富坂聰が斬る!
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【13-02】解放軍人事

2013年 8月29日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):ジャーナリスト

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 2013年7月31日、習近平は〝八・一〟の建軍記念日を前に再び軍幹部の人事に手を付けた。人事の目玉は6人の若手を上将に昇格させるというものだった。軍の最高意思決定機関である中国共産党中央軍事委員会(以下、中央軍委または軍委)の本部ビル、「八一大楼」で行われた昇格式で顔をそろえたのはどんなメンバーだったのだろうか。以下に簡単な経歴とともに紹介しよう。

一、呉昌徳 総政治部副主任

 1952年生まれ、江西省大余出身。陸軍第31集団軍政治部主任、総政治部宣伝部部長、成都軍区政治部主任などを歴任。2008年の四川大地震で活躍し、同年7月に中将に昇格。

二、王洪尭 総装備部政治委員

 1951年に山東省済寧に生まれる。陸軍第54集団軍政治委員、瀋陽軍区政治部主任、瀋陽軍区副政治委員などを歴任。2009年に中将。2011年6月から総装備部政治委員。

三、孫思敬 軍事科学院政治委員

 1951年に山東省青島に生まれる。第一軍医大学政治委員、解放軍総医院政治委員、総後勤部政治部主任、総後勤部副政治委員などを歴任。2007年7月より中将。

四、劉福連 北京軍区政治委員

 1953年生まれ、安徽省来安出身。陸軍第27集団軍政治委員、北京衛戎区政治委員(部区大軍区職に相当)などを歴任。2008年7月に中将。

五、蔡英挺 南京軍区司令官

 1954年に福建省泉州に生まれる。中央軍委副主席(張万年上将)秘書、陸軍第31集団軍軍長、南京軍区参謀長などを歴任。2009年に中将に昇任された後、2012年10月から現職。

六、徐粉林 広州軍区司令官

 1953年に江蘇省金壇に生まれる。陸軍第47集団軍軍長、陸軍第21集団軍軍長、広州軍区参謀長などを歴任。2008年7月に中将。2009年12月から現職。

 新任の上将の経歴を並べて見ると、第31集団軍や第27集団軍など陸軍最精鋭とも呼ばれる集団軍を経ていたり、重要大軍区の参謀長や政治委員を経験するなど相変わらずの出世コースが健在であることがうかがえる。

 こうした人事は軍委副主席の范長龍や許其亮といった制服トップの協力を得て進められていることは当然だが、国内では「就任半年余でこれだけの人事を行えるのは、習近平の自信の表れ以外の何ものでもない」(党中央関係者)という受け止め方が一般的なようだ。

 かつて鄧小平は17人の上将を任命し、江沢民は79人、胡錦濤は45人であった。

 ところでこうした軍の人事には、何らかの規則性や不文律が絡んでいるのだろうか。本稿ではその視点から少し触れておきたい。

 まず軍には三等十級に分けられる階級――少尉、中尉、大尉、少校、中校、上校、大校、少将、中将、上将――が存在する。中国人民解放軍は1955年に階級制を取り入れた(1955年9月、10人に大将の位を、55人に上将の位が与えられたが大将の位は現在なくなっている)が、その後の一時期、階級を廃止していたが、1988年に再び復活するという経過をたどってきた。

 今回の昇任式により、88年以後204人の上将が誕生したことになる。

 では、現役のトップを意味する上将とはどんな職責をともなうのだろうか。「中国人民解放軍軍官軍銜条例」(1994年改定)によれば、中央軍委の副主席と委員、総参謀長、総政治部主任、そして正大軍区の司令官及び政治委員は、上将もしくは中将であることと定められている。

 全階級のうち軍委主席(=習近平)の批准が必要な人事は、大校(上級大佐)、上校(大佐)、少将、中将、上将である。

 上将への昇格は、中将での経験が4年以上なければならないとされている。

 上将への道が狭き門であることはその確率からもよく解る。上校から大校への昇格はおよそ3人に1人だが、大校から少将に昇格できるのはおよそ10人に1人である。1988年以後、将官は計約1400人生まれているが、それは割合にして全幹部候補生の0.24%でしかない。

 昇進がこれほど難しいのであれば、待遇面でも大きな差があるのかと思われがちだが、現実はそうでもない。中将から上将への昇格による収入の差は、月額にして1000元程度だ。だが、住宅の広さ、医療面での待遇、割り当てられる車や公共交通機関の席などで大きな変化があるとされる。

 59歳という史上最年少の上将を生んだ(蔡英挺)今回の人事により現役の上将は31人となった。うち40年代に生まれた上将は9人、50年代以降に生まれた上将が22人と、一気に若返りが進んだことも特徴として見られた。

 ちなみに出身地別では、河北省と山東省が各6人で最大勢力、続いて河南の5人。安徽省、陝西省が各3人で続いた。