中国人群の遺伝的変異とよく見られる腫瘍についての研究
2010年 6月16日
林東昕:中国医学科学院腫瘍研究所教授
1955年10月生まれ。研究員、博士課程指導教官。現在、中国医学科学院中国協和医科大学腫瘍病院腫瘍研究所病因・腫瘍化研究室主任、癌発生・予防分子メカニズム北京市重点研究室主任、中国協和医科大学学術委員会委員、北京大学医学部学術委員会委員、分子腫瘍学国家重点研究室学術委員を務める。
共著者:于 典科、呉 晨
世界中で、悪性腫瘍は人類の生命の健康を著しく脅かす重大な疾病となっている。過去20年来、中国のいくつかのよく見られる悪性腫瘍の発病率と死亡率は一貫して上昇傾向を示してきた。いくつかの大中都市において、悪性腫瘍はすでに死亡原因の第一位を占めている。一方、農村の悪性腫瘍死亡率の上昇スピードは明らかに都市よりも高く、悪性腫瘍の好発地域も多くは農村にあり、地元農民が病気がもとで貧困に陥り、あるいは病気がもとで貧困に逆戻りしてしまう重要な原因となっている。悪性腫瘍を抑制し、発病率を下げる鍵は有効な予防にあり、また死亡率を下げる鍵は早期診断・早期治療と個別化治療にあり、これはすでに共通認識となっている。今日、悪性腫瘍は個体遺伝子と環境の相互作用が、多段階のプロセスを経て最終的に作り上げる一種の極めて複雑な疾病だと考えられている。環境要因は腫瘍発生の誘因ではあるが、同じ環境要因または条件下にさらされても、癌にかかる人間と、一生癌にかからない人間がいるということは、腫瘍の発病においては個体の遺伝要因が重要な役割を果たすことを示唆している。腫瘍の遺伝感受性要因(genetic susceptibility factor)について詳しく探ることは、ハイリスクな人群・個体を鑑別するのに役立ち、有効な予防を行い、悪性腫瘍を抑制するうえで非常に重要である。
近年、腫瘍の遺伝的感受性要因の研究は非常に大きな進展を遂げ、特にいくつかの高浸透率(high‐penetrance)の腫瘍感受性遺伝子(susceptibility genes)の鑑定は、腫瘍発生のメカニズムを説き明かし、腫瘍の生物学的本質を認識するうえで重要な貢献を果たし、一部の家族性腫瘍の選別と予測を行うための可能性を提供した。しかしながら、現在すでに鑑定されている腫瘍感受性遺伝子(突然変異)はどれも比較的希少であり、これらの生殖系列(germ line)から来ている遺伝学的変化は、5%~10%の充実性腫瘍と、さらに低い比率の白血病及びリンパ腫の患者においてしか主要な役割を果たしておらず、一方、90%以上のよく見られる散発性(sporadic)腫瘍については説明することができない。では、大多数のよく見られる腫瘍の遺伝的感受性要因は何であろうか。今のところ、ゲノムの遺伝的変異が、よく見られる腫瘍の重要な遺伝要因だと考えられている。
現在、人々が認識している遺伝的変異の主なものとしては、シングルヌクレオチドポリモルフィズム(single nucleotide polymorphism, SNP)及びコピー数多型(copy number variation, CNV)といったDNAの構造的変化がある。SNPと人類の疾患感受性の関係はこの20数年来、生物医学分野の注目を集める研究テーマであった。1996年に初めてSNPと食道癌感受性の関係の研究を立件・展開してから、我々は中国のその他の同僚と一丸となって協力し、発癌物質代謝、DNA修復、細胞周期制御、アポトーシス経路の多くの遺伝子の遺伝的変異と、食道癌や肺癌などの一般的な腫瘍感受性との関係を詳しく検討してきた。これらの研究により、いくつかの遺伝的変異の生物学的機能及びそれらと環境リスク因子とのインタラクション(interaction)の腫瘍の個体感受性における役割が明らかになった。
遺伝的変異と食道癌感受性についての研究
中国は食道癌(90%以上が扁平上皮癌[squamous‐cell carcinoma])の好発国で、毎年の新規増加病例は20余万に達し、世界の病例数の半分を占めている。河南省林県、河北省磁県、山西省陽城等など十数の県・市を含む華北省太行山地一帯は、世界でも有名な食道癌好発地域であり、このほか、広東省南澳県、福建省安渓県、江蘇省淮安市などといった河南、河東のいくつかの地区もまた食道癌発病率がかなり高い。
我々の食道癌についての研究事業は、葉酸(folate)代謝酵素メチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素(methylenetetrahydrofolate reductase, MTHFR)の遺伝的変異に注目したことに端を発している。葉酸の機能は代謝を経た後にメチルグループ(methyl group)を提供し、DNAのメチル化、ヌクレオチドのデノボ合成といった細胞内のメチル化反応に用いることである。葉酸が欠乏し、または葉酸の代謝が弱いと、正常なDNAメチル化及び(または)DNA合成を阻害することによって、癌感受性を強める可能性がある。メチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素は、葉酸の生物転化を触媒し、メチル基供与体を形成する鍵となる酵素であり、当該蛋白質をコードしているMTHFR遺伝子には2つの遺伝的変異、すなわち677C→Tと1298A→Cの変化がある。677T及び1298C対立遺伝子がコードしているメチレンテトラヒドロ葉酸還元酵素の活性は、677C及び1298Aのコードしている酵素活性より著しく低い。我々の研究結果が明らかにしているように[1]、MTHFR 677T及び1298C対立遺伝子と食道癌発病リスクの増加には関係があり、677TTまたは1298CC遺伝子型を伴った研究対象に食道癌が発生するリスクは、677CCまたは1298AA遺伝子型を伴った研究対象のそれぞれ7.18倍、5.43倍の高さである。日常の食事による葉酸の欠乏は中国ではかなり一般的であり、とくに改革開放以前の食道癌好発地域はそうであった。葉酸摂取の不足している状況下で、さらにMTHFR 677T及び/または1298C変異対立遺伝子を伴っていると、細胞内のメチル基供与体が著しく減少し、正常なメチル化反応が制限を受け、こうして変異遺伝子を伴った固体が環境的発ガン因子の作用の下で食道癌を発症するリスクが高められる可能性がある。他の研究室のこれに続く研究もまた我々の研究結果を実証している。
過去の環境生態学と流行病学の研究が示しているように、中国の食道癌好発地域住民の飲食と生活習慣は、地元の人々がニトロソアミン(nitrosamine)などのような高レベルの化学発癌物質にさらされる結果を招いた。化学発癌物質は代謝活性化した後でなければ突然変異や発癌を招くことはなく、したがってそれぞれの個体の発癌物質代謝遺伝子の多型が発癌物質に対する代謝能力の差をもたらし、環境発癌因子に対するそれぞれの個体の感受性に影響を及ぼしている可能性がある。この仮説に基づき、我々は発癌物質代謝酵素チトクロームP450(CYP)遺伝子CYP2E1、CYP2A6及びグルタチオンS‐転移酵素(GST)遺伝子GSTM1及びGSTT1等の遺伝的変異と食道癌感受性の関係について研究を行った。我々の河南省林県人群についての研究結果は、CYP2E1とGSTM1の遺伝子変異は食道癌にかかるリスクを増やし、しかもこの2つの遺伝子変異には顕著な共力作用があるということを示している[2]。
上で言及したニトロソアミンや多環式芳香族炭化水素のような多くの発癌物質はDNAの損傷を引き起こし、DNAの損傷はすみやかに修復されないと、遺伝子突然変異または染色体突然変異を招いて、最終的に腫瘍を発生させる可能性がある。個人におけるDNA損傷応答・修復遺伝子には遺伝的変異が存在し、しかも既存の研究が示しているように、これらの遺伝的変異は個人のDNA修復能力に影響を及ぼす。6年前、我々はDNAシーケンシング方法を用いて、漢族人群の中の8つの塩基除去修復経路の遺伝子のSNPをスクリーニングし、かつ病例対照研究(case‐control study)の方法によって、これらの遺伝子と食道癌感受性との関係を詳しく検討した。その結果、当該経路のADPRT、MBD4、LIG3及びXRCCIのSNPsと食道扁平上皮癌感受性には関係があることが明らかとなった[3]。続いて、我々は噴門癌や肺癌など、その他の腫瘍の研究においても、ADPRT及びXRCCの遺伝的変異と腫瘍感受性には関わりがあることを明らかにした[4-6]。最近の2つのmeta分析では、これら2つのmeta分析の結果は完全には一致しなかったものの、XRCCIの遺伝的変異と食道扁平上皮癌感受性には関係があることを証明した[7,8]。P53経路は細胞周期制御及びDNA修復において極めて重要な役割を果たしており、P53遺伝子の突然変異は食道癌細胞の最もよく見られる突然変異の一つである。我々のもう一つの仕事は、P53遺伝子及びその負の調節因子MDM2の遺伝子機能性SNPと食道扁平上皮癌感受性との関係について研究したことだが、その結果明らかになったのは、P53 72Pro/Pro及びMDM2 309GG遺伝子型と中国人の食道扁平上皮癌の発病リスクは関連が大きく、しかもこの2つの変異遺伝子には著しい協同作用があり、一緒になって食道癌感受性を強めるということである[9]。
抗腫瘍Tリンパ球は腫瘍免疫監視(immune survaillance)において中枢的役割を発揮しており、したがって抗腫瘍T細胞の生死存亡は腫瘍の発生発育に直接影響を及ぼす可能性がある。我々は免疫調節の鍵となる遺伝子の遺伝的変異と腫瘍感受性との関係に非常に興味を覚えた。過去10年間、我々は大サンプル量の病例対照という研究方法を採用し、FAS及びFASLが媒介する細胞死経路の鍵となる遺伝子(FAS、FASL、CASP8、CASP10、CFLAR等)及びT細胞の増殖・増殖抑制を調節する共刺激分子の遺伝子(CD28、CTLA‐4等)の遺伝的変異と、食道癌などさまざまな悪性腫瘍の感受性との関係について分析した。その結果は、FAS、FASL、CASP8、CTLA‐4遺伝子の遺伝的変異は、食道扁平上皮癌を含むさまざまな悪性腫瘍の遺伝的感受性要因であることを示していた。同時に、我々はこれらの遺伝的変異について深く掘り下げた機能研究を行うことにより、それらと疾病が相互に関連し合う生物学的メカニズムを説き明かした[10-14]。
炎症は腫瘍の発生発育のもう一つの重要な原因である。炎症は腫瘍の発生発育において重要な役割を果たすシクロオキシゲナーゼ2(cyclooxygenase‐2、COX‐2)の過度な発現を誘導する。我々はDNAシーケンシングによりCOX‐2遺伝子のプロモーター領域にいくつかのSNPがあるのを発見し、機能分析によって、そのうちの-1195G>Aと-765G>Cの変異がそれぞれ転写因子c-MYBとnucleophosminの結合部位を形成し、変異対立遺伝子の基礎的発現レベル及びタバコの誘導する発現レベルが、野生型対立遺伝子よりも著しく高いことを証明した。病例対照関連解析によれば、この2つのCOX‐2遺伝子の機能的変異と食道癌及び膵臓癌等の癌感受性には関連があることが明らかである[15,16]。最近発表した33の病例対照研究を総括したmeta分析は、COX‐2SNPと食道癌、結腸・直腸癌の感受性との関連を実証している[17]。
遺伝的変異と肺癌の研究
肺癌は中国においてすでに最も死亡率の高い癌となっている。肺癌は一種の複雑疾患で、喫煙は肺癌の公認された主要な病因だが、喫煙者のうち一部の人々だけが肺癌を発症していることは、個人的感受性要因の存在を示唆している。喫煙関連性肺癌の遺伝要因を明らかにすることは、一貫して人々が最も興味を持ってきた研究テーマの一つであった。我々の前期の仕事は主に、発癌物質代謝、DNA修復、細胞周期制御、アポトーシス遺伝子の遺伝的変異についての研究に集中しており、その中のいくつかの遺伝子変異は中国人群の肺癌感受性と関連があることを発見した[5, 6, 12, 13, 18-20]。
最近の多くのゲノムワイド関連解析(GWAS)は、染色体15q25及び5q15等領域と肺癌の感受性には関連があることを告げている。15q25領域はCHRNA3、CHRNA5、CHRNB4等のニコチン性アセチルコリン受容体遺伝子を含んでいる。だが、これらのGWASの結果はすべてCaucasian人群から来ており、遺伝的背景と連鎖不平衡(Linkage disequilibrium)の相違により、アジア系人群の感受性は必ずしもヨーロッパ系人群と完全に同じではない。我々はInternational HapMap Project データベースに基づき、中国漢族人群の15q25ハプロタイプを構築し、その連鎖不平衡が文献の報告しているヨーロッパ系人群と同じではないことを発見した。そこで、我々は漢族人群のTag SNPを選び出して、肺癌の病例対照研究を行い、その結果、当該領域の4つの新しいSNPが中国人群の肺癌発病リスク及び喫煙行動と関連していることを発見し、さらにrs6495309SNPが転写因子Oct‐1との結合に影響を与えることによって、CHRNA3の発現活性に影響を及ぼすこと証明した。これは変異型ゲノタイプ保有者の喫煙常習と肺癌感受性を招くメカニズムの一つである可能性がある[21]。
肺癌の研究の中で、我々はさらに遺伝的変異と肺癌患者の臨床放射線化学療法の治療効果または毒性の個体差に的をしぼって研究を行った。我々の過去の候補遺伝子アプローチを採用した研究が示しているように、DNA修復遺伝子ERCC1の遺伝的変異は肺癌感受性に影響を与えるほか、小細胞肺癌(small cell lung cancer)患者のプラチナ製剤化学療法の治療効果及び生存期間とも関係がある[22]。別の研究は、COX‐2-1195>Aの変異は、晩期局所の放射線及び/または薬物治療を経た非小細胞肺癌(non‐small cell lung cancer)の予後要因であることを示している[23]。最近、我々はGWASを活用して、全ゲノムレベルにおいて小細胞肺癌のプラチナ製剤化学療法の治療効果と関係があるSNP及び遺伝子を探し求めた。セット・アソシエーション解析(Set Association Analysis)は、BTBD3、STXBP5、BCR等の遺伝子座の20個のSNPはプラチナ製剤感受性と関係があることを示し、腫瘍組織の体細胞突然変異のほか、宿主の生殖系列の遺伝的変異(germline genetic variation)もまた腫瘍の化学療法の有効性を決定する重要な要因であることを証明した[24]。手術の不可能な肺癌患者においては、放射線治療は主要な療法の一つである。だが、放射線治療はよく放射線肺炎(radiation‐induced pneumonitis)を併発させ、このことは放射線治療の線量を制約するだけでなく、深刻な場合は患者の死亡を招いている。それぞれの個体の放射線肺炎に対する感受性の差は大きいが、現在もなお応用可能な予測指標はない。最近、我々は放射線障害反応の過程で重要な作用を果たすATM及びP53遺伝子の遺伝的変異と放射線肺炎の関係について研究したが、その結果はこの2つの遺伝子の変異がいずれも放射性肺炎発症のリスクを高めることを示しており、ATM及びP53ゲノタイプを分析することは、放射線肺炎にかかりやすい患者を鑑別する上で役に立つと思われる[25]。
さらなる研究の方向
腫瘍は一種の複雑疾患であり、その原因は環境要因に関係しているだけでなく、遺伝的要因とも関わりがある。遺伝的要因について言えば、数多くの低浸透率の変異遺伝子の共同作用の結果である可能性がある。したがって、候補遺伝子アプローチによって腫瘍の遺伝感受性要因を研究することにはその限界性がある。ハイスループットゲノタイピング法(high-throughput genotyping method)の絶え間ない発展にともない、高密度SNPチップを用いてゲノムワイド関連解析を行うことは、よりいっそう有効な方法となっている。国のハイテク研究発展計画の支援の下、我々はすでにこれらの技術と方法を応用して、食道癌、肺癌等腫瘍のGWASを展開し、さらにそれを腫瘍のファーマコゲノミクス研究へと伸展させつつある。次世代DNAシーケンシング技術の成熟にともない、我々はまた当該技術を応用して、腫瘍の発生発育における低頻度遺伝子の遺伝的変異の役割を発掘、評価しているところである。このほか、我々は別のいくつかのタイプのゲノムの遺伝的変異、例えばCNVに興味を持っている。中国は人口が膨大で、癌大国でもあり、経済の高スピードの発展、ライフスタイルや環境の変化にともない、中国人群の腫瘍スペクトラムには、発展途上国で好発している癌(食道癌、胃癌、肝癌)もあれば、先進国で好発している癌(結腸・直腸癌、乳癌)も見られるようになっている。したがって、遺伝子と環境のインタラクションについて研究することは、癌の発生発育メカニズムの解明にとっても、癌の早期スクリーニングと予防にとっても、非常に重要である。
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