第93号
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中国の大気汚染は果たして「悪化の一途をたどってきた」のか?-データが示すPM2.5問題の背景と実態-(その1)

2014年 6月20日

堀井伸浩

堀井 伸浩(ほりい のぶひろ):
九州大学経済学研究院准教授

略歴

1994年3月 慶應義塾大学法学部政治学科卒業 1996年3月 慶應義塾大学法学研究科前期博士課程(修士課程)修了
1996年4月 アジア経済研究所研究員 2006年4月 日本貿易振興機構アジア経済研究所副主任研究員 2007年4月 九州大学経済学研究院准教授(現在に至る)

客員研究員等

1999年8月~2002年3月 中国 清華大学技術・経済エネルギーシステム分析研究院 客員研究員  1999年9月~12月、2000年7月~12月、2001年3月~6月、2003年9月~2004年3月 世界銀行短期コンサルタント  2002年6月~2002年8月 国際協力銀行エネルギー経済専門家  2006年5月~2007年3月 朝日新聞社アジアネットワーク(AAN)客員研究員  2007年7月~2009年1月 国際エネルギー機関(International Energy Agency)コンサルタント  2008年4月~2010年3月 東京大学社会科学研究所・客員准教授  2009年1月~2010年1月 総合資源エネルギー調査会臨時委員  2011年4月~2012年3月 東京大学社会科学研究所・非常勤講師

はじめに

 中国各地で煙霧(スモッグ)が頻発、ニュースや記事では視界がほとんどない都市の風景写真を掲げ、大気汚染が深刻な状況を伝えている。もちろん中国の大気がひどい汚染状況であることは否定しない。しかし、「中国は経済成長優先で環境は悪化を続けてきた」、「環境対策設備があっても稼働させていない」、「主な原因は石炭の燃焼」という多くの報道が主張している点は必ずしも事実ではない。本稿は、2000年代半ば以降、中国で環境対策が大きく進展してきた事実を指摘した上で、それにもかかわらず依然大気汚染が深刻であることをどう捉えるべきか議論する。更に煙霧の原因物質であるPM2.5への対応で、大気汚染対策が一層加速している現状も紹介する。実は2013年から2017年までに総額28兆円ものビッグビジネスが湧き起りつつあるのだ。進んだ環境技術を有する我が国にとって大いなるチャンスというべきであるが、残念ながら実際にこのチャンスをものにすることができるかどうかは甚だ心もとない。その原因は「中国=環境汚染大国」の図式でしかものを見ることができず、「環境市場大国としての中国」が見えていないせいだと考えている。

第11次五カ年計画における環境対策の進展-NOx以外は軒並み改善

 まずデータから近年の環境対策の進展を概観しておこう。第11次五カ年計画(2006年から2010年、以後11・5計画と記述)期間中において、主要な大気汚染物質である煤塵とSO2は2005年比でそれぞれ29.9%、14.3%も減少している。この期間も実質GDP成長率で年平均11.2%と高成長を遂げており、経済成長と環境保護の両立が中国でも可能であることを示している。省エネルギー[1]が19.1%も進んだことも大きいが、集塵機や排煙脱硫装置などの汚染除去装置が(特に発電所向けに)広く普及したことが成功の原因である。その結果、PM10[2]の濃度も低下し、2005年には2級基準を満たせたのは対象都市の51.9%に止まっていたが、2010年には85.0%にまで上昇した(なお2012年は更に改善し、88.0%の都市がPM10に関しては2級基準を達成している)。

 それではPM2.5はどうか。実はPM2.5が中国で環境基準の観測対象となったのは2012年以降であり、時系列の推移をみるために必要なデータは得られない(したがって「悪化を続けてきた」という報道にはそもそも科学的根拠はない)。参考にできるのはNASAの衛星観測データであるが、図1の通り、2001~2003年と2008~2010年の平均濃度を比較すると、実は北京を始め、長江以北の多くの省ではPM2.5の濃度はむしろ低下したという観測結果である。特に華北地域では5%以上の改善となっていることが注目される。この期間中、北方地域に多く立地する重工業の工場において煤塵やSO2対策が進んだ成果と言えるだろう。他方、南方の省、特に上海デルタや四川省近隣では概ね1%から5%の幅で悪化したが、これらの地域では工場における汚染対策による削減分を、新たな排出源からの(後述するが、主に自動車の)排出量の増加が上回ったということだと考えられる。

 煙霧が注目されるようになったのは図1が示す期間から更に2~4年を経た2012年以降であるが、その間PM2.5の排出状況が急激に悪化したとも考えられない。したがって煙霧が発生しやすい気象条件がここ数年重なったこと(汚染排出量は減少しても風が吹かず滞留時間が長くなると煙霧の発生可能性は高まる)、それ以上に煙霧は実際には昔から発生していたものの過去には問題視されていなかったが[3]、近年人々の認識が変わったことが近年の騒動の背景と考えられる[4]

図1 人工衛星データによるPM2.5濃度の変化(2001~2003年→2008~2010年)

図1

(出所)Zell Erica, Stephanie Weber, Alex de Sherbinin, "Bottom Up or Top Down? Another Way to Look at an Air Quality Problem", state of the planet: Blogs from the Earth Institute, Columbia University, 2012.

 とは言え、PM10濃度は大幅に改善する中(多くの都市で2級基準が満たされるようになったということは30%程度の改善を意味する)、PM2.5濃度は北方で若干の改善に止まり、南方ではかえって悪化しているという一見矛盾した結果をどのように理解すれば良いのか。それはPM10とPM2.5では原因物質が異なるという点から説明できる。最新の分析は得られず若干古いデータであるが、2006年北京のPM2.5発生源を推定した北京大学推計によれば、石炭燃焼に伴う煤塵は19%に過ぎず、SO2からの二次粒子が17%、NOxからの二次粒子が14%、残りはバイオマス燃焼(野焼きや作物がら燃料等)が11%、道路の砂ぼこり9%、自動車の煤塵6%、工業用有機溶剤(VOC)6%、その他18%と分析されている。二次粒子が謎を解くカギだ。二次粒子とは大気中にあるSO2、NOx、VOC等のガス状大気汚染物質が化学反応により粒子化したものである。

 PM10は当然PM2.5を含むが、粒子の大きい煤塵などの構成比が高い。既に述べた通り、特に石炭燃焼に伴う煤塵は近年大幅に減少しており、またSO2由来の二次粒子は11・5計画期に産業部門で対策が進んだことで減少に向かっていると考えられる[5]。問題はもうひとつの主要大気汚染物質NOxであり、実はNOxは表1の通り、2006年と2010年を比較すると21.6%も大幅に増加している。

表1 NOxの排出量推移(2006~2012年)と排出源構成(2011年)

表1

(注)2011年以降は民生部門から自動車による排出量が分離計上されるようになったとともに統計範囲の変更などもあり、過去のデータとは連続性が断絶している可能性がある。
(出所)「環境統計年報2011年」および「中国環境状況公報」各年版を基に作成

その2へつづく)


[1] GDP原単位、すなわち1万元のGDPを産出するのに消費するエネルギーが2005年比で19.1%少なくて済むようになったことを指し、エネルギー消費の絶対量は増加している。

[2] 大気中に浮遊する微粒子のうち,粒子径がおおむね10マイクロミリ以下のものを指す。従来はこのPM10を環境基準に採用する国が多く、中国も2012年になるまでPM10が環境基準対象であった。他方、PM2.5は同2.5マイクロミリ以下、髪の毛の太さ30分の1程度の物質であり、PM10よりも人体に深く吸引され、健康被害が大きいとして1997年に米国が環境基準として採用して以来、次第に世界各国でも採用が進みつつある(但し、日本では2009年にようやく採用)。

[3] 「中国環境状況公報2013年」には、2013年は「煙霧の発生日数が全国平均で35.9日となり、1961年以来最多となった」との記述があるが、時系列に比較可能な統計であるのかどうか吟味する必要がある。

[4] きっかけは在北京アメリカ大使館が館内のPM2.5観測値を2011年11月からツイッターで発信し始めたことである。北京市環境保護局が発表する汚染状況はPM10に基づくものであり、また汚染水準の評価に中米で差異があったため、あたかも北京市環境保護局が情報隠しを行っているかのように受け止められたが、それは誤解である。詳しくは拙稿「第12次5カ年規画とPM2.5問題で加速する中国の大気汚染対策-日本企業にとってのビジネスチャンス-」(真家陽一編著『中国改革の深化と日本企業の事業展開』、第5章)日本貿易振興機構、2014年6月を参照。

[5] 但し、産業部門からのSO2については排出削減が進んだものの、中国ではガソリン・軽油の脱硫が不十分であり、自動車の増加による燃料消費の急増の結果、車両からのSO2排出は増加していると推測される。