合成ゲノムのバイオロジー:世界と日本の現状
2010年11月 8日
板谷 光泰(いたや みつひろ):
慶應義塾大学先端生命科学研究所 教授
1953年生まれ。
1983年、東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻、理学博士
1983-1986、米国National Institutes of HealthにてVisiting Fellow、
1986-2006(株)三菱化学生命科学研究所主任研究員、研究主幹。
2006-現職
主たる研究実績:
枯草菌ゲノムの物理地図作製。枯草菌ゲノム工学の創始。
ゲノムデザイン学の確立と実践に向けた基盤技術の開拓研究。
これらの成果で、日本農芸化学会農芸化学奨励賞受賞(1994)
第19回日経BP技術賞 医療・バイオ部門賞受賞(2009)
要約
細胞が生きるためには、ゲノムに書き込まれている情報がセントラルドグマの流れに従って整然と営まれなければならない。細胞内にはゲノム以外の情報分子は無いので、遺伝子の機能と発現が重要である。ところが細胞のゲノムは核酸が一列に並んだ高分子で擦り切れやすく、巨大すぎて試験管に取り出して扱うことが困難だった。従って巨大なゲノムDNAは生物以外に増やす手段が無かった。この状況は2005年に最初のゲノムを丸ごと扱える成果が報告されて以降大きく変化している。この小文では、現状の把握と将来の見通しを記す。
はじめに
ゲノムは全ての遺伝子を含むために、ゲノムを知ることは生命科学の重要テーマである。今日の目の前にある現在のゲノムをしっかりと知り、明日のゲノムの活用・応用する模索はさらに重要である。目の前にあるゲノムを知ることは、細胞の全遺伝子を対象とした遺伝子ネットワークを構築するシステムバイオロジーの展開で可能になっている。しかし明日のゲノムを活用するためには、ゲノムレベルでの遺伝子改変、変異株作成が必要で、そのためのDNA操作ツールが必要である。多数の遺伝子の同時操作、複雑な遺伝子回路設計、ゲノムの大規模な構造改変を誘導できるような、従来とは桁違いのサイズの大きなDNA断片が必要になる。
図1. 巨大DNA操作可能な宿主
遺伝子もゲノムもDNAであり、4種類の塩基、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)からできている核酸が、一列につながった細長い高分子である。ゲノムと遺伝子の違いはDNAの大きさである。DNAは鎖状高分子なので、長さと言い換えてもよい。細長いDNAは、水に溶けた状態では、かき混ぜたりする物理的な刺激だけで簡単に擦り切れて低分子化してしまう。物理化学的な性質なのでこれを補強するすべはないが、大きさ(長さ)によっては、試験管の中では擦り切れないで比較的安定に扱える。比較的擦り切れにくい小さなDNAを本文では小型DNAと呼び、それより大きな(長い)DNAを巨大DNAと呼んで区別する(図1、2)。遺伝子は小型DNAだと考えて差し支えないので、遺伝子操作は大腸菌を宿主とする遺伝子工学手法で今や誰にでも扱える。ところが、図2に示したように、生物は原核生物以上でありそれらのゲノムは遺伝子の数百~数千倍も大きい。従って試験管ではあっという間にばらばらになり、適当な宿主細胞の中で保護されなければならない。つまり、ゲノムサイズの巨大DNAは生物(宿主)にしか増やせない。
図2. ゲノムサイズの比較
縦の目盛りは対数表示で、DNAの長さと塩基対数。横棒は:(上)真核生物と原核生物の境界、(下)これ以下のDNAでは生命活動は営めない無生物。
横矢印:枯草菌(慶應大学、図4)、酵母(ベンター研究所)で扱える現時点での最大DNA。
ゲノムの解読と合成
1990年代後半に、ゲノム全てのATGCの並び順を決定できるほど革新的な技術が導入された。ゲノム配列が解読される状況はwebで見ることができ、現在1400種類の生物ゲノムが載っている(1)。最近では次世代シーケンサーと呼ばれる驚異的な性能を持つ機器の登場で、塩基配列を決めることは高速・低価格で結果が得られる。ゲノムサイズが半数体で2,600 Mbに達するヒトゲノムでも、ドラフト配列なら2週間程度で結果がでるほどである。この高速配列解析技術のおかげで、図2で示した生物種のゲノムは解読できる時代になった。
図3.巨大DNAを合成する
小型DNAを左から右に向かってつなぎ合わせて大きくしてゆく。最下段に大まかなゲノムDNAのサイズを記す。
大腸菌での操作法の上限(300 kbp)を超える巨大DNAには、枯草菌か酵母を用いる。
しかしながら、塩基配列を容易に解読できることと、解読したDNAを生(なま)の高分子DNAとして取り出し、改変修飾して研究・応用に活用することはまったく別の次元の話である。上述のようにゲノムレベルの巨大DNAを直接取り扱うのは困難で、生物である宿主を利用して間接的に取り扱うしかないのである。ところが、誰もが期待した大腸菌は巨大DNAは不得手なことが判明した。大腸菌で巨大DNAを取り扱うには、BACと呼ぶプラスミドベクターを用いる。BACは小型DNAよりやや大きな100~200 kbpのDNAのクローニングに相当威力を発揮したが、300 kbpあたりが上限で、現在知られている最も小さなゲノムである約600 kbpのマイコプラズマゲノムはカバーできない。巨大DNAを操作するためには大腸菌だけでは無理で、図1, 3に示すように2005年以降別の宿主を利用する2種類のシステムが全く独立に整備された。慶應大学/三菱化学生命研(2-5)の枯草菌と、ベンター研究所(6-8)の酵母である(。前者は、著者のグループである(注1)。
ゲノム合成への手法
図3で示したように、巨大DNAを試験管で扱うのが困難なら、小型DNAを上手につなぎ合わせて次第に大きくしてゆくのが共通のアイデアある。宿主とそれに伴う細かな技術は両グループが全く独立に選択し、進化させている。図4に、著者達の枯草菌を用いた手法を簡略化して示した。プラスミドを使わないで、枯草菌ゲノムそのものを巨大DNA集積、操作に使う他に例のないシステムで、ラン藻ゲノムの完全クローニングを達成し(2, 5)、世界に先駆けて巨大なDNA操作法の将来を示した(3, 4)。
図4.枯草菌を利用した巨大DNAの改変手法
具体的な操作法を示す。ゲノムベクターは、枯草菌に若干DNAを組みこんでベクター化したもの(2-5)。
一方、ベンター研究所ではマイコプラズマゲノムを対象に、小型DNAを有機化学的に合成した小さなDNA断片からスタートさせたことに大きな特徴がある(6,7)。最終的な宿主を酵母とした彼ら自身のアイデアに加えて、特にDNAの有機化学合成法が価格面で飛躍的に向上した点も時代のおかげであろう。化学合成でスタートできるこの手法は鋳型のDNAを必要としないので、原理的にはどのような塩基配列のDNAでも作り出せる(8)。
ゲノムは細胞の生きざまを決定する情報分子である。目の前のゲノムを解析することで、生命活動、環境変化での対応等を予測することができるようになったのは上述したとおりである。では予測に基づいてゲノムの一部の遺伝子を改変操作する分子遺伝学、分子生物学の手法は巨大DNAの活用で今後どうなるだろう。対象生物への新機能付加、機能強化という面では、ものづくりという直感的な分野でもある代謝工学で顕著である。遺伝子操作が大規模になればなるほど「現実的な合成生物学的アプローチ」に近くなる。大規模な代謝工学改変を実現するためには、汎用的な大規模遺伝子=巨大DNA操作法が効果的であることは理解できよう(4, 9)。特に単細胞微生物ではゲノムの改変を通じてではなく、情報分子であるゲノムを目的に応じて最初から設計するという「最も理想的な合成生物学」が勃興しそうである(10)。
ゲノムをデザインする
ゲノムは解読できるが、合成するのは夢のまた夢であった少なくとも10年前と比べると、夢に向かって大きく前進した。ゲノムは丸ごと操作できることが実験的に示されると、研究者以外の多くの人の概念、将来像も変わりつつあるようだ。現時点ではゲノム合成での実績があるのは世界で2研究機関、JCVIとKEIOに限られているようでもある。
ベンター研の成果の最も重要な点は、「設計したゲノム塩基配列は、必ずDNAとして合成して得られること」である。核酸を有機化学の手法でつなげるので、鋳型が不要だからである。ここから派生する重要な点の一つは、巨大DNA合成が如何に正確さを確保しなければならないかである。DNAサイズが大きくなると合成操作中に変異が入る確立も高くなる。合成では一塩基の違いも許されないことは、酵母で作ったマイコプラズマゲノム約1千万塩基のたった1塩基が設計どおりでなかったために実験の遅れが出たことを述べている(6)。解読で要求されるレベルとは桁違いの正確さが必要で、膨大な時間もコストもかかることが理解できるだろう。「設計したゲノムが必ずDNAとして合成して得られる」のならば、全ゲノム設計(whole genome design)が俄然現実味を帯びてくる。それは生物として機能しうるゲノムを1から設計する試みではあるが、現在のところ合理的な取り掛かりすらないのが現状である。これは遺伝子を一列に並べるだけでも組み合わせの数が天文学的な数字になることから、理解されよう(注2)。
著者は、ゲノム操作は当分は図2で示したように原核生物のゲノムレベルにとどまると予想している(10)。原核生物とは単細胞バクテリアであり、多細胞生物である動物・植物とのゲノムサイズとは桁違いに小さい。動物・植物のゲノムを全部合成するには、しかもそれが設計どおり間違っていないものにするには多大なコストがかかることと、生命倫理の問題もからんでくるので現実的ではない(11)。現実的なのは、動物や、植物の大規模な改変変異体を構築する方向であろう。現在でも改変変異体を作るために使われる小型のDNAに代えて、巨大DNAを用いる手段を開発することが現実的である(4, 11, 12)。ゲノム合成法は、サイズに応じた巨大DNA合成法と置き換えると、これまで以上に操作対象の幅を拡げ、底上げすることが期待される。
- 注1: 著者は、ベンター研究所主催の会議に招待され講演してから交流が続き、2008年には米国メリーランド州にある同研究所合成生物学部門を訪問した。現在も、主要なメンバーとは交流が継続している。
- 注2: 例えば10個の遺伝子を一列に並べる時の組み合わせは10!である。これは約360万通りある。現在最も少ない遺伝子を持つ生物はマイコプラズマであり約500個の遺伝子を持っている。500!は天文学的な数字になり、順番だけでもこれだけ大変なのである。順序以外の因子等、つまり遺伝子の向き、遺伝子間の配列まで考慮に入れると「ゲノムをデザインして創る」表現がいかに現実離れしているかが理解できるかもしれない。目の前のゲノムに学びながら改変を目指すのが現実的である。
主要参考文献:
- http://www.genomesonline.org/cgi-bin/GOLD/bin/gold.cgi
- Itaya, M., Tsuge, K. Koizumi, M., and Fujita, K. (2005). Combining two genomes in one cell: Stable cloning of the Synechocystis PCC6803 genome in the Bacillus subtilis 168 genome. Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 102, 15971-15976.
- Itaya, M., Fujita, K., Kuroki, A., and Tsuge, K. (2008). Bottom-up genome assembly using the Bacillus subtilis genome vector. Nat. Methods 5, 41-43.
- Itaya, M. (2009). “Recombinant genomes” in Systems Biology and Synthetic Biology, pp.155-194, Editors: Fu, P., Latterich, M., and Panke, S. John Wiley & Brothers, Inc.
- 板谷光泰、柘植謙爾、小泉真貴、藤田京子、「ゲノムベクターを用いたゲノム丸ごとクローニング」、蛋白質核酸酵素、vol.51, No.1 61-67 (2006).
- Gibson, D. et al., (2010). Creation of a bacterial cell controlled by a chemically synthesized genome. Science, 329, 52-56.
- Itaya, M. “News & Views” Nature Biotechnology 28, (7) 687-689(2010)
- 板谷光泰「ゲノム合成の起承転結」岩波科学、vol.80 (No.7) 734-736 (2010)
- Tsuge, K., Matsui, K., and Itaya, M. (2003). One step assembly of multiple DNA fragments with a designed order and orientation in Bacillus subtilis plasmid. Nucleic Acids Res., 31, e133.
- http://wiredvision.jp/blog/yamaji/201007/201007291701.html
- 板谷光泰 in ‘合成生物学’, 浅島誠・他編、シリーズ現代生物科学入門9、第2章「ゲノム構造の再編成」、pp35-65岩波書店 (2010)
- Kaneko, S., Takeuchi, T., and Itaya, M. (2009). Genetic connection of two contiguous bacterial artificial chromosomes using homologous recombination in Bacillus subtilis genome vector. J. Biotech., 139, 211-213.