【15-08】人民元為替制度の改革
2015年 8月25日
露口 洋介(つゆぐち ようすけ):
信金中央金庫 海外業務支援部 上席審議役
略歴
1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。同年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)など。
8月11日、中国人民銀行は「人民元の対米ドル為替レート基準値の報告方法を改善することに関する声明」を出し、11日から13日まで3日連続で人民元の対米ドル為替レート基準値は合計4.7%切下げられ、国際金融市場に大きなショックを与えた。今回の措置の背景については、今後しばらく事態の推移を見ないと分からないところが多いが、とりあえず現時点における筆者の考えを述べることとしたい。
輸出促進策か?
中国外貨交易センターにおける人民元の基準値は、毎朝市場がオープンする前にマーケットメーカーのうち基準値報告行に指定されている十数行が当日の取引に使用するのに適切と思われる為替レートを外貨交易センターに報告し、外貨交易センターは最大値と最小値を切り捨てた後これを加重平均して作成するという方法が取られてきた。今回の中国人民銀行の声明では、マーケットメーカーは前日の外貨交易センターにおける銀行間外為市場のクロージングレートを参考にした上で、外貨需給や国際的な為替レートの変動を総合的に考慮して報告することに変更することとされた。本措置公表前日の8月10日は基準値が1米ドル=6.1162元であったのに対し、クロージングレートは6.2097元であった。6月11日の基準値は前日のクロージングレートに対しさらに元安の6.2298元に設定された。11日、12日の銀行間市場の取引レートも元安方向に振れたため、13日朝の基準値は6.4010元にまで人民元安となり、その後わずかに人民元高方向に変化し、8月21日の基準値は6.3864元となっている。
今回の措置の狙いとして、輸出促進のための為替レート切下げが主眼であるという見方が存在し、中国経済は為替レート切下げで対応しなければならないほど悪い状態にあるのではないかという連想で世界的に株安を招いたり、通貨切下げ競争という発想で新興国を中心に為替レート安を招いたりした。
これに対して、中国人民銀行は8月13日に記者ブリーフィングを開き、易綱副行長が「我々は、為替レートの調整によって輸出を促進する必要はない。中国の輸出の状況は良好であり、大きな黒字を生んでいる。今回の為替レートメカニズムの改善は、さらに有効な市場化メカニズムを確立するために行われたものである」と述べて、輸出促進のための為替レート切下げという見方を否定した。
SDR構成通貨入りが主要な動機
それではこの時期に人民元為替レート制度の改革が行われたのはなぜだろうか。
主な理由として人民元のSDR構成通貨入りの動きとの関係があるものと考えられる。6月の本コラムでも述べたようにSDR構成通貨に入るためには人民元は自由利用可能通貨と認定されなければならず、資本取引の自由化が今後大幅に進展することが見込まれる。従って金融政策の独立性を維持するためには、いずれ人民元為替レートの一層の弾力化は避けられない状況にある。そうした中、IMFは8月4日に“Review of the Method of the Valuation of the SDR - Initial Considerations"というスタッフペーパーを公表した。
従来、SDR構成通貨入りの基準として、輸出量基準と自由利用可能通貨基準の2つの基準が挙げられていたが、今回のスタッフペーパーでは、新たに実務上の要請として市場で決定される為替レートと基準となる金利の必要性が指摘された。現在の人民元為替レートの基準値は実際の市場取引に基づいていないため、市場で決定される代表的な人民元レートが必要であると述べられている。そして外貨交易センターにおけるクロージングレートに近いものが候補として提示されている(正確には外貨交易センターが一日4回計算するベンチマークレートのうち、市場がクローズする時間に近い3時に計算するものを提示)。この提案内容は、今回の為替レート決定方式の変更と非常に近いものである。IMFは本年末までに理事会を開いて人民元のSDR構成通貨入りの可否を検討することになるが、中国政府はこれに間に合わせるためにこの時点でIMFの提案に符合する為替レート決定方式の改革を行ったものと考えられる。
なぜ切下げたのか
今回の改革が人民元対ドル為替レートの切下げにつながったのはなぜだろうか。一つには、昨年後半からの資本流出によって外貨準備が減少に転じており、市場で人民元安圧力が高まり、銀行間市場の取引レートが基準値より人民元安方向に振れ続けていたことが挙げられる。
さらに、従来の為替レート決定方式に照らして基準値が高止まっていたことが挙げられる。人民元の為替レート決定メカニズムは、「市場の需給を基礎にバスケット通貨を参考として調整を行う、管理された変動相場制」である。従来はマーケットメーカーの報告に依拠する形をとりつつも、当局がこのルールに従って基準値を誘導してきた。従って人民元の名目実効為替レートを見ると大部分の期間において安定した推移を示している。しかし、例外的な時期が二つある。まず世界金融危機の下で2008年6月から2010年6月までの2年間、米ドルに再ペッグした時期である。.この時期、ユーロが米ドルに対して大きく下落したため、機械的にバスケット通貨に連動すると、人民元の対米ドルレートも大幅に下落する必要があった。しかし、米国によって為替操作国に認定されるリスクや、対米ドル為替レートの乱高下によって自国経済が混乱するリスクを回避するために、危機が収束するまで米ドルにペッグすることを選択したものと思われる。この結果、人民元の名目実効為替レートは大きく上昇した。2010年6月以降、人民元は従来の変動システムに復帰した。次に、2014年春以降、ギリシャ危機によりユーロが再び対ドルで大きく下落し始め、円も日銀の異次元緩和などで対ドルレートを大きく下落させた。今回も人民元の対ドルレート基準値は、昨年春以降ほぼ横ばいで推移しており、この間、人民元の名目実効為替レートは大きく上昇した。今回の対ドルレートの切下げによって、バスケット通貨連動という従来の観点でも水準調整が行われたと見ることができる。
ただ、今回の3日間の比較的大幅な為替レート切下げが、国際金融市場に大きな影響を与えたことを考えると、従来の決定方式の下で徐々に水準調整を進めておくという方法もあったのではないかと思われる。
今後の展望
今回の措置の結果、現に人民元の対米ドル為替レートの切下げが生じているので、中国の輸出促進、経済成長の下支えに何がしかの効果があるかもしれないが、主要な動機は資本取引の自由化に備えた為替レート弾力化の一環であり、SDR構成通貨入りを狙った対応であると考えられる。短期間で大幅な切下げを行ったのも、制度変更を明確にアピールするためだったのかもしれない。
今後の人民元為替レート制度について人民銀行は「市場の需給を基礎とする、管理された変動相場制」と表現している。これが従来同様バスケット通貨と連動し、名目実効為替レートが安定的に推移するように変動させることを示すのか、あるいは市場の変動に任せ、大幅な変動が生じかねないときのみコントロールするということなのか、しばらく推移をみる必要がある。いずれの管理方式に従うにせよ、今後人民元為替レートは、従来に比べてより弾力的に変動する可能性が高い。
また、中国当局は人民元のSDR構成通貨入りに向けて資本取引の自由化を加速する可能性が高いものと思われる。
(了)