第83号
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日中エネルギー・環境協力を哲学的に考える

2013年 8月21日

杉本 勝則

杉本 勝則(すぎもと かつのり):
桜美林大学北東アジア総合研究所客員特別研究員

略歴

1953年、大阪府生まれ。早稲田大学法学部卒業。在学中早大雄弁会に所属。
参議院事務局に入局。委員部主任、管理部管理課長、経済産業委員会調査室首席調査員、環境委員会調査室首席調査員、第一特別調査室長を経て、参議院法制局法制主幹を最後に退職。
現在、対外経済貿易大学亜洲共同体研究院(北京)客座教授、桜美林大学北東アジア総合研究所客員特別研究員

著書

  • 『フクシマ発未来行き特急―北東アジアエネルギー・環境共同体への道―』2013年7月
  • 『上海万博と日中関係の行方』2011年1月
  • 『大転換期の中国環境戦略』2010年7月(いずれも桜美林大学北東アジア総合研究所発行)

 ようやく改善の兆しが見えてきたが、この一年間、日中間では島の領有を巡る対立が続き、政府、ビジネス関係のみならず、民間の草の根交流においても中国側の出席が得られず中止に追い込まれた例も少なくない。

 長期に渡るこのような事態に対し、日中双方の外交、ビジネス、学者、民間交流関係者から異口同音に筆者の耳に聞こえてきたのは、人の住まないような孤島のために、なぜ、他の大きな犠牲を払ってまでして、日中両国は対立しなければならないのかという本音ともいうべき声の数々であった。これまで、日中共に関係者からこの様な率直な物言いは聞こえてこなかったので、長期に渡る日中関係の断絶は、逆説的に見れば、より多くの人々に皮膚感覚で日中間の結びつきの重要性を実感させる機会になったのかも知れない。

日中エネルギー協力において考えるべきこと

 ところで、この島の領有をめぐる対立は、島の近海に石油、天然ガスの存在が見込まれることから起こっているとされている。確かにエネルギー資源はそれを有するか否かによって国力が左右され、国民生活が豊かになれるかどうかのカギを握っているので国家としてはエネルギーの確保に血眼にならざるを得なくなる。そして、これまでエネルギーとはすなわち化石燃料のことであったので、各国はこの不公平に偏在する資源の確保を巡り外交努力を重ね、時には武力を用いてこれを得ようとしたのである。この歴史的な流れの中で今回の島の領有をめぐる問題を考えると、日中間で摩擦と緊張が生じたのも無理からぬことである。

 しかし、今は21世紀も10数年が過ぎ、そろそろ戦争の世紀と言われた20世紀を過去のものとしていかなければならない。また、エネルギーについてみても現代社会には化石燃料だけではなく、太陽光、太陽熱発電、風力発電等々、多種多様な自然エネルギーから電気エネルギーを得る技術が実用化され、しかもこの自然エネルギーの賦存量は我々が必要とするエネルギー量を遥かに超えている。このことからすると、自然エネルギーの開発を推し進めさえれば、何も化石燃料の確保を巡って争った20世紀のように島の領有をめぐって争うこともなくなるのである。

 この自然エネルギーの最も優れているところは、化石燃料のように地域的に偏ることなく地球上に等しく存在し、持てる国と持たざる国を差別することで争いの種を撒き散らさないところにある。また、砂漠地帯や強風地帯などのように、地下資源が無ければ何の利用価値もなく、これまで過酷な自然として人々を遠ざけてきた不毛の土地に風車や太陽光パネルを置くだけで、そこを豊かな自然エネルギーの宝庫に変えられるのである。手を加えなければ不毛の地に終わってしまうものを、エネルギーの供給者と需要者が一体となって開発に協力しさえすれば、無尽蔵のエネルギーを安価に供給でき、人々に豊かな生活を贈ることができるのである。

 このような観点から北東アジアを眺めてみると、極東ロシアには豊富な水力資源、風力資源が、モンゴルや中国の草原、砂漠地帯には豊富な風力と太陽光、太陽熱資源が存在する。これらを実用化レベルにまで達した超電導ケーブルで繋げば、日本、中国、韓国等々のエネルギー事情は大きく変わってくるのである。

 これが、アジア・スマートグリッド構想でソフトバンクの孫正義氏が事業に乗り出したことで近時大きな注目を集めているが、もし実現すれば人も住まないような孤島の領有をめぐって日中が争うことのメリットは何もなくなるのである。つまり、「後の世代は、我々よりずっと賢い」ことを鄧小平に示せるのである。

 これが実現できるかどうかは、技術的には可能なのであるから、あとは偏にその資金を調達できるかどうかにかかっている。ところが、いま、島の領有をめぐっての争いのために日中共に警察、防衛関係の予算が増えようとしている。この後ろ向きの予算を新しい時代に向けての前向きの予算に変え、日中エネルギー共同開発のための資金に振り向けられるかどうかが、今の我々の世代の選択にかかっているのである。鄧小平の予言を的中させることができるのは唯一我々自身なのである。

日中環境協力において考えるべきこと

 今、中国ではPM2.5をはじめとする大気汚染、水質、土壌汚染が大きな社会問題になり、政権の基盤をも揺るがしかねない問題になっている。中国の環境問題の特徴は、我が国では明治時代に発生した鉱毒問題から現代型の自動車による大気汚染に至るまで100年以上もかけて解決してきたありとあらゆる環境問題が、ここ十数年間で一気に噴き出しているところにある。小柳秀明氏の言葉を借りれば中国は「環境問題のデパート」なのである。この短期間に集中するありとあらゆる環境問題に対し、中国政府当局者も手を拱いていたわけではなく、色々と対策を取ってきたが思うような成果を上げていないというのが実情である。いったい、その原因は何処にあるのであろうか。

 筆者は、中国では河川の水質汚染は改善しつつあると聞いていたが、最近、汚染企業が汚染水を川に流すのは止めたが、工場内に井戸を掘り地下水脈に放出していたというニュースを目にした。当地では、井戸掘りビジネスが活況を呈しているともいう。今の日本では考えられないようなことが中国では行われていたのである。筆者はこの事例に中国での環境政策が効果を上げていない典型例を見る思いがする。すなわち、中国では伝統的に「上に政策あれば下に対策あり」と言われるように、中央からの命令に対して下々は面従腹背しながら如何にして自分たちの利益を守るのかに腐心するという文化がある。公害問題が彼ら汚染企業にとって後々に巨額な不利益をもたらすものであるとの認識が無ければ、彼らにとっては、お上が進める公害対策は上からの横暴な「政策」でしかなく、如何に「対策」をうまく取るかが彼らの最大の関心事になってくるのである。極端な話、罰金の方が安ければ罰金を払って汚染水を垂れ流しにすればよいのである。

 かつて公害先進国であった我が国では、高度成長期に目の前の利益を優先したがために後に健康被害者への巨額の賠償金支払いに苦しんだ事例がよく知られている。水俣病加害者のチッソがこれまで患者に支払った補償総額は、1,722億円(約108億元)で、その他に水俣湾公害防止対策事業として480億円の内、305億円(約19億元)を支払っている。しかも解決までに裁判を含め半世紀以上にわたる歳月と労力を要している。たった一つの企業が犯した汚染でさえこれほど多額のツケと労力を払はなければならないのである。中国での公害病の激しさはチッソの場合の比ではないが、中国国内でもこれほど公害問題が報道され、食の安全等に対する関心が急激に高まっているにもかかわらず、一向に汚染水の垂れ流しが収まらない所を見ると、中国では、人命の価値が低いことと相まって、汚染企業に公害の発生は企業の存立に重大な影響をもたらすものであるとの認識があまりにも低いのではないかと思えてくるのである。中国では、公害病の救済に奔走する弁護士や研究者の間では、水俣病でチッソが多額の賠償金を支払ったことはよく知られているが、一般国民や汚染企業にはほとんど知られていない。今は人命の価値が低い中国でも権利意識の芽生えと共に、また、親にとっては何ものにも代えがたい一人っ子の存在と相まって人命の価値も上がってくるであろう。

 かつて悲惨な公害病を体験し、その解決のために巨額の費用と時間を費やした我が国としては、環境汚染はその被害者に耐えがたい苦痛を与えるだけでなく、経済的にもワリに合わないものであったことをより多くの中国国民、企業に知ってもらうことが本当の環境協力ではないだろうか。環境機器を売り歩く以外にも、我が国が行わなければならない日中環境協力まだまだあるのである。