「上海事例」から見た中国の基礎教育の変遷とその問題点
2011年 4月 4日
王智新:聖トマス大学 教授、神户日本語学院 院長
1952年 上海生まれ
1975年 上海外国語大学卒業
1988年 千葉大学教育学修士
1992年 東京大学教育学博士、聖・トマス大学教授、神戸日本語学院院長
主な研究業績
『日本書簡ハンドブック』中国交通大学出版社(1988年)/台湾鴻儒堂出版社(1994年)
『近代中日教育思想の比較研究』勁草書房
『当代日本教育叢書』(全16巻)(中国語)執筆・編集、中国山西教育出版社
『現代 中国教育』明石書店
『新世紀・日本基礎教育』(中国語)広東教育出版社
『沸騰する中国の教育改革』東方書店
『世界教育大事典』(中国語)中国江蘇教育出版社
なお、目下「日本古典文学選集」の中国語訳の翻訳・編集を担当、上海古籍書店から刊行の予定。
概説
21世紀、中国の基礎教育は新しい段階に入った。基礎教育の普及率の向上につれ、基礎教育の均一的発展に対するニーズの高まりが日々顕著となっている。特に、普及の上での更なる改善もまた、国民の差し迫った要望だ。しかしながら、改革による改善の余地は比較的狭く、着手が困難であり、普遍的に絶え間ない挑戦を強いられているため、基礎教育の改革に対する壁が厚いのも事実である。
本文は上海の基礎教育変遷経緯とその経験の分析より、現在中国の基礎教育に関する問題点について述べる。
一.上海における基礎教育の現状
2010年12月7日に発表された、経済協力開発機構(OECD)による国際学習到達度(PISA)調査によると、調査に参加した世界の約47万人の生徒の中で、初参加だった上海の15歳の生徒が読解力、数学的リテラシー、化学的リテラシーの3分野において全て首位の成績を収めたという。読解力においては、2位の韓国の生徒と17点の差をつけ556点獲得、数学的リテラシーと科学的リテラシーはそれぞれ600点と575点を獲得し、それぞれ2位と38点、21点の差をつけた。これは、2009年4月にOECDの技術基準要求に従い、上海市の各種中・高等学校に在校している約10万人の15歳の生徒を代表し、152校、5115名の生徒が調査に参加した結果である。その参加率とカバー率はそれぞれ97.8%と98.6%であった。
この結果が発表されるとすぐに、国内・外の教育界及びメディア界から広く注目された。日本も含めた海外メディアがこの「意外」な結果に対して上海及びアジアの成功した教育経験について追跡調査し、分析した。米連邦政府教育長官のアーン・ダンカン氏は自国の生徒の調査結果と比べると、これは「警告」であると述べた。(2010年12月19日「人民日報」「国際標準『体験』中国教育 調査が教育改革の決定に影響」より)。一方、中国国内では、多くの論争を引き起こした。このことで「中国の教育の遅れを覆い隠す事はできない」(中央教育科学研究所研究員 儲朝暉)という評論がある。もちろん、その通りだが、この広い中国において全ての地域を統一するためには長い間努力しなければならない事から考えれば、上海の実践が今後の中国における教育改革の方向性を代表する事を否定する事はできない。
上海基礎教育の概況:
上海市教育委員会の発表したデータによると、上海に既存の中・高等学校は755校、小学校は766校、その生徒数の合計は129.59万人である。中・高等学校、小学校は共に全日制である。基礎教育の学制は小学校5年、中学校4年、高等学校3年の「五・四・三」に段階分けられる。また、同時に義務教育段階においては9年の小中一貫校がある。民営の小・中・高等学校は293校で、全市の小・中・高等学校の19.3%を占めている。内訳は中・高等学校109校、小学校184校であり、その在校生徒数は24.29万人、全市小・中・高等学校生徒数の18.7%を占める。その他、特別支援学校が29校、その在校生徒数は5036人(中・高等学校付属特別教育クラス、小学校付属特別教育クラスも含む)、普通教育機関で学ぶ生徒は3775人である。(内訳:盲学校1校、生徒数181人、聾唖学校3校、生徒数473人、知的障害児養護学校23校、生徒数3718人、総合学校2校、生徒数473人)。
学校教育課程:
「上海市普通小・中・高等学校課程方案(試案)」の規定により、上海市の小・中・高等学校の課程は、基礎課程、発展課程、研究課程(義務教育の段階においては探求課程)により構成される。小学校が行う基礎課程には国語、数学、外国語、道徳と社会、自然、労働技術、情報科学技術、体育とフィットネス、音楽、美術等がある。発展課程では専門教育、集団活動、クラブ活動、コミュニティサービス、社会実践等を学ぶ。小学校各学年の一週間の授業時間数は32~34以内である。
中・高等学校の基礎課程では、政治思想(中学段階においては道徳思想)、国語、数学、外国語、物理、化学、科生徒命科学、歴史、地理、社会、情報技術、音楽、美術、芸術、体育とフィットネス、労働技術等が行われ、発展課程においては、学問類と活動類の発展課程があり、専門教育、集団活動、コミュニティサービス、社会実践等の講義が開設される。中学段階の8・9年生と高等学校段階においては、音楽と美術が融合した芸術課を学ぶ。中学段階の6・7年生と高等3年生には科学課程が開設され、中学段階8年生から高等2年生までの間は生命科学課程が開設される。中・高等学校各学年の一週間の授業時間数は34~35時間以内である。
上海市の小・中・高等学校は「生徒の発達が根源である」を徹底し、全ての生徒に対し、各個人の健康的で持続的な発達のために、「知識と技能、過程と方法、情緒と価値観」の3方面の立体的育成を目標に教育活動を行っている。
国語、数学、外国語は学校が最も注目している3課程であり、総学習時間の3分の1を占める。科学教育及び新学科並びに情報技術、環境保護、禁毒教育、心理指導等のいわゆる専門学科も学校教育における重要な位置を担っている。
学校教育では生徒の社会実践活動を重視しており、社会実践活動に参加する事を限定的な発展課程とし、幼い頃から社会的責任感を育成する。学校では、参加すること、生きること、生活する事を教える。上海では現在、小・中・高等学校が社会的実践を学ぶための各種各レベルの施設(基地)が1000校近くある。
体育課程では、上海市教育部が「生徒の体質的健康基準」を打ち出し、積極的に1日1時間の体育活動を行う制度を推進している。「体育と教育の結合」という新機軸の探求を2次的課程改革と結びつけ、体育とフィットネス課程の改革を推し進めたいとする考えだ。
中国では今現在、国家級課程、地方級課程、学校級課程の3レベルの課程制度があり、国家が定めた基準の下、小・中・高等学校の教学組織と管理においては一定の弾力性と自主性を持つ。学校には課程に対する一定の自主権があり、生徒は自主的に課程を選ぶことができる。教師は生徒の個性や長所と興味を積極的に育成・発展させるため、必要に応じた授業を行い、生徒の知識を広げると共にイノベーションと実践能力の向上を図る。
国際交流:
上海市の絶え間ないグローバル化に伴い、上海の小・中・高等学校に通う外国の生徒も日増しに増えている。外国籍の子女を受け入れるための国際学校が既に設立されている他、上海では150校の小・中・高等学校が外国籍の生徒を受け入れ、国内の生徒と並んで授業を受け、生活を共にしている。
二.上海基礎教育改革の歴史
中国政府は基礎教育を非常に重視している。1951年9月に教育部は新中国の小学校教育の普及に関する計画を初めて提出。1956年に中国人民代表大会で決議された「1956-1967年中国農業発展綱要」は新中国のために、小学校教育の普及に関する2つ目の計画を提出した。小学校教育の普及に関するこの2計画は中国の国情を無視したことと、功をあせる問題点があった。1958年の「大躍進運動」になった時、このような功をあせる問題が急激に膨張した。1958年9月に中国共産党中央委員会、国務院は、3-5年間で小学校の義務教育を普及させ、15年間で高等教育を普及させるという指示を発布した。1966年に始まった「文化大革命」によって教育事業がひどく虐げられた。基礎教育の発展は再度客観的実情と急激な膨張から離れ、このような状況は80年代初めまでずっと続いた。80年代初めに、中央政府は実際に即した義務教育に関する一連の施策、措置を発布し、著しい効果が得られた。1986年「中華人民共和国義務教育法」が頒布され、実施されたことによって、中国の基礎教育は法制の軌道に乗ることができた。その後、政府はまた一連の補助施策と措置を策定した。90年代初めまで、中国は基本的に小学校の教育を普及させた。2000年に、中国は9年義務教育を基本的に普及させ、予期どおりカバレッジが人口の85%になる目標をかなえ、根本的に中国教育が長期的に遅れている現状を変えて、全国民の教育レベルを高めた。中国という13億人も抱えて、なお農村人口の比率が比較的多い発展途上国にとって、人力資源の開発は大いに必要とされ、重要である。
長い間、上海の中国基礎教育における位置は特殊ではなかった。国家は計画経済を実施し、政府の強力な推進によって、教育の規模が迅速に拡大され、質が著しく高まった。但し、教育制度全体は統一されていて、体制とメカニズムの変化が比較的単一で、地方の改革の活力は発揮されないばかりか、打撃と批判の対象となっている。60年代に、教育の「整備、充実、強固、向上」が始まった。上海基礎教育の全体的な実力が強いため、その発展のレベルは依然として中国のトップクラスにあった。部分的な改革例えば人材育成の経験は中央宣伝部の推進により、中国でかなり大きい影響力を持っている。
文化大革命期間中に、国家の経済は重大な打撃を受けて、教育は壊滅的なショックを受けた。従って、70年代後半から80年代前半まで、あらゆる荒廃したものの再興が待たれ、教育の回復が急を要した。80年代に、上海基礎教育の改革の切なる任務は下記のことが上げられる。管理整備を通じて、速やかに教育の秩序を法制化し、教育の質を高めること。特に農村教育成長においての各種現実的な問題点を解決しなければならない。義務教育の実施を保証するために、なるべく早く学校の施設、設備が遅れている問題点を解決すること。文化大革命による教育管理の混乱を変えるために、1979年に、上海市人民政府は高等教育局と教育局を設立することに決めた。同時に2大教育行政部門を統合するために、1980年に、前の文化教育弁公室を上海市人民政府教育衛生弁公室に変えた。この措置は政府が教育秩序を整備し、教育行為を法制化し、また教育の発展における重大な問題に前倒しして取り組む意思決定と思考のための、重要な保障となった。然し、機構設置の重複により、相互間の職能と機能はよく矛盾を起こした。それにもかかわらず、それぞれの職責を果たし、それぞれ最善の管理機能を発揮し、また大幅に前倒しして教育法規、規定を確立でき、政府のトップクラスの教育管理機能を強化でき、中国の教育改革のために重大な成功の経験を与えた。当時上海発展の実情によって、日本及びその他の国の経験を参考にして、中等教育構造の改革に力を入れた。1983年に、上海市政府は率先して、社会と経済発展の人材に対する需要及びその変化を予測した。報告によれば、上海の人材における優位性が逐次消えていて、潜在している人材危機を解決することは、すでに将来の全市の経済、科学技術及び社会発展における最も重要な課題になった。人材育成をめぐって、上海は地方人民代表大会立法の形で、「上海市義務教育普及条例」を頒布する一方、1985年より、上海市教育委員会が主催して、20課題グループを結成し、システム、学科を越えて、3年間にのぼる教育成長戦略の研究を進めた。最後に、「上海教育発展戦略研究報告書」を提示し、「一歩先を行き、一層高く」という全体的要求を打ち出し、全面的に2000年までの上海教育成長の予測を描いた。企画を先行させ、政府の教育に対する高度な重視を十分に表した。同時に、この時期の上海の教育改革が有する先見性、全体性と科学性という特徴を反映している。この企画は中国教育の改革と発展において、非常に重要な位置を占め、研究方式、成長の考え方などの各面においても、1993年の「中国教育発展綱要」の制定のために根拠とサポートを供与し、上海90年代の基礎教育の発展のマクロ的思考にも事前の探索の方向を示したと言える。
1985年7月に、上海市人民代表大会第8期第4回会議では「上海市義務教育普及条例」を議決し、地方人民代表大会立法の形で、先立って義務教育制度(全国人民代表大会は1986年に「中華人民共和国義務教育法」を頒布した)を普及させた。義務教育が教育発展の最優先事項であることを明確にして、法律から児童が教育を受ける権益と市民の基本的資質の向上を保証した。
上海の基礎教育改革の深まり、課程改革のニーズに伴って、1989年に上海市人民政府は「上海市小・中・高等学校教師研修規定」を頒布した。地方法規の形で、全市の小・中・高等学校、幼稚園の在職教師の継続教育という具体的な要求を提示し、中国の教師チーム構築のための見本となった。
80年代の改革の上、90年代に上海は大発展の時期に入った。都市基礎施設は大量に着工され、産業の構成が急激に調整されたため、基礎教育の発展を正視しなければならなかった。上海市の「1つの先頭、3つの中心」という国際化近代大都市の建設(一流都市)と「科学教育で市を興す」という戦略的発展目標をマッチングさせた。適時に人口のピークと大規模の都市建設の中で学校の配置を調整し、全面的に学校施設の歴史的な不足を解決し、21世紀の教育発展のために必要な基礎を打った。都市発展のニーズと市民大衆の日増しに旺盛になっている教育ニーズに適応するために、成長の過程に現れてきているいろいろな新しい矛盾に対応し、新しい問題点を解決するために、さらに教育が内包する発達を強化し、教育の質を高め、新しく、持続的な成長の方向性に形成させる必要があった。
90年代以来、上海市は大規模の校舎新築と改造を経て、都市の振興と台頭をもとに「手薄な学校の更新工程」、世紀を跨る「小・中・高等学校基準達成工程」、「農村小・中・高等学校情報化環境施設建設」などの重大な工程を進めることにより、ハード施設の建設が基本的に均衡になった。最近数年来、都市の発展が教育に求めている新しい要求と市民大衆の教育に対する新しい期待に向き合って、上海市の基礎教育は規模の成長から質の成長へ、粗放成長から精細成長へ、同質成長から特色ある成長へ転換する重要な時期にある。
90年代中期、上海の入学のラッシュは小学校から中・高等学校に移った。1996-1998年に中学校と高等学校のダブルラッシュが現われた。また大量の古い区域の改造、新住宅の開発などに伴い、人口の導入と導出という流動、出稼ぎ者の子女の増加など新しい変化が現われた。学校の運営条件を徹底的に解決するために、上海は住宅団地の開発に「公共建設インフラ」という施策を実施し、新たにたくさんの学校を建設した。一方、就学段階によって異なる戦略を取った。小学校人数が減少している有利なタイミングを狙って、小学校教育の「少人数化教育」を推進し、「標準化」配置と「少人数化」配置の中で、小学校の運営条件を改善した。中学校は手薄の部分だった。上海は中学校の建設を主とする「手薄な学校の更新工程」、「標準達成工程」、「中学校建設強化工程」(新世紀前後)などを連続して起動し、財力と物資を集めて、広範囲に中学校の運営条件の困難を解決した。高等学校段階は大いに成長する時期で、90年代中後期、上海は全ての重点高等学校の高等学校と中学校の分離運営制度を推進し、高等学校及び高等学校の生徒募集数の比率を迅速に拡大した。同時に寄宿制高等学校の建設などを通じて、普通高等学校の発展のために堅牢な基礎を打っておいた。
全体的に上海基礎教育の良質の資源が迅速に拡充され、学校運営条件における差異をある程度解決でき、市民大衆の日増しに高まっている良質な教育資源を享受するという強烈な要望に逐次適応していった。このような教育発展の態勢に面して、上海市はまず政府から基礎教育を均一的に成長させるために新しい構成を先行して画策した。財政サポートにおいて、上海市は生徒人数平均公用経費割当基準の動態調整メカニズムを確立し整備した。絶え間なく義務教育段階の生徒平均公用経費の割当基準を高めた。2008年から、小学校と中学校の生徒平均割当基準を1400元と1600元に高めた。今年から、また1600元と1800元に高めた。郊外学校の建設において、「第十一次5ヶ年計画」期間に、上海市は130億元を投資し、郊外で、639の教育基本建設プロジェクトを完成し、教育の都市と農村の一本化進展を加速した。また、上海市は優秀な教師、優秀な校長の育成工程を通じて、また監督公示公報制度を確立し整備することで、基礎教育の均衡のとれた発展、教師資源と学校運営の条件などの関連データを社会に公示する。今年上海市政府はまた1.25億元を投入し、人口が集中し、中学校の教育資源が不足している松江区九亭鎮、宝山区顧村鎮、嘉定区南翔鎮、浦東新区浦興路街道、閔行区呉泾鎮などで中学校を5校建設した。
歴史的な原因により、上海市の良質の教育資源が大体都心部に集中している。教育資源をバランスよく配置すると同時に、郊外学校の内容の成長、良質な成長を推し進めるのは突破すべき難題の一つである。上海市の各区県及び各学校は上海市教育委員会の指導の下で、勇敢にイノベーションし、基礎教育を良質にバランスよく発展させるための新しい方法を数多く探索した。例えば、上海市浦東新区では一校複数部の建設を推進し、新しく出来上がった学校を、ブランド学校が運営と管理をする。法人一人で、所属機構が複数ある体制を実施した。例えば、1958年に創立された楊浦小学校(前は上海市第二師範学校付属小学校)は楊浦区の中心小学校で、1996年5月に国家教育委員会に全国「小学校管理規定」テスト学校に定められ、2000年に「全国近代教育技術実験学校」に選定され、上海市「少人数化教育実験学校」に選定された。上海市2次課程改革実験基地であり、科学的な教育理念、優れた教師チーム、先進の教育施設を保有し、区内で人気が高い。楊浦小学校は前後して区内の近くにある長陽路第五小学校、河間路小学校、大連西路小学校などを統合し、楊浦小学校教育集団を結成し、その他比較的手薄の小学校をも向上させた。これを見本とし、楊浦区は前後して一番親達に愛顧を寄せられている学校を先頭にして、一部の手薄の学校をリードさせる形で、4つの小学校集団を組織した。集団内の教師資源は統一的に手配し、課程は統一的に管理し、審査は一体となって実施する。上海向明中学校など10校余りの都心ブランド学校は郊外の新興都市部、大型居住コミュニティに学校の連合運営を実施している。現在、上海市教育委員会は都市ブランド学校5校を郊外の新興都市部、大型居住コミュニティで学校の運営をするように調整、推進している。
区、県の意欲を十分に発揮させ、上下連動、良性競争の局面を形成させる。90年代中後期の、上海基礎教育改革の鮮明な特徴は資質教育の区域性の全体的推進である。市教育行政部門の強力な指導の下で、区県の改革の活気が非常に強い。例えば、静安区は政府の優先行動、管理改革を突破として、制度のイノベーションを特色として、学校の人事、配分制度の改革を実施する。その校長の職務ランキングシステム、学校と企業の分離などの制度改革は速やかに全市で押し広げられ、中国全土に広がった。閔行区政府は文書の形で資質教育を推進し、大胆に高等学校の入試制度を改革し、「2つの試験の分離」を実行した。小学校は留年制、百点制を廃止し、伝統的な授業の席順配列を変えて、教育の質のモニタリング制度を確立した。中学校では、能力によるクラスの編成、広範囲的な補講、授業時間の延長、授業時限の勝手の増減は許されない。音楽、体育、美術及び労働技術授業、物理、化学生物実験授業の開講を確保する。校内の管理などを法制化して、制度と体制メカニズムの改革において資質教育の全体推進を保証する。虹口区で「政府のマクロ管理、コミュニティの積極的な参与、学校の法律による自主運営」を積極的に探索し、大いに校長と教師の意欲を引き出した。これらの改革は中国で非常に大きい影響力を持ち、区域の資質教育改革の手本となった。
教育、運営の全体的な改革を推進するために、上海は監督指導、評価と生徒募集において改革を強化した。先進国の監督指導の経験を取り入れた上で、上海は学校の成長監督指導評価を研究し、押し広めて、中国全土に経験を与えた。評価において、「上海市生徒評価手帳」を制定し、生徒の総合的改革を探索した。募集試験では、義務教育において「近い学校への入学」を採用し、高校入学試験において、「2つの試験の分離」を採用し、高等学校入学段階で「複数のチャンス、相互選択、多次元評価、多次元採用」を実施し、大学入試は一部の大学と一部の高等学校は提携して、「早期募集、早期育成」のメカニズムなどを採用する。
課程の改革 上海は教育改革の先鋒であり、教育制度、学校建設改革と同時に、上海は絶え間なく課程と教育内容の改革を推進めた。80年代初めに、上海がなるべく早く教育の質を高めるために、採用した主要戦略は、教学の通常管理を強化し、先行して課程の改革を探索した。全市の第一線学校及び教師を主体とする大衆化の科学研究を興起させたことである。例えば、静安区一師付属小学校の「愉快教育」、閘北第八中学校の「成功教育」、大同中学校の「単位制改革」、和田路小学校と向明中学校の「創造教育」などは80年代に始まり、90年代に完全化され、成長を遂げ、資質教育の「典型」と呼ばれる。90年代以降、上海晋遠中学校の「選択授業制、コース課程」、及び朱永新教授が自らリードしている「新教育実験」では読書キャンパス作りなどは、中国で非常に大きい影響力を持っている。全体的に押し広めている「少人数化教育」、2次課程改革などは、基礎教育が全体に持続して発展する基礎を築く役割を果たし、その効果は長期的で、遠大で、深いものである。
1980年に、上海は「上海市1980学年度小・中・高等学校教学計画(試案)と説明」を発布し、小・中・高等学校の必修課程を定め、その後逐次教育指導要綱の調整を行った。教育の質を高めるために、上海は教学において「2つの『基』」(基礎知識と基本能力)にしっかりと取組んだ。また「多数の学校に向って、生徒全員に向って」という学校教育の発展の考えを打ち出し、「第二講堂」を開き、学校の教学改革を充実させた。その後、1988年に上海で小・中・高等学校課程教材改革委員会を設立し、1次課程改革を始めた。又、率先して地方大学入試の自主権を獲得し、基礎教育教学の改革を深く進めるために発展のスペースを獲得できた。これらの改革は上海が教育の質を高めるための重要な保証となり、80年代の基礎教育改革の貴重な富にもなった。教学改革を推進めるために、80年代初に上海の大衆化の教育科学研究は中国の先頭を切り、トップダウンとボトムアップを結び付ける科学研究のネットワークを形成した。一部の第一線にある学校、教師が積極的に教育の科学研究に加わり、科学研究で学校を興す手本が沢山現われた。
1986年~1997年の期間中、上海は小・中・高等学校幼稚園を対象とする1次課程改革を行った。1998年に上海は2次課程改革を始めた。生徒の育成目標が「イノベーション精神」と「実践能力」を強調し、生徒全員の全面的な成長を保持し、生徒それぞれの個人の健康的成長、持続的成長を保持し、中学校の標準化建設を強化した。基礎課程、発展課程、研究課程を設置し、生徒によって学校によってそれぞれの発展のニーズを満たした。同時に8つの学習分野を設置し、課程の整合を強化した。近代情報技術と課程の整合を重視した。特に体験、感受、運用を強調し、伝統的な詰込式教育法に反対した。同時に、知識だけの考査ではない生徒能力の考査を考慮した。一部の科目が持込許可試験を実施するのも、生徒を丸暗記から離れるように引導するためである。特に中国の「古典や詩を暗誦する」風潮の中で、上海基礎教育はイノベーションと実践を堅持している。
「第9次五ヵ年計画」期間中、上海1次課程の開発は基本的に完了した。それと同時に21世紀の社会と科学技術発展の新しい局面に向って、90年代中後期に、上海は次々と2次課程改革を実施した。2次課程改革は「生徒の発達が根源である」という理念を指針とし、生徒を発達させる「3つの学力」と、課程で実施されている「3方面の立体的目標」を確定して、基礎課程、発展課程と研究課程という新しい課程構成を設計した。推進の過程では、市教育委員会は先行して各学科の改革綱要を制定し、外国語、コンピューター学科と推進研究型学習を突破口に選定し、着実に局部的に推進する戦略を立てた。上海2次課程改革の実施は最初から近代情報技術との整合を明確にしていたため、全市の教育情報のネットワーク建設、生徒数とコンピューター数の比率、教育資源の開発と利用はみな中国においてハイレベルにあることは注目に値する。
制度の改革、課程の改革、すべての改革のキーポイントは人間にある。教師がいなければ、如何なる改革も無駄話になる。如何に適格な基礎教育の教師を育成するかは、ずっと上海教育改革の重要課題である。「第8次五ヵ年計画」時期に、教師の育成の重点は学歴に置かれた。「第9次五ヵ年計画」時期に、上海は高資質、ハイレベルの校長、教師チームの養成を加速した。このため、「上海市小・中・高等学校、幼稚園教師教育訓練『第9次五ヵ年計画』と2010年ビジョン」を制定した。計画によると、全市はまず教師の供給源から大きく変更し、多角化のルートを作った。それから大いに「21世紀園丁プロジェクト」を推進して、率先して「研究訓練一本化」という戦略を押し広めて、教師の継続教育を強化する。テレビ講座などの形式を通じて、全市の教師を対象に科学研究の教育訓練を行い、科学研究をもって教育研究と管理を促進する。同時に中堅教師チームの育成を強化し、小・中学校校長の職務ランキングシステムを押し広げて、幹部チームの確立を強化する。教育の人力資源開発、集中において一定の準備をしておく。
「テスト的、モデル的学校」の建設において、上海は「学校診断」を採用し、また企画の制定及びモニタリングによって確実にするという新しい方式を採用する。専門家と学校は共同で学校の発展における優位性と不足、新しい時期に変革に臨んでいる学校の新しい位置づけ、学校運営の理念及び具体的な道徳、課程と教学、管理、教師チームの建設、教育改革の実験、学校運営条件の保障など学校発展の各分野において、検討を繰り返して、認識を統一させて、定期的に検査する。この独特で、有効なやり方は学校内部の改革と成長力を高めて、逐次すべての学校の内包建設に押し広められ、中国でかなり大きい影響力を持っている。教育の発展は社会に頼らなければならず、生徒の発展は社会に繋がらなければならない。この段階で上海は積極的にコミュニティ教育の研究と実践を展開し、大いに社会の思想道徳教育基地と科学教育、文化・体育活動の資源を整合し、またタイミングをつかんで、「東方のオアシス」生徒資質教育活動基地、「上海市科技館」などの科学普及基地等を確立し、資質教育の実施に発展の力を注ぐことにした。
三.上海基礎教育が直面している問題点
勿論、上海の教育に問題点がないわけではない。上海は中国のその他地区と同じように、学校、家庭と生徒は、ほとんどすべてのエネルギーを知識教育に注いでおり、幼稚園段階で、子供達は字が読めて、算数ができて、ひいては唐詩が暗誦でき、英語もできる。小学校段階でとても難しい問題も解くことができ、小学校では中学校の内容を教えて、中学校では高校ないし大学の内容を教えて、大学に入るとぼけてしまうという悪循環になっている。欧米の子供たちは知識教育にかける時間は比較的少ない。日本は言うまでも無く、米国を例に挙げると、米国国家教育統計センターのデータによれば、週末と祝日のほかに、米国の子供たちは毎年平均して180日間在校し、毎日受講は7時間に至らない。生徒達の休みは中国の生徒達のように補講クラス、塾に入るのはめったにない。主にアルバイト、ボランティア、或いはその他活動に参加する。米国では、小学校1、2年生で字が読めないのは少なくない。両者を比較すると、中国の生徒はこのようなテストでは成績が優れるのは当然のことである。
知識教育は勿論教育の中の重要な構成部分であるが、教育は教育される方に対してもっと重要な意義を持つ。それは個人性の養成、趣味の発展、人格の健全化、心身の健康にある。これらは生徒の成長に更に重要である。残念なのは、上海の基礎教育は知識教育が得意なことを除き、その他の教育は非常に粗末で活力がないことである。個人性、趣味は知識教育に締め出されて全く余地が無く、ひいては知識教育につぶされてしまっている。上海の統計によると、生徒の報告では、毎週の学校内での受講時間は28.3時間で、学校外での受講時間は6.5時間で、合計34.8時間もあるが、これは生徒の宿題をやる時間を含んでいない。生徒の課業負担が比較的重いものだと分かる。毎週学校内外での受講時間が一番少ない国である米国とフィンランドより10時間以上も多い。PISA2009に参加する全65ヶ国と地区では、上海生徒が報告した毎週の学校内での受講時間は14位となり、学校外の受講時間は9位になり、学校内外の受講時間の合計は12位となった。
その次は、区域発展の差異である。上海の基礎教育の均衡成長の絶対値は比較的小さいが、相対的な差異は存在する。その中には、都市部と農村部の差異ばかりでなく、相対的な区域差異もある。現在、都市部と農村部の差異が主に「県を主体とする」管理体制の中の郷鎮の統一的な計画及び市クラス財政の合理的な支出援助を解決することにある。経済の発展レベルが比較的遅くて人口による入学圧力が比較的大きい区域では、必要な施策の設計と援助が欠如している。このような状況が適時に解決できなければ、全体的に新しいアンバランスな構造が形成される。
教育の公平に対する理解は3つある。1つはチャンスの公平。2つ目は過程の公平。即ち、学校が提供する条件、設備、教師など各面のレベルの差が大きくないということである。3つ目は結果の公平。結果の公平というのは誰でも大学に入れるというわけではなく、生徒の差異を考慮し、生徒に一番良い進路を与えるということである。大学への進学に向く生徒なら、大学に入れば良い。技術に向く生徒なら、得意な技術を教えて職業を与えて、就職できるようにさせる。結果の公平というのは同じ学校に入るのが公平であるということではなく、個人の能力と条件に基づき発展を得ることを言う。従って、上海市民は教育の均一的発展にさらに関心を寄せている。例えば、良質な教育資源の相対的均一的な配置は、教育を受ける方に相対的に平等な教育のチャンスと条件を与えて、就学過程では同等の対処とサポートを得られることを希望している。その次に、教育を受ける人が平等に教育を受けて、平等の入学と就業のチャンスを得られることに関心を寄せている。もう一つは、子供1人1人の潜在的能力を最大限に発達させて、またそのために最適の発達環境及び条件を供与することに関心を寄せている。
教育の質の評価について、上海の基礎教育改革は中国の評価を得て、PISA2009でも良い成績を上げたが、全体的な教育の質が一体どうなっているのかは、まだ統一的な認識及び考査をされていない。上海の基礎教育は中国の参照体系もなく、国際的な参照体系もなく、また自分たちの質の基準(課程基準はテスト基準の代わりにならず、質の基準の代わりにもならない)も無いからである。現在の急務は資質教育の要求に適合する品質の基準は何なのか、どんな質が生徒の真実の能力を反映できるのかを答えることである。
出稼ぎ者の子女の教育について、国家の小康社会と調和社会を建設するという目標の確定及び公安部門の戸籍制度の改革にともない、西部と中部人口の段階的移転の傾向が逆転することは無い。出稼ぎ者の子女が同等の市民待遇を享受し、義務教育段階での雑費免除及び義務教育の後の段階の教育を受ける上で発生する新しい問題点は回避できない。
2次課程改革の逐次の深化に従い、基礎教育改革の重点が学校に移った。学校の課程企画能力、リーダーシップ、教育運営の執行力などの改革の積極性が大いに高まった。学校自らの課程の建設・発生は課程全体の改革を充実させた。同時に学校自らの課程建設によって学校自らの研修と学校自らの教育訓練を先導した。教師の専門能力が逐次高まっている。但し、無視してはならないのは、改革全体が学校、講堂、教育の過程、教師の資質の向上などの核心となる分野に浸透しているが、基礎教育改革の管理体制は依然として遅れている。政府は依然として学校に対し多くを制限し、独断で取り決めることが多い。学校と教師の改革の自発性と積極性は制度解放という保障を得ておらず、十分に発揮できない。
課程改革及び教育訓練の重点は学校に移ったが、学校は制度においてまだ本質的に解放されていない。このような情勢に対して、選択できる戦略は、逐次学校自らの課程開発と課程資源の建設などを区域内及び区域を越え相互参考及び使用へ引導していき、より良くより経済的な道を歩むことである。但し、これは上層に必要な体制を整える同時に、教育知的所有権制度の建設において改革を強化し、学校の管理において人事制度の改革を強化し、新しい「研究―訓練―使用の一本化」の制度を設計し、学校成長の新しい力を形成することを要する。
上海基礎教育国際学校にも沢山の問題点がある。例えば、外国人子供留学生を受入れられる学校はまだ少なすぎる。総数量は発展のニーズを満たせない。現在、外国籍生徒の比率は毎年20%ぐらいのスピードで増えており、まだまだ飽和状態になっていないので、上海学校は外国生徒を受入れる能力をより高めるべきものである。その次に、外国生徒を募集する学校は、主な目的が学校の収入を増やすためで、有力な教師チームと管理経験が足りない学校も少なくない。教師の外国語能力の全体状況はまだ国際化の要求に適していない。これらの学校は外国生徒を募集するのは短期のエフェクトに関心を寄せているためであるが、まだ本当に国際的に認可される課程システムに納められていない。外国人教師は小・中・高等学校ではまだ珍しい資源であり、限られている外国人教師は流動性が比較的大きい。政府による国際交流に対する制限が多すぎて、手続きがややこしい。現在、重すぎる高校入試、大学入試のプレッシャーにより、外国生徒の募集は上海小・中・高等学校生徒の国際化素養の養成に重要な影響を与えていない。絶え間なく増えている外国生徒の教育需要に強烈な対比となるのは、開設してある上海国際学校或いは国際部は閑散としているのが大多数であるということである。
四.上海から中国を見て日本と比べての感想
上海基礎教育の歴史を纏めれば、我々は上海が中国のその他地区と異なり、ひいては日本と根本的に異なるやり方であることがわかる。概ね下記の3つに総括できる。
1.先進の教育理念を大胆に導入し、実践し、基礎教育の改革をリードする。
20世紀90年代は中国では資質教育の理論と実践の論議が始まり、上海教育思想の活躍を促進した。上海の教育思想は大討論の中でまた突破とイノベーションが行われた。1996年に、上海は率先して「生徒の発達が根源である」という先進の教育理念を打ち出し、「ヒューマニズム」の認識の束縛を打破した。この先進の教育思想は、教育発展の内包価値を高めた。全体的な教育改革に重要な思想リードの役割を果たし、速やかに広範的に教育勤務者の評価を得た。同時に中国の基礎教育改革にも重大な影響を与えた。
上海市人民政府の「一流都市、一流教育」を確立するという発展目標のもとで、1985年に、市教育委員会は専門家を組織して「一流基礎教育を建設するための発展企画」を研究し始めた。これは単なる基礎教育の改革設計であるが、中国では初めてである。企画の編成そのものは思想を解放して、大胆にイノベーションして、考えを整理する過程である。筆者を含む日本教育研究家は何回も検討会と提案会に参加し、日本を含む海外基礎教育の研究と比較を通じて、企画報告では一流基礎教育を建設するための6大内容を提示した。(1)先進の教育思想観念をもって一流基礎の建設を指導する。(2)将来の上海市民はハイレベルの教育を受けられる。(3)簡素化で高能率の基礎教育管理体制。(4)生徒全員の資質発達を重視する教育教学システム。(5)社会全体が基礎教育に関心を持って、参加するビッグ教育システム。(6)基礎教育の国際交流と提携を開拓し、上海基礎教育の対外開放の局面を形成する。「一流基礎教育を建設する企画」は相対的に独立するが、また上海全体の社会経済及び教育発展の全局に密に繋がっていて、90年代全体、新世紀に入った後の上海基礎教育の発展を含めて、重大な指導的役割を果たしている。
2002年末、華東師範大学の呉尊民教授をはじめとして、重点課題である「中国基礎教育施策が意思決定体制により決まることに関する改革研究」という課題を研究し始めた。課題グループは国内の学者のほかに、筆者を含む外国の学者を招請した。3年間にも渡る調査と研究を通じて、2005年12月に最終報告である「基礎教育意思決定論」を提示した。当該報告書は一、理論研究 二、実証研究 三、国際比較研究という3つの部分から構成される。国際比較部分の3論文はそれぞれ日本、英国と米国の基礎教育政策の制定と意思決定体制の研究である。当該報告は中国の基礎教育における民主的でない、不透明な裏工作と長官意志を批判し、民主的で科学的な意思決定体制の確立を呼びかけた。報告書は上海市教育界で大きな反響を引き起こし、上海の基礎教育の意思決定の民主的進捗を推進した。
2.教育の国際化を積極的に推進
大学の教育国際化はすでに百花繚乱で、上海の基礎教育国際化も盛んに行われて、すばらしい情勢を迎えている。教育の国際化に対して、政府は関連法規を発布した。基礎教育の国際化にも一定の保障と指導の意見を提示した。基礎教育の国際化は沢山の小・中・高等学校の企画目標になっている。上海にも逐次英語以外の言葉を外国語とする教育特色のある学校が出来上がった。例えば、甘泉中学校の日本語教育などである。現在、40近くの国や地区から来た1万人余りの外国生徒は上海で暮らして勉強している。上海では国際化の学校と外国人小・中・高等学校生を受入れられる学校が沢山出来上がっている。そのタイプは3つに分かれる。(1)国際課程の学校。これらの学校が受入れる生徒は国別の制限がなく、英語を教育の言語として、比較的強い国際性を持つ。(2)完全なる外国人学校。例えば上海日本人学校、上海フランス学校など。在校生徒数は3500人以上にのぼる。(3)当市高級学校内に設置されている国際部及び外国人生徒を募集できる小・中・高等学校。例えば、上海中学国際部など。上記の学校のほかに、上海は現在、外国籍生徒を募集する資格を持つ小・中学校はその他に150校ある。これらの学校はクラス編入の方式で外国生徒が概ね形成され、主に中国語で講義する。
上海の国際化学校は多角化の学校課程構成が概ね形成されている。上海国際学校の学制と課程は基本的に中国学制を採用する。学校は単位制を採用し、段階に分けて就学できる。少人数化教育、寄宿と通学の結び付けを実施している。英語と中国語は主な教育言語で、その他言語は実情により別途定まる。すでに国際課程を導入し、国際軌道に乗る運営体制を構築している学校もある。日本と比べて、前世紀80年代、教育の国際化が盛んに話題にされていたが、今世紀に入って以来、日本へ進出していた米国大学は次々と撤退し、留学生の受入人数は、老牛が壊れた車を引っ張るように上昇スピードが遅く、行き詰っているほか、その他は皆、鏡中の花、水中の月のようで、多分もう真剣に考える人が誰もいないだろう。
基礎教育改革という高原の緩やかな坂のような段階に、国際先進の教育経験を導入し、一定の外的衝撃力によって、慣性を打破するには非常に必要とされることである。従って、国際教育の最新の改革傾向を研究し、国際教育提携を強化するのは上海の基礎教育の今後の成長のための重要な原動力である。現在の選択肢として、国際提携による学校運営の導入、国際教育課程の導入、国際教育評価の経験を参考にする、まとまった人数の国際教師資源の導入などが上げられる。国際提携は「導入してくる」と「出向いていく」の両方を同時に重視し、上海基礎教育は成功の改革経験をすでに沢山持っているため、国際舞台で発言権を持っており、上海の一部の良質な教育資源も、その海外での生徒募集或いは外国での学校運営を推進することができる。「出向いていく」と同時に自分自身の体制を充実させ、新しい活力を湧きあがらせる。
3.イデオロギー上の障害を排除し、世界の先進経験を吸収する
PISAテストへの参加について、国内でもいろいろ議論があるが、上海市教育委員会は2006年から積極的に申し込んで参加してきた。これに対し、元上海市教育委員会主任、PISA中国上海プロジェクト組長である張選民はこう語った。「このプロジェクトを通じて、世界各国の先進の経験を学び、基礎教育の改革にしっかり取組み、生徒がより幸せで、楽しい過程で発達していくことを願っている。最も重要なのは我々自身の基礎教育質検定システムを確立し、中国の実情を反映できると同時に、国際的な質の要求にも一致することである。」
教育の国際化は学校運営、制度上の教育開放から始まるといえば、上海の経験ではもう一つ重要なのは課程と教育内容の国際化であり、大量に外国の課程、教育内容と管理方法を導入することである。イデオロギーに困惑させられることなく、改革開放と国際化という目標の実現に有利なことさえであれば一律に吸収する。改革開放して30年来、中国教育はずっと開放の態度を維持している。絶え間なく先進国の先進の経験を学習し、吸収し、「現在米国、英国、日本など各国の当代教育界にどのような専門家、新しい理念があるかについて、我々はそれぞれの自国人より多く分かっている」(張選民)。米国の一部の理論と実践のほかに、日本に比べて、他国の教育改革と理論はどれだけ知られているのかというと、中国、韓国、シンガポールなどのアジアの国の具体的な実践は、分かる人がほとんどいない。
結び
基礎教育は個人にとって、人間一生の発達の基礎であり、国にとって、教育全体の基礎であり、基礎的、全局的、先導的な地位にある。各種教育の中で、基礎教育は教育の平等、公平を表していて、国、社会、学校、家庭が共同で責任を負担することが求められている。従って、基礎教育の重要性を認識し、観念を転換するのは義務教育を発展させるにはもっとも重要なことである。今日の市場経済条件の下で、中国の基礎教育は今までの何時の時点よりも法律の保障が必要とされている。法律によって教育を運営し、教育行為を規範化してこそ、「教育させられる」から「教育してほしい」への観念の転換が実現できる。
基礎教育の均一的成長は理想だけではなく、関連の規範と制度にならなければならない。価値の追求として、反映するのはガイドラインで、内在的な質に関する規定である。これに対し、上海市教育委員会主任の薛明揚が語った。「今現在、基礎教育の均衡発展を実現する具体的な「スケジュール」を作成するのはまだ非常に難しいが、この「ロードマップ」がある以上、我々は何とかして前向きに推進しなければならない。少しでも怠ってはならない。」(「東方教育時報」2011年2月23日)
主要参考文献: