日本の遺伝子治療の現状および展望
2010年 6月14日
森下 竜一:
大阪大学大学院 医学系研究科臨床遺伝子治療学 教授
平成3年大阪大学医学部老年病講座大学院卒業
同年4月大阪大学医学部研究生老年病医学教室に。
同年8月米国スタンフォード大学循環器科研究員
平成4年アメリカ循環器学会特別研究員
平成6年米国スタンフォード大学循環器科客員講師
平成12年香港大学客員教授
平成15年大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学教授
中神 啓徳:
大阪大学大学院 連合小児発達学研究科健康発達医学
寄附講座教授
平成 6年自治医科大学内科レジデント
平成 8年自治医科大学循環器内科医員
平成 9年大阪大学医学部研究生(老年病医学(第4内科))
平成 12年愛媛大学助手 医学部(医化学第一講座)
平成 13年米国Harvard大学医学部Brigham and Women’s病院研究員
平成 22年大阪大学寄附講座教授 大阪大学・金沢大学・浜松医科大学連合小児発達学研究科(健康発達医学)
はじめに
難治性疾患に対する新しい治療法として遺伝子治療学は大きな期待を集めてきた。特に遺伝子異常による先天性疾患や悪性度の高い癌治療のニーズは高いものがあり、その治療に向けた臨床応用が数多くなされてきた。我が国でも1995年8月1日に北海道大学で行われた日本で始めての遺伝子治療、ADA(アデノシンデアミナーゼ)欠損症の補充療法からすでに10年以上が経過している。一方、1994年に米国で血管新生の遺伝子治療が提唱されて以来、循環器疾患も新しい遺伝子治療の標的疾患として注目され、その後急速に研究および臨床応用が増えている。
1)遺伝子治療における臨床研究の現状
現在世界で進行中の遺伝子治療の中で情報収集可能であった1472例のプロトコールについてのデータがThe Journal of Gene Medicineのweb siteで公開されている(http://www.wiley.co.uk/wileychi/genmed/clinical/index.html)。この集計によると、その62.6%を占める989例のプロトコルは米国であり、日本は全体の1.1%(18例)、中国は1%(16例)でアジア全体でも3.7%(58例)にすぎないのが現状である。全体的な傾向として依然として米国での遺伝子治療が多いものの、数年前は米国が8割を占めていたことを考慮すれば、徐々にではあるが世界に広がっているという見方もできるが、アメリカとヨーロッパ諸国で9割以上の症例という現状には大差ない。対象疾患は、最も多いのが癌で64.5%(1019例)、心血管病が8.7%(138例)、遺伝病などの単一遺伝子疾患が7.9%(125例)で続いている。この数年の傾向として癌の遺伝子治療の割合が増え続けていることが特徴である。また、近年の遺伝子治療の心血管領域への応用を反映して心血管病が癌に次ぐターゲットとなっているが、この数年ではそれほど症例数は増えていない。用いられているベクターは、ウイルスベクターのレトロウイルスが20.8%、アデノウイルスが23.9%と多数を占めるが、Naked/plasmid DNAを用いる治療が17.7%と増加傾向にあり、安全性に配慮したプロトコールの増加傾向がみられる。進行状況はフェーズIおよびフェーズI/IIがそれぞれ全体の60.3%、19%を占めており、以前として探索的なフェーズが多いことは変わりものの、有効性を検討する大規模臨床研究のフェーズIIIが数年前の0.6%から3.4%(例)に急増しており、フェーズIVも0.1%(2例)エントリーされていることから徐々にではあるが成熟した臨床研究が増えていることが伺われる。
遺伝子治療の年度別の総プロトコル数を見てみると、1990年代は右肩上がりに上昇し、1999年には100例を越えているが、それ以降は年間100例程度という横這いの状態が続いている。その理由の1つとして、ベクターの安全性に関する問題があると考えられる。
重篤な有害事象として、1999年にアメリカのペンシルバニアでアデノウイルスベクター投与による死亡事故がおきた1)。冠動脈内にアデノウイルスベクターを注入したことによりInterleukin-6などのサイトカインが上昇し死亡したが、患者の臓器を調べてみると、マウスではほとんどが肝臓に集積していたアデノウイルスベクターが肝臓だけではなくリンパ節や脾臓、骨髄などの他の臓器にも検出された。この遺伝子治療は中止されたわけであるが、実はベクターの至適濃度決定のためのdose upの過程において、既に中止すべき数値が出ていたにもかかわらず試験を継続したというプロトコル造反があったこともあり、ベクターの安全性だけでなく臨床研究自体のあり方も問われる結果となった。
別の事象として、2002年にフランスのX-SCID(X-linked severe combined immunodeficiency)の遺伝子治療で白血病発症の報告がされた2)。これはレトロウイルスを用いて新生児あるいは乳幼児の骨髄細胞へ遺伝子導入する治療法であるが、この発症患者ではLMO2というT細胞の増殖に関与する遺伝子を活性化してした。すなわち、レトロウイルスベクターによってゲノムに遺伝子を挿入したことによって重篤な副作用が生じたわけである。詳細な分析では、挿入変異による癌関連遺伝子の活性化に加えて、遺伝子導入に成功したリンパ球系の細胞が体内で活発に増殖するようになったために癌化のステップが進みやすかったこと、またベースに免疫不全があったために体内で発生した異常細胞を免疫学的に排除できなかったことなどが原因として挙げられている。
このようにウイルスベクターは一般に非ウイルスベクターよりも導入効率が良いが、安全面での懸念が多い。つまりは、治療対象の疾患を分子レベルで解析し、どのような遺伝子をその臓器にどれくらい発現させるかの研究計画をしっかりと立てて動物実験で実証した上で、リスクとベネフィットと充分に説明して適切なベクターを選んで研究を行うことが肝要である。
2)血管新生遺伝子治療
これまで遺伝病などの単一遺伝子病あるいは致死的な疾患である癌などを標的として考えられていた遺伝子治療であるが、近年は心血管病にもその領域が拡大されている。その最初のコンセプトが治療的血管新生であり、これは1994年に米国タフツ大学のIsnerらのグループが血管内皮増殖因子であるVEGF(Vascular Endothelial Growth Factor)を虚血性疾患への遺伝子治療に用いて有効性を証明したことが突破口となった。背景となる基礎的な検討でVEGFをはじめとした血管新生能を有する増殖因子は、細胞外マトリックスを分解しそこに内皮細胞を増殖・遊走させることで新しい血管を構築する能力を有することが明らかとなってきたこともその原動力となった。そこで、どのような形でこのVEGFなどの増殖因子を虚血患部に効率的に投与するかに関して、遺伝子治療も含めたいくつかの検討がなされた。動物モデルでの検討において、ヒト組み替え型蛋白の投与方法として、動脈内への選択的投与、系静脈的な全身投与、反復投与などでも虚血肢の血流を改善させる側副血行路の増加効果が認められているが、このような効果を得るには100-1000ugもの大量の蛋白が必要となり、腫瘍血管新生も促進することが知られていることから考慮すると癌の増殖などへの懸念あるいは糖尿病患者での網膜症の悪化が危惧される。従って、安全性の観点からも遺伝子導入による局所での蛋白の過剰発現は望ましいと考えられる。遺伝子治療の試みとして、これらの遺伝子の投与により虚血部位での血流量の増加および血管陰影の増強などが確認されていたが、遺伝子を血管内投与しても血流不全のために患部への集積が悪いことや遺伝子発現効率向上のためにウイルスベクターを用いることでの安全性への懸念などがあった。しかし、Isnerらはウイルスベクターを使用することなくプラスミドを筋肉内注射するという非常に簡便な方法で有効な治療成績を示し3,4)、さらにその後同様の手法で虚血性心疾患の治療も行いその有効性を示している5)。
本邦でもHGF (Hepatocyte Growth Factor)を用いた同様のコンセプトの遺伝子治療が施行されている8)。HGFは血管内皮細胞に存在するc-met受容体に結合して、内皮細胞増殖活性および遊走活性を有することが明らかとなった。また、細胞内情報伝達系においても、VEGFと同様にmitogen activated phosphorylation kinase (MAPK)やAkt/protein kinase Bなどを活性化することから、血管新生作用を有することが強く示唆された6)。マウスあるいはウサギでの下肢虚血モデルの検討から、HGF遺伝子の局所投与により虚血肢の血流改善および血管新生能の亢進が認められた。我々は上記と同様の疾患に対して「HGF遺伝子プラスミドを用いた末梢性血管疾患の治療のための遺伝子治療臨床研究」を行っている。従来の内科的治療に反応せず外科的治療が困難な症例に対して、2001年5月から開始し始め既に予定症例数22症例に遺伝子投与が終了した。これは治験でのフェーズ1および2aに相当するものであり、現在のところ遺伝子投与に起因すると考えられる重篤な副作用の発現は認められなかった。臨床的改善度は、「上下肢血圧比の上昇:64.7%、安静時疼痛の改善:61.5%、虚血性潰瘍の25%以上縮小:63.6%、最大歩行距離の改善:85.7%」であり、安全性(safety)および効力(effectiveness)が認められている7)。また、引き続いて施行された他施設2重盲検試験(フェーズIII)の治験においても、重傷閉塞性動脈硬化症患者へのHGFの投与による有効性が認められた8)。
3)核酸医薬による遺伝子治療
近年急速に臨床応用が進んでいる遺伝子治療として核酸医薬がある(図1)。これはタンパク質をコードしないが核酸そのものが機能を持つ医薬品である。mRNAを標的とする核酸医薬としては、アンチセンス、リボザイム、siRNAがある。アンチセンスは、標的遺伝子のmRNAに結合し翻訳を阻害するかRNAの分解を促進することにより遺伝子の発現を制御することができ、同様にリボザイムも核酸を切断する酵素活性を有する1本鎖RNAで、mRNAを切断することにより遺伝子発現を抑制する。近年急速に開発が進んでいるのがsiRNAであるが、これは配列に総補的なmRNAを分解する2本鎖RNAで、そのRNA interference (RNAi)により転写後レベルで遺伝子発現を阻害する。我々は転写因子に着目し、その機能を抑制する核酸医薬としてデコイ(おとり型核酸医薬)を開発している。これは疾患遺伝子等の転写因子結合部位と同一の配列を持つ短い2本鎖DNAで、転写因子に結合し、目的遺伝子の発現を抑制する。例えば、NF-kappaB免疫応答性サイトカイン遺伝子群のプロモーター領域には転写因子NF-kappaB結合配列が存在しており、NF-kappaBと同じ配列を有する二重鎖核酸化合物(デコイ)の導入により転写因子NF-kappaBの結合を阻害する有効な治療手段となる。このデコイの局所投与により、心筋梗塞の梗塞サイズの縮小9)、血管リモデリングの抑制10)のみならず、移植心、関節リウマチ、骨粗鬆症など様々な病態に対して薬効を示している。
図1
一方で生体でのデコイの安定性を増すための試みも行っている。生体に投与されたデコイはヌクレアーゼによる切断を受けやすいため、核酸に化学的な修飾(phosphorothioationやmethylphosphonation)を加えることによってその耐性を向上させてきたが、さらなる治療効果の向上のために2本鎖DNAの末端を核酸で繋いだcircular dumbbell(リボン型)改良型デコイの開発に成功した11)。また、さらなる薬効強化を目指して同時に2つの転写因子の活性を阻害するキメラデコイの開発も行った。NF-kappaBとetsの2つの転写因子を同時に抑制するキメラデコイを作成して、腹部大動脈瘤モデルにシートに塗布されたキメラデコイを密着させて投与したところ、動脈瘤の拡大が有意に抑制された12)。
蛋白を標的とした核酸医薬としてアプタマーがある。これは標的タンパク質と特異的に結合するオリゴDNAで、本来は細胞内の2本鎖DNAや1本鎖RNAを示している。近年、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)を特異的に阻害するアプタマーが加齢黄斑変性症(Age-related Macular Degeneration:AMD)に対して臨床応用され、わが国でも2008年10月に発売が開始されている。
総じてこれらの核酸医薬の研究成果は目覚ましいものがあるが、その臨床応用の上で重要となる基盤技術はDrug Delivery Systemである。局所にこれらの核酸医薬を高効率に運ぶことができれば、様々な疾患に対しての臨床応用が飛躍的に進歩すると思われる。
Reference:
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