第34号:大気汚染対策
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大気環境診断・予測技術の開発

2009年7月7日

田口彰一(たぐち しょういち):産業技術総合研究所環境管理技術研究部門地球環境評価研究グループ長

1956年3月生まれ。
1986年3月東京大学大学院理学系研究科博士課程後期単位認定退学。
地球物理学専攻。1995年4月理学博士。 2006年4月より現職。

 地球環境問題と関連して当グループで行っている大気環境の診断的研究の一部を紹介させていただきたい。地球環境問題としては二種類を想定している。ひとつは日本で放出された物質が海や空を通して地球の裏側へ運ばれその地域の自然環境を壊してしまう場合で、北半球で放出されたフッ素化合物が南半球の成層圏のオゾンを壊した例がある。もうひとつは経済の発展に伴い世界のどの地域でも経験する環境の劣化である。都市化にともなう大気汚染、食料の増産と消費の増加に伴って川や海に窒素や燐といった元素が流れ込んで蓄積する現象(富栄養化)などは先進工業国だけの事ではない。我が国は領土が狭いのでこの地から放出される物質が水平線の向こうで何を引き起こしているのか自由に調べるというわけにはいかない。彼の地で起こっている事柄は現地の協力が得られた場合は調査を行うのだが、これはいつも可能な訳ではない。科学と想像力を駆使してひたすら思い描く必要がある。例えば領土の末端で、いよいよ境界を越えていく空気の最後の姿を見届ければ、その先を予測する参考になるかもしれないと思われるであろう。そのような発想から、父島と波照間島で大気の組成を観測している。地球の裏側から届く空気は、我が国の最高峰である富士山の頂上で捕まえて分析している。さらにその分析を助けるために使っている数値モデルとその検証方法について述べる。

 大気中の微粒子(エーロゾル)は初めから粒子の状態で大気に放出されるものと、気体の状態で放出されたものが光の作用や化学的反応によって粒子となる場合とがある。土埃等は粒子の状態で巻き上げられるが、火山の噴火によって放出される硫黄酸化物、自動車の排気ガスに含まれる窒素酸化物などは変化の末に粒子となる。この微粒子のうち重いものは地面に落ちてしまうが小さいものは長い時間大気中を漂っている。空気中を漂う微粒子の中には雲粒の種となるもの、雲粒にとけ込むもの等があり、その雲粒が雨粒に成長すると雨として地表に落ちて大気から取り除かれる。これらの微粒子には健康と地球の気候に影響するのではないかとの嫌疑がかかっている。

 東京都小笠原村に父島がある。この島には鹿児島県種子島から打ち上げられた人工衛星を追跡管制するために宇宙開発研究機構が施設を設置している。この施設を拝借して大気の微粒子の観測を行った。微粒子の大きさ別の個数の分布と黒色炭素の濃度を測定する装置は標高230mの所(北緯27度04分,東経142度13分)に設置した。父島は北西の季節風が吹く冬には日本の風下にあり、夏は亜熱帯高気圧の小笠原高気圧の文字通り本拠地となる。

 古賀他[1]は2000年12月から2002年1月まで直径0.3マイクロメートル(マイクロは百万分の一)より大きな微粒子の直径の分布、黒色炭素の質量含有率の分析結果を報告した。ここでは便宜上粒子の大きさを直径と呼ぶが微粒子の形は一般には球形ではなく歪んでいる。直径で分けた二種類の微粒子(0.3から1マイクロメートルと1から5マイクロメートル)の個数の比率を使うと都市の影響の認められない清浄空気と影響を受けた疑いのある汚染空気に分類できた。清浄空気の中の直径別の個数の分布は海洋上の大気境界層(海面から数百メートルから数キロメートルまで変動する層)で観測される分布とは異なり、さらに上空(自由対流圏)の分布に近かった。従って清浄空気は亜熱帯高気圧に伴っている下降気流によってもたらされていると想像された。亜熱帯高気圧は赤道付近で高度10キロメートル以上まで上昇した空気が極の方向へ移動し亜熱帯で下降する循環の一部である。また、汚染空気中での直径別の個数分布は従来都市で測定された値に近かった。

 2000年12月から2001年1月、2001年12月から2002年1月の期間について父島に到達する汚染空気がどのような都市の影響を受けているか東アジアの大気輸送モデルによって検討した。北緯35度の北側の中国と南側の中国、朝鮮半島、日本、日本の中の火山の夫々の領域から硫黄酸化物の放出量として推定された量をモデルの空気に溶かし込んで、その空気の移流と拡散によって父島の空気が受けとる影響を計算した。この中の一つの領域の影響が半分以上を占めるような場合を選び出してみたところ日本国内の火山の影響が最も大きく、人為起源の中では中国北部と朝鮮半島の影響が大きかった。この期間は三宅島と桜島の噴火活動が活発だった時期と重なる。微粒子の体積当たりの含有率と黒色炭素の重量当たりの含有率を調べた所、モデルから推定された発生源によって異なっていた。微粒子の密度は事例によって異なるが、一立方センチあたり1-1.4グラムを仮定すると、黒色炭素の重量含有率は、発生源が中国の場合は9-13%、朝鮮半島か日本の場合5-7%、その他では4-5%であった。これはそれぞれの地域での産業構造、交通機関、生活様式の違いを映し出していると思われる。

 環境省国立環境研究所は沖縄県八重山諸島の波照間島(北緯24.1度、東経123.8度)に地球環境観測ステーション(http://db.cger.nies.go.jp/gem/warm/Ground/hs.html)を設置し多くの大気成分を観測している。この島は人が住む島としては日本で最も南に位置する島である。横内他[2]は当所の全球大気輸送モデルを観測結果の分析に利用しヒドロフルオロカーボン(HFC)の観測結果を報告した。自動計測装置を設置し一時間間隔の観測が継続的に行われており、HFCだけでも3種類測定しているが、ここではHFC-23という物質を取り上げる。これはHCFC-22という空調機で使用される冷媒の製造過程で出来る副産物である。寿命は約260年と長い。濃度は体積混合比と呼ばれる単位で表すと毎年1.4ppt(pptは一兆分の一)の割合で増加していることが観測から分った。地球の空気の全量を考えると年間14.3ギガグラム(ギガは十億)の割合で増えている勘定になる。赤外線の吸収も強いので地球の気候に及ぼす影響が懸念されている。

 一年を通した濃度の変化を見ると夏は他の季節より低くなっていた。その中で一時間から数日の間濃度が高くなる現象が見いだされ、汚染空気ではないかと思われた。世界を18の地域に分けて夫々の地域で放出されたHFC-23が波照間島に到達する日時を全球大気輸送モデルを用いて計算した。そうすると、HFC-23濃度が増大する場合の空気は直前に中国大陸を通過していることが分った。HFC-23の濃度が高い時、同じ空気中の一酸化炭素の濃度と比べてみた。一酸化炭素は燃料の不完全燃焼によって発生する気体で、工場、車、焼き畑、森林火災などから放出される。これとは別に、樹木が放出する有機化合物が変化して一酸化炭素となることも分っている。もしHCFC-22の製造工場が一酸化炭素の放出が盛んな都市にあると仮定すると、一酸化炭素の発生量の推定値とこの比率を使う事によってHFC-23の放出量が推定できる。一酸化炭素には複数の発生量推定値があり、基礎とする推定値を変えると50%の幅で変化するが、中国からの放出は年間約10ギガグラム程度と見積もられた。これは先に述べた全世界の排出量の三分の二を占めることになる。波照間には日本からやってくる汚染空気も観測されるがその中にはHFC-134aが多く含まれ、HFC-23の割合が少ない事も観測された。これも産業構造の違いを映し出している。

 日本の代名詞の一つが富士山(標高3776m)である。この富士山の頂上には台風の位置を捉えるための気象レーダーが1964年に設置され長年運用されて来たが1999年廃止された。レーダーの跡地を放っておくのはもったいないという事でNPO法人(http://npo.fuji3776.net/) が組織され、富士山測候所跡地を活用する活動が行われている。

 大学、研究機関、気象庁の協力のもとで微粒子が大気環境に及ぼす影響について観測研究が行われた。兼保他[3]は黒色炭素、一酸化炭素、オゾン、微粒子の中のメタン系炭化水素、微粒子の光学特性を分析した結果を報告した。この中で微粒子をフィルタに採取しその成分も分析した。2003年の5月の末から6月にかけてシベリアの森林火災から立ち上った煙の層に観測所が覆われた時に微粒子の測定が出来た。この煙は人工衛星から撮影された写真にも写っていた。煙の中の黒色炭素の最高濃度は一立方メートルあたり1.9マイクログラムあった。一酸化炭素の濃度も通常より高かったが、一酸化炭素に対する黒色炭素の比率は過去にカナダの森林火災に起源があると思われる空気を米国東海岸や英国で測定した比率よりも大きかった。この事から今回富士山で観測された煙は雲や雨の影響を受けずに輸送されたのではないかと考えた。もしそうなら発生時の煙の組成は富士山に到着するまでにあまり変わっていないと思われる。フィルタに捉えられた微粒子には分子量の大きいメタン系炭化水素が含まれていた。炭素の個数が奇数のメタン系炭化水素が多い事から発生源は背の高い樹木であると思われる。オゾンと一酸化炭素の濃度の時間変化と煙の層の上下の移動から煙の層の上空にはオゾンの高濃度層が存在すると考えられた。煙の中の光の吸収が波長によって変化する仕方をもとに考えるとこの煙は有機化合物を多く含むと思われる。

 空気を構成する成分は水蒸気を除けば窒素78%、酸素が21%、アルゴンが1%で残りは1%にも満たない程ごく僅かである。この残りを微量成分と言っているが、健康に被害を与えたり、地球の気候に影響すると疑われる物質はこの中にたくさんあるので侮れない。微粒子に変化する前の気体成分(前駆物質)やHFC-23等の一個一個の成分は空気にとけ込んでから他の成分とぶつかり合い、風に流されて世界中の空に広がっていく。この様子を計算機で再現する事によって観測された濃度が地球上のどの場所の影響を強く受けているかを推定する事が試みられており、これまで述べた研究にはその情報が利用されている。この計算を行うプログラムは化学輸送モデル(CTM)等と呼ばれ、この中でも全球を計算対象としたモデルは第一回全球大気研究計画(FGGE)で地球大気の三次元の状態が1979年以降毎日二回ずつ提供されるようになった頃から開発が進んだ。このような資料が作成できるようになったのは静止気象衛星が赤道上空に複数個配備され雲の動きを常に全球で観測しその画像から上空の風向風速が推定できるようになったたからである。このようなモデルを使って大気環境の診断を行う場合に重要な事は計算結果の検証である。

 田口他[4]は天然放射性物質である原子量222のラドンを用いた検証を報告した。これは土の中に含まれる原子量226のラジウムの壊変により発生する水に溶けにくい気体で発生してから3.8日で半分となる早さで消滅する。横道にそれるが、この系列は元をただすと原子量238のウランから始まっていて、このウランは実に45億年かって半分になる。原子量226のラジウムは1600年で半分になる。気の長い話ではあるが大元のウランが地表の土や岩石にほとんど均一に含まれているためにラドンも均一に放出される。壊変では放射線が出るので、地面に接した空気が溜まる構造の部屋では放射線を浴びる事になり健康に悪影響があると考えられている。いくつかの短い寿命の物質を経て原子量210の鉛となる。この鉛は金属粒子で空気中に漂っている別の微粒子と一緒になると考えられている。検証の話に戻るが、調べたモデルは世界全体を2.5度幅の升目に区切りその角で微量成分の濃度を計算するモデルである。地表から上空約30キロメートルを取り扱いこの間を15の区画に分割して取り扱う。ヨーロッパ中期予報センター(ECMWF)という機関が提供している風速資料を利用している。陸上では毎秒一平方センチメートル当たり1原子が放出されているとした。海洋からは陸上の二百分の一の放出を仮定した。この放出量はかなり大雑把で、量的な検証には不十分と言う意見もあるが、モデルの質的な検証には大いに役立つ。この報告では先に述べた父島やハワイのマウナロア山の山腹の観測所の他中国の10カ所の資料を利用した。こうすると巧く計算できている所と改良しなければいけないと思われる事柄が分ってくる。

 このようなモデルを使って計算すると、空気という物がいかに大胆にかき混ぜられているかに驚かされるのではあるが、それとともに北半球の空気と南半球の空気はおよそ一年かかって入れ替わり、赤道の近くには目に見えない境界がある事も分る。計算結果から父島や波照間は夏になると南半球側からやってきたと思われる空気の訪問を受けることがあるようだ。北半球の夏の間、北半球の空気と南半球の空気の境界は赤道からすこし北半球側に入ったあたりに位置している。モデルで計算した微量成分の濃度分布の中に台風の渦がこの南半球の空気を巻き込む様子を見いだした時は半信半疑であったが、台風が波照間の近くを通過した時の波照間の観測結果と照らし合わせると辻褄が合っている。

 そもそもなぜ地球の裏側の環境の問題を気にしているか、産業技術の観点から一言私見を補足させていただきたい。端的に言えば、そこには我が国の工業製品の大切なお客様がいらっしゃるからである。生活環境に悪影響を及ぼしたのではお客様を失いかねない。市場経済の主役は消費者でそのご意見は企業の命運を握っている。企業は加害者のレッテルを張られる事がないよう常に神経を尖らせている。我が国の経済は原料を輸入し製品を作って輸出するという加工貿易で成り立っている。日本経済の屋台骨を支える製造業の中には創業者の志に共鳴した人々の運命共同体の性格を持っている所も少なからずある。社会に貢献したいという熱い思いが時には江戸時代の武士道の精神で技術者を奮い立たせ、公害問題、石油危機等幾多の困難を乗り越えてきた。ところが、健全な企業がある日突然環境を破壊する加害者と言うレッテルを張られ、困難に直面する場面が繰り返し起こっている。フッ素化合物を例にとれば、これを安く大量に生産する工場を創意と工夫を凝らして作り上げた企業が、ひとたび風向きが変わる事によって、大きな負債を抱える事になる。このような風向きの変化は科学的な発見によってもたらされる事もあるが、状況証拠が真っ黒というだけで結論を見切り発車したという疑いを捨てきれない事例もある。物的証拠が無いまま自白をもとに起訴された容疑者とどこか共通する所がある。恐ろしい事に拙速に導かれた結論に誤りがあったという事例が中西[5]により紹介されている。そのような間違いを未然に防ぐためには、環境に負荷を与える物質をいち早く特定する事と合わせて、一つ一つの観測資料を積み上げ、辛抱強く証拠固めに取り組む事が公的機関の一つの役割と思われる。

主要参考文献:

  1. Koga他、Atmos.Env., 2008.
  2. Yokouchi他、GRL, 2006
  3. Kaneyasu他、JGR, 2007.
  4. Taguchi他、Tellus,2002.
  5. 中西順子著『環境リスク学-不安の海の羅針盤』、日本評論社 2004年.