富坂聰が斬る!
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【21-01】フェイクニュース

2021年03月05日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 反日の嵐が中国大陸を吹き荒れた2000年代の初め、現地を取材中、日本製品ボイコットを声高に叫ぶ一群が「日本製品を買えば、日本はいずれ、その収益で中国人を殺す銃弾を造る」と書かれたスローガンを掲げていて目が点になったことがある。デモ隊の中には日本が再び中国を侵略することを頑なに信じている者も少なくなかった。

 一度日本に来て現実を見てほしいと思ったが、それ以前に日本ブランドのほとんどがメイドインチャイナとなっていた時代である。その収益の多くは中国人の懐に落ち、潤おしていたはずだ。デモ隊は日本のスーパーも襲撃したが、店の従業員も仕入れ先も、90%以上が現地からであった。

 なんて醜く愚かな構造か――。

 あのころ中国で抱いた感想だが、ふと気が付くと、いまの日本にも同じような構造が広がっていた。

 2022年、北京の冬季オリンピックをボイコットせよ――。

 トランプ政権で国務長官を務めたポンペオ氏がFOXニュースで呼びかけた言葉だ。そして最近、日本でもこの発信を真似た主張をする人がにわかに目立ち始めた。

 素朴な疑問として、ボイコットして日本にどんなメリットがあるのか。理解は難しい。

 世界はいまコロナ禍のダメージから立ち直ろうと策を駆使して足掻いている。そんななか、いち早く感染を抑制した巨大経済体・中国との関係は死活的に重要だ。好むか好まざるかに関わらず、日本の経済構造を考えれば、明らかな事実だ。

 今後、日本での感染が一段落すれば、「Go To」を含めたあの手この手の経済再生策が打ち出されるはずだが、そのタイミングで中国との関係を壊そうとすれば、再生策の効果は半減どころで済まない。火を着けて、自ら消そうというのだろうか。

 しかもボイコットの理由が、ウイグル族に対する中国政府の人権弾圧だという。第一に、日本のボイコットでウイグル問題は進展するのだろうか。答えは「No」だ。中国はかえって反発するだけだ。

 そもそも2008年の北京オリンピックに選手団を派遣し、大会を一緒に盛り上げた日本が、今回に限ってボイコットする理由は何か。ウイグル問題は2008年にもあり、見方によっては今以上に深刻――現地の武装警察とウイグルの人々との衝突は激しかった――だった。13年前には問題なかったけど、今回はダメといっても理屈は通らない。

 それ以前に日本人がそこまでウイグルの人々のことを気にかける理由も不明だ。2014年から15年にかけて起きたISによる日本人人質事件は記憶に新しいが、ウイグルからはそのISの思想に共鳴してたくさんの兵士が参加している。背景を考えれば国際政治の複雑さは瞭然だ。

 ウイグルの問題が世界的に人権問題として脚光を浴びていればメディアが飛びつくのは仕方がない。だが日本の国会議員がウイグル問題で「中国政府によるウイグル族への弾圧を『重大な人権侵害』とする非難声明」をまとめるといえば首を傾げざるを得ない。

 中国政府は「内政の干渉」と反発するが、それを置いたとしても、戦後の世界秩序に従えばまずは国連の場で解決を目指すのが筋であり、そこでは新興国や発展途上国を味方につけた中国が勝利して決着している。

 それでもなお「口を出す」というのであれば、明確な人権侵害の証拠を示す必要があるのだが、中国分析に長年取り組んだ専門家であってもそれは至難の業だ。

 外国で人権侵害の実態を告発した証言の真実性さえ担保しきれないのだ。

 最近の中国は、以前のようにただ沈黙を守っているわけではない。ウイグル問題では、世界の世論をリードしてきたオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)や英国放送協会(BBC)に詳細な反論も試みている。

 その内容は、例えばASPIが衛星写真を使い〈2017年以降に強制収容所が380も増設された〉と非難した報告書をとらえ、その一つ一つを「これは老人ホーム」、「これは学校」というように証拠写真を添えて論破している。BBCで証言者として登場した人物を特定し、その証言内容にも詳しく反論を試みている。例えば、「中国国内で家族がひどい目に遭っている」との証言に対し、実際に家族を登場させ反論を行っている。

 そうした材料をみる限りASPIもBBCも、きちんと再反論できているとは言い難い。つまり人権侵害の証拠とするには頼りないといわざるを得ない状況なのだ。

 それにしても日本のメディアはなぜ、こうした場面で渦中の人物――中国国内で証言した人物――にインタビューを申し込まないのだろうか。万が一応じてくれれば興味深い取材になるだろうし、たとえ断られても、当局との交渉の顛末は材料になる。これほどウイグル問題に興味を持って報じるのであれば、その程度の努力はすべきだろう。

 ゆえに現在、中国で起きているウイグル族への人権侵害は、「中国ならばやっていても不思議ではない」という前提であり、とても「制裁」を発動する強い根拠をともなってはいない。限界のある話なのだ。

 中国は閉鎖的で少数民族に寛容ではないとは推察される。だが、だからといってルールを飛び越えて制裁してよいはずはない。

 それでは2000年代の初めに反日デモの参加者が叫んだ「愛国無罪」(国を愛する行為ならばルールを逸脱してもよい=悪い奴を成敗するのにルールはいらない)と変わらない。

 ウイグル問題であれ香港問題であれ、きちんとした証拠に基づくのが筋だ。

 それができないまま「正義」の自己満足に日本経済を巻き込むのは適切な判断なのか。そのために発生する深刻な損失を考慮すれば複雑な気持ちだ。