院常務会議では、企業の年金・失業・労災保険の保険料減免、出稼ぎ農民の職場復帰支援、大学卒業生の採用延期、失業者への失業補助金支給等を決定し、人民銀行は2月20日、貸出プライムレートを引き下げた。
(2)マクロ政策の強化
さらに2月23日、党中央政治局常務委員全員が出席し、「新型肺炎疫病防御と経済社会発展のための政策手配の統一企画・推進会議」が開催され、マクロ政策は「経済運営が合理的区間から滑り落ちることを防止し、短期的な衝撃が趨勢的な変化に転換することを防止しなければならない」とし、次の点が決定された。
①積極的財政政策は、より積極的に成果を出し、既に打ち出した利息補助、大規模な費用引下げ、税徴収緩和等の政策を、できるだけ速やかに企業に実施。引き続き段階的に減税・費用引下げ政策を検討して打ち出し、中小・零細企業の難関克服を支援。地方への財政移転支出を強化して、末端政府の賃金・運営・基本民生の保障を確保。特別地方債の発行拡大。
②穏健な金融政策柔軟・適度をより重視し、実体経済の回復・発展支援をより優先。疫病の影響が比較的大きい産業、民営企業、小型・零細企業のために、特別貸出を実施。企業向け貸出の期間延長・継続貸出、小型・零細企業向け貸出利息の減免。
③雇用優先政策は、社会保険料を段階的に減免、雇用を安定させた企業に失業保険資金を還付、雇用補助金を給付。出稼ぎ農民の職場復帰促進。失業保険金の即時完全給付。大学卒業生の早期就職促進。
こうして、経済の下振れを緩和するため、マクロ政策の一層の強化が求められた。この会議は、新型肺炎の蔓延という新たな事態を受け、中央経済工作会議で決定されたマクロ政策の内容を全面的に再検討したものと思われる。
(3)財政の対応
これを受け、2月25日の国務院常務会議は、3月1日から5月末まで、小規模納税者の増値税については、湖北省は全額免除し、それ以外の省は税率を3%から1%に引き下げるとした。
財政部は3月3日、年金・失業・労災社会保険料を引き下げの企業負担を年間5,100億元軽減し、これに医療保険険料の負担軽減と、昨年の年金保険料引下げを合わせ、2020年の企業負担を計1兆元超軽減すると発表した。また3月5日には、減税・費用引下げにより財政収支が悪化している地方政府への財政支援を増やし、特に末端政府の基本民生・給与・運営を保障するとした。
(4)金融の対応
2月25日の国務院常務会議は、次の金融支援策を決定した。
①個人商工事業者を含む中小・零細企業への金融機関の貸出元本の償還延期・利払いの6月30日までの延期。
②疫病防御のための物資生産・供給企業向けに行われていた特別再貸出額を、従来の3,000億元から5,000億元増やし、中小・零細企業の支援に重点的に使用。
③農業・農村・農民支援と小型・零細企業向け再貸出の金利を引下げ。
④全国商業性銀行に、小型・零細企業向け貸出金利の引下げを要請。
⑤国有大型銀行に、小型・零細企業に対するインクルーシブファイナンスの残高の伸びが30%を下回らないよう要請。
⑥政策性銀行に3,500億元の特別貸出枠を設けて、優遇金利で民営、小型・零細企業に貸し出すよう要請。
さらに、人民銀行は、3月16日、インクルーシブファイナンスに狙いを定めた預金準備率引下げを実施し、長期資金5,500億元を解放した。
また、金融支援の対象も、企業の業務・生産再開、脱貧困、春季耕作、養鶏・畜産、貿易産業、観光・娯楽、旅館・レストラン、交通・運輸に拡大している。
(5)雇用対策
雇用指標の悪化を受け、3月20日、国務院弁公庁は、雇用安定化対策について意見を公表した。これによれば、政策措置は次の5方面に及んでいる。
①企業の業務・生産再開推進。段階的な減税・費用引下げ。中小・零細企業への失業保険還付強化。雇用吸収能力が強い産業に対する失業保険還付を優先的に投資。自主創業の環境整備。
②出稼ぎ農民の職場復帰サービス強化。地元・近場での就業支援。貧困労働力の雇用促進。
③大学卒業生を中小・零細企業、国有企業、公益事業体、末端のサービス事業、軍等に吸収。大学院の定員拡大。就業実習の規模拡大。
④失業者の基本生活を保障。困窮者の就業援助を強化。就業者ゼロ家庭の解消。
⑤職業技能訓練を大規模に展開。オンラインによる就業サービスを整備。リストラ行為の規範化。