地震前兆現象の判断根拠
2011年 7月22日
邱澤華(Qiu Zehua):中国地震局地殻応力研究所観測予報研究室チーフエンジニア、研究員
1959年9月生まれ。1982年北京大学地震地質学部を卒業、中国地震局地殻応力研究所に入所。2004年北京大学地震地質学部地球動力学の博士号を取得。1998年10月―1999年10月、東京大学地震研究所の訪問学者。2009年1-7月、東京大学地震研究所高級研究者。主な研究領域は地震成因とボアホールひずみ観測。国内外の学術シンポジウムで四十余りの論文を発表。地震成因の研究では、構造陥没地震成因理論を提出。著書は『構造陥没地震』。2001年から中国地震局のボアホールひずみ観測網の管理を担当。
1.はじめに
海域地震予報の成功により、中国の地震研究者にはかつて地震予報に対し自信満々な時期があった。しかし、唐山大地震の予報は全くできなかったため、研究者の地震予報に対する自信も急になくなった。その原因は何かというと、海域地震予報にはしっかりとした研究基盤が構築されていなかったからである。最近、王克林などの学者により、海域地震予報のプロセスに対する詳しい調査が行われ、海域地震予報の研究基盤の弱さが明らかにされた。
地震予報の基礎は地震前兆現象の観測だとされている。現在、地震予報の研究基盤は全体からみるとまだしっかりとされていない。「弱い地震が頻繁に起れば、大地震が来る」という経験論的な事実は確かだが、このような地震前兆は普遍性を欠いており、普遍性のある前兆を研究する必要がある。今まで、数多くの文献に登場しているいわゆる「地震前兆」は、厳密に研究・検証されておらず、これらの「地震前兆」に関するデータはそのまま人々に伝えられてしまい、大衆と政府に間違った情報を提供している。つまり、このような研究基盤は全く信用できないものである。Gellerなどの学者によって地震予報可能性が否定され、Parkfield地震予報実験において明らかな地震前兆は確認されておらず、汶川地震のときも全く予報できなかったなどのことより、今までの地震前兆の研究はすべて否定されてしまった。
近年、地震予報は各方面から疑問視されている。それは、中国だけではなく、元IASPEI主席のWyssをはじめ、地震予報可能と主張する外国の学者も説得力のない反論しかできない。地震予報の将来性についても、はっきりした主張はない。これら事実から、地震予報の研究基盤の弱さが分かる。
地震予報は重要であるため、中国はかつて一気にすべての問題を解決しようとした。しかし、数十年にわたり様々な経験をした中国人は、地震予報がいかに複雑なものかわかった。これからは、根本的に考え方を変え、この難問をいくつかの課題に分け、筋道を整理してから、一歩一歩進んでいかなければならない。何より重要なのは、地震前兆の研究と地震予報の研究をきちんと区分し、前者を後者の基礎にすることである。
宇宙のすべてのものの間には、普遍的な関連性があり、それによって人類が世界を認識する。地震と地震発生前の現象の間にも当然関連性があり、この関連性を借りて地震を予報する。一方、地震予報の基盤となる様々な問題は、哲学によって解決するのではなく、地震前兆に対する細かい観測と選別によってはじめて解決できる。これは態度の問題だけではなく、方法論の問題でもある。
地震予報の基盤となる地震前兆は、様々なケースからなっている。地震予報の信頼性は、これらケースの信頼性によって決まる。地震前兆のケースを選別するには科学的な根拠が必要である。
2.専門家の断片的な主張を判断根拠にしない
確実な判断根拠のない場合、専門家の主張を地震前兆の判断根拠にするのは、非常に普遍的なやり方である。近年、中国地震学界における、「地震前駆波」に対する盲目的・崇拝に近い過剰な信頼はその典型例として挙げられる。
いかに権威のある学者であれ、誰もがミスを犯す可能性がある。例えば、崑崙山山口西のM8.1の地震が発生する前、一部の学者は新疆の地震観測網で観測されたある異常変化を間違って地震前兆と見なしていた。なぜそうしたかと言うと、その変化は地震発生に近く、ほかの幾つかの観測場でも似ている変化が観測されたからだという。その理屈は理解できるが、これを「地震前駆波」と結びつけるのはあまりにも無理がある。多くの研究者が「地震前駆波」に便乗したのも、様々ないわゆる「権威者」がそう主張しているからである。その代表的な学者は、「地震前駆波」という概念を提出した有名な地震学者金森博雄(Kanamori & Cipar)である。その後、「地震前駆波」は非常に流行っている概念となり、多くの関連文献には、ほとんどの「地震前兆現象」が「地震前駆波」と呼ばれていた。
仮に地震の前駆波は数万キロまで伝わるのであれば、地震予報が実現可能な問題になる。この仮説を真剣に分析し、高精度ボアホールひずみの観測データを全面的に分析したが、M7以上の地震の「前駆波」を確認することはできなかった。前出した新疆地震観測網で観測された異常変化も、気象変化によるものだと訂正された。
Kanamori & Ciparは1960年のチリ地震に基づき「地震前駆波」概念を提出した。その時、Ms8.3の本震が発生する前に、Ms6.8の地震が発生した。本震発生前に異常な波形が観測され、その周期が数分間であった。その波形はMs6.8の前震に関わる可能性があると思われ、この前震には巨大なエネルギーを持つスロー地震が存在する可能性を指摘している。この観点は国際的にあまり賛同を得ていない。Kanamori & Ciparによって観測された異常変化と新疆観測網で観測された異常変化の波形が全く違い、前者は単なる簡単な波形であるに対し、後者は密集した波形であった。
中国の研究者が「地震前駆波」概念の同調者になったのは、中国の地震研究者の研究がしっかりしていないからである。結果としては、地震前兆を判断する場合、権威のある専門家の断片的な主張を判断根拠にしてはいけないことが分かる。
3.仮説を判断根拠にしない
専門家の主張を判断根拠にするのと同様、仮説を判断根拠にするのも非常に普遍的なやり方である。権威者の主張と比べると、仮説は一定の客観性を持つが、真実と比べれば仮説は主観的である。
ある「異常」が地震前兆だと主張している多くの学者は、「異常」そのものの真実性を確かめるのではなく、主に「異常」と「理論」の関連性の証明に力を入れている。これらの学者は、観測した曲線をいくつかの段階に分け、「乾式」、「湿式」、断層クリープスリップ、スロー地震、前駆波、地震触発応力など、格好良さそうな概念を導入し、曲線を応力の累積段階、調整段階、加速段階、バランスを失う段階などに分けることを通じて、研究のハイレベルと合理性を誇示しようとしている。
実は、これらの研究は、何の意味もないのである。
地震予報はまだはっきりしていない段階において、いわゆる「理論」はすべて仮説にすぎない。仮説である以上、真実として実証されるかもしれないが実証できない可能性もある。仮説を真理として信じてはいけない。信じてはいけないいわゆる「理論」で、真実かどうか知らないいわゆる「異常」を分析する、というのはあまりにも価値のない研究である。
仮説は、多くの実践で検証しなければならない。仮説で地震前兆を解説したり、地震予報の参考にしたりしてはいけない。まず真実性が確かめられた地震前兆の異常事例を多く収集し、それに基づき仮説立てる、または、様々な仮説を選別し、地震前兆・地震予報の参考になる理論を探し出す、というのは合理的な研究手順であろう。
4.統計データを判断根拠にしない
統計データで地震前兆を考察する研究方法は、一番みんなの信頼を騙し取りやすい。これらの学者は多大の努力を払い、膨大なデータを分析し、多くの文献を調べた上で結論を出しているため、この結論を信じていいだろうと思われる。が、実はこの研究方法には問題があり、その結論ももちろん信じてはいけない。現在、中国の多くの政策はこれらの統計結果に基づいているため、「大躍進的」な目標が作られてしまったのである。
中国の統計データはともかく、まずWyss & Harbermaが主張している地震発生前の静穏化(precursory seismic quiescence)を例にして見てみよう。17の地震の例(M4.7~8.0)が挙げられ、統計のデータによって、それは「最も期待できる(most promising)」地震前兆だと証明しようとされた。Wyss & Harbermanの統計のデータだけを見れば、地震発生前の静穏化がはっきりとした地震前兆だと思うかもしれない。しかし、USGSのReasenbergとStanford大学のMatthewsは全く異なる統計データを発表している。この統計データは37の地震例(M5.3~7.0)の分析によるもので、系統的な、普遍性のある、信頼できる地震前兆異常は存在していないことを示している。
ここで強調したいのは、研究の結論ではなく、研究方法である。学者らの結論の正確性を判断する気はないが、上述した分析から、統計データは地震前兆の判断根拠にならないことがわかる。地震発生前の静穏化とはいったい何か、まだ合意されていない問題であり、客観的な判断根拠もないのである。
信用できる統計データは膨大で確実なサンプルに基づいたものであり、信用できるサンプルは信用できる根拠に基づいているのである。はっきりとしたサンプルははっきりとした判断根拠によって構築されるものである。判根拠のない研究基盤に基づいた統計は、いわゆる「手抜き工事」と同様である。
中国では「消耗戦より殲滅戦」などのことわざがある。まさにその通りであり、説得力の弱い根拠をたくさん獲得するより、むしろきちんと説得力のある根拠を1つでも獲得したほうがよいのである。
5.地震前兆異常の三つの客観的な判断根拠
地震前兆を判断する場合、地震前兆異常の客観的な属性に基づき、「異常」であるかどうかを判断するのである。これもよくある手法である。
判断根拠1:正常変化との対比
異常とは、正常ではないことである。よく発生し、法則性のある物事を「正常」だという。一方、めったに見られなく、真相が分からないものは異常と呼ばれている。
「地震前兆異常」現象は研究されているが、それは本当の異常変化であるかどうかを判断するのに、正常変化と対比する必要がある。そのため、ある現象が異常変化だと主張する際、対比のため正常変化についてきちんと説明しなければならない。異常変化は正常変化とはっきりした違いがある。ここで、2つの説明を加えたい。
- 観測期間をきちんと説明しなければならない。観測期間が長いほどデータの正確性が確保できる。季節性の変化がよくあるため、観測期間は少なくとも一年間以上継続する必要がある。観測データを積みあげると、季節との関連もわかる。この規則的な変化を把握しなければ、異常変化も認識できない。短い期間の観測データは信用できない。今まであった多くの教訓は、観測期間が短いせいだとされている。
- 観測の範囲を説明しなければならない。複数の観測場で広い範囲の観測をしなければ、正常変化との対比もうまくできない。一つの観測場のデータを数年間分析しても、「異常」を正確に把握することができないだろう。
判断根拠2:妨害要素がないか
ある変化が異常変化だと確定しただけでは、まだ終わりではない。その異常変化は本当に地震と関わっているかをきちんと考察しなければならない。地震と無関係で、妨害要素によって起きた異常変化も十分あるため、それを明らかにする必要がある。
- 観測設備の故障。観測システムには、様々な故障が起きる可能性がある。故障であるかどうかについては、観測場の管理者や機械専門家が判断できる。
- 環境の変化。環境の変化というのは比較的複雑であり、人為的な影響と天気の変化との二つに分けることができる。人為的な影響は、器械の点検、回りの工事、灌漑により地下水の吸い上げなどがある。天気の変化について、気温の変化、気圧の変化、風、雨などの要素がある。観測場の観測者によって、きちんと天気などの環境変化を考察しなければならない。そのほか、データのある数値の変化について、きちんと環境などの妨害要素に関する観測も行わなければならない。それによって、データの数値変化の原因を明らかにし、妨害要素との関連の有無も確定できる。
妨害要素の影響をきちんと排除すれば、この異常は地球の構造的運動によるものかもしれないと考えられる。しかし、厳密に言うと、排除できるのは既知の妨害要素だけであり、未知の影響に対しては、証拠がなく、関連する観測が不十分であるため、疑問が残る。
判断根拠3:地震との関連性
今の研究では、地球の構造的異常運動が必ずしも地震を起こさないかもしれない。つまり、様々な妨害要素の影響を排除したからと言って、異常な構造的運動は地震前兆異常変化ではない可能性もある。この異常変化の地震との関連性をきちんと考察し、その関連性が確定できてはじめて地震前兆だと言える。
時間的には、ほかの物事と同様、地震にも準備、発生、減衰との三段階がある。つまり、地震発生前、地震発生時と地震発生後の変化により、ある異常変化の地震との関連性を考察できる。この関連性について、次の三つの方面から考察できる。
- 観測した異常変化は地震発生に近づくほど強くなる。または、地震発生直前に現れる。
- 地震発生時の異常変化は地震発生前の異常変化より著しい。一般的には、地震発生時の変化を観測できない器械は地震前兆の異常変化も観測できない。
- 地震発生後、異常変化の減衰が観測できる。
地域的には、異常変化の発生区域は大体震源区域の中心またはその辺りにある。または、著しい異常変化は震源地域で発生し、周辺地域の異常変化はそれほど著しくない。
特徴から見ると、地震の準備、発生、減衰の各段階において、ある特定の数値の変化にはある程度の連続性と一貫性があれば、それは異常変化と地震の関連性の判断証拠となるだろう。
6.客観的な判断根拠の応用
実際に異常変化の検証を行うさい、地震と無関係な要素を排除し、関係のありそうな要素を選別し、積み上げなければならない。数十年間の経験から言うと、数多くの無関係要素に左右され、貴重な資源と時間を無駄にさせ、地震予報の研究と政策設定にもマイナス影響を与えている。
上述した三つの客観的な判断根拠により、無関係な異常変化を排除することができる。一般的には、ある異常変化は本当に地震前兆異常変化であるかどうかを認定するさい、これらの判断根拠を三つとも同時に運用しなければならない。三つの判断根拠が全て成り立つ場合、その地震前兆異常変化は相当確定できると考えられる。
IASPAIによる地震前兆に対する研究からみると、地震前兆変化を認定するには、演繹法は通用しない。研究者らは帰納法で研究しなければならない。地震前兆変化の証拠となる事実を多く収集し、反対の事実を多く排除したら、その証拠の説得力が強くなる。
上述した三つの客観的な判断根拠について、それぞれの重要性は異なっている。中核的な意味を持っているのは地震との関係性である。地震そのものは異常現象であり、地震前兆も当然異常現象でなければならない。何より重要なのは、観測データの正確性である。実際には多くの観測データは必ずしも正確とな言えない。理想的な観測データを獲得するには、高解像度、高度なサンプリングの観測装置だけではなく、好運(ちょうど震源地域に設置され、うまく稼動している)も必要である。
ある地震において、ある前兆異常変化は二つ以上の観測場で確定できたら、この変化は比較的に広い地域で発生し、空間的には一定の普遍性を持っていることを意味する。一方、異なる地震において、似ている前兆異常変化が観測される場合、この変化は時間的に一定の普遍性を持っていると言える。異常変化には普遍性があるからこそ、地震予報に役立つのである。
7.終わりに
現在、地震研究者にとって迫られた問題は、地震には一体はっきりとした前兆があるかという問題である。その問題を解決するには、どのような根拠で地震前兆を判断するのかは重要である。それは地震予報の基盤を固めるためにもなる。これらの根本的な問題に答えないで、前兆異常変化の地震予報上の意味だけに注目する考察は、こんがらかっている研究にすぎない。
この問題を解決するため、地震前兆の研究と地震予報の研究をきちんと区分する必要がある。異常変化は地震前兆であるかどうかをまず確定する。地震前兆の判断根拠を明確にし、そして信用できる地震前兆のケースを積み上げ、深く研究することである。このやり方を通じて地震予報の基盤が固まっていく。
地震予報研究の基礎は地震前兆研究であり、地震前兆研究の前提は正確な観測データである。観測レベルが低かったため、地震前兆研究が軽視されていた。低解像度、低サンプリングレート、補助観測なしなど観測設備の不完備によって、観測データの正確性は非常に限られていた。これらの観測データに対して深い研究がおこなわれていなかった。ここ数年、中国の地震前兆観測はデジタル化され、比較的に連続的、安定的な高精度、高サンプリングレートの観測データの入手が可能となってきた。観測技術の進歩によって、汶川地震の前兆異常変化データの抽出が実現できた。