第109号
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熱帯地方に蔓延する寄生虫病の特効薬を発明してノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士(上)

2015年10月14日

馬場錬成

馬場錬成:
科学ジャーナリスト、中国総合研究交流センター上席フェロー

略歴

1940年 東京都生まれ。東京理科大学理学部卒業後、読売新聞社入社、編集局社会部、科学部、解説部を経て論説委員(科学技術政策、産業技術、知的財産権、研究・開発間題などを担当)2 000年11月読売新聞社退職、読売新聞社社友。
現在、特定非営利活動法人・21世紀構想研究会・理事長、科学技術振興機構(JST)中国総合研究交流センター・上席フェロー 、文部科学省・学 佼給食における衛生管理に関する調査研究協力者会議委員など。

主な著書

「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社)、「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社)、「ノーベル賞の100年」(中公新書)、「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)、「 スイカ」の原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡(日本評論社)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞社、荒井寿光と共著)など。

日本中を沸かせた大村博士のノーベル生理学・医学賞の受賞

 2015年のノーベル生理学・医学賞は、アフリカ、南米などの熱帯地方に蔓延している河川盲目症(オンコセルカ症)の特効薬を発明した業績で北里大学特別栄誉教授の大村智博士、アメリカのウイリアム・キ ャンベル博士、マラリアの特効薬を発明した中国科学院の屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)博士の3人に授与されることになった。

 大村博士は、地中に生息する微生物が産生する有用な化学物質を発見し、アメリカの製薬企業のメルク社と共同で特効薬を開発したもので、共同受賞したキャンベル博士は、元 メルク社のスクリーニング部部長だった。

写真1

生理学・医学賞を受賞した
大村智博士

 大村博士は、授賞理由となったオンコセルカ症(河川盲目症)の絶滅に貢献する薬剤を開発した業績だけでなく、多くの優れた天然化学物質を発見して化学や医学の基礎研究に貢献している。こ れまで発見した微生物が産生する有用な化学物質は約500、そのうち26種類が医薬、動物薬、研究用試薬などで実用化されている。

 また大村研究室がメルク社をはじめ、内外の企業と共同研究で得られた特許ロイヤリティの収益は、総額250億円にのぼる。そのほとんどは北里研究所、北里大学の研究資金や病院建設に使われたが、産 学連携活動でこれだけ巨額の研究費リターンを得られたのは日本でも例がない。

 3回にわたって大村博士の研究業績などを紹介する。

産学連携の言葉もなかった時代から始める

 大学・研究機関の研究室で生まれた学術的な研究成果を産業現場移転し、実用化に貢献する。これが産学連携である。 1990年代から本格的に始まったIT(情報科学)産業革命によって、大 学で基礎研究の成果として出たものがすぐに実用化されるような時代になってきた。

 近年のノーベル賞受賞業績は、実用化になってから1兆円市場を作るような基礎研究の成果を出さないと受賞できないというのが筆者の見解である。ノ ーベル賞は原理原則の基礎研究の成果に授与するものであるが、近年は実用化での成果が重視されるようになってきた。

 大村博士の研究は、土壌中に生息する微生物がつくる化学物質の中から、役に立つものを探し出す研究だ。

 微生物の作った化学物質を役立てることを歴史的に最初にやった人は、イギリスのアレクサンダー・フレミングであった。アオカビが他の微生物との生存競争 に打ち勝って生き延びるために産生していた化学物質を人間に役立てたのである。これが最初の抗生物質であるペニシリンである。

 つまりアオカビは、ペニシリンを作り出して他の微生物を殺し、自身が生き延びることをやっていた。人間はこれを、病原細菌を殺して生き延びることに応用した。フ レミングはこの業績で1945年にノーベル賞を受賞している。

 大村博士は、国内各地の土壌を採取しては研究室に持ち込み、スクリーニング(選別・検索)にかけてまず微生物の性質を解明し、次 いで微生物が産生している化学物質のスクリーニングをして人間に役立つ物質を発見することを始めた。

 大村博士は米国に客員教授として招聘されているときに製薬企業のメルク社と連携することを取り付け、帰国後に本格的にこれを推進した。

「大村方式」という産学連携の契約を交わす

 大村博士の研究室で微生物由来の化学物質を発見して特許を取得し、メルク社がそれを製剤などにして実用化をはかり、特許ロイヤリティを大村博士に支払う。これを大村博士は1973年、日 本では産学連携という言葉もなかった時代から始めたものであった。

 大村博士がメルク社との産学連携で交わした契約は「大村方式」と呼ばれるものであり、いまでは普通のやり方になっているが当時は珍しかった。大村-メルク社で交わされた契約の大略は次のようなものである。< /p>

 北里研究所とメルク社は、動物に適合する抗生物質、酵素阻害剤、および汎用の抗生物質の研究・開発で協力関係を結ぶ。

*  北里研究所のスクリーニングおよび化学物質の研究に対しメルク社は年間8万ドルを向こう3年間支払う。

*  研究成果として出てきた特許案件は、メルク社が排他的に権利を保持し二次的な特許権利についても保持する。

*  ただし、メルク社が特許を必要としなくなり北里研究所が必要とする場合は、メルク社はその権利を放棄する。

*  特許による製品販売が実現した場合は、正味の売上高に対し世界の一般的な特許ロイヤリティ・レートでメルク社は北里研究所にロイヤリティを支払う。

 家畜動物などに適用する抗生物質の開発に絞ったのは、すでに人間用の微生物由来の化学物質は世界中で研究しているので、競争するのは大変である。む しろあまりやられていない動物に役立てる化学物質を発見しようという戦略になった。

 家畜動物の病気を救ったり予防になる物質を実用化できれば、飼料代だけでも莫大な節約に結びつく。しかも動物に効くことが分かれば、そ れだけで動物実験になっているので人間に応用できる道が開けるのではないか。

 大村博士の思惑は見事に当たって、動物製剤では世界的なヒット商品を生み、しかも人間への応用も実現して人類の福祉に多大の貢献をすることになる。

 メルク社が大村博士に支払う研究費は年額8万ドル(当時は2400万円に相当)という当時としては破格の研究費供与だった。これは大村博士が招聘されたアメリカの名門大学、ウ ェスレーヤン大学のティシュラー教授がメルク社の元研究所長を務めた縁があったからであり、大村博士はティシュラー教授にその手腕を高く評価されたために実現した破格の条件でもあった。

 大村博士はいつもビニールの小さい袋を持参し、土壌を採取しては研究室で分析していた。1975年、大村博士は静岡県伊東市川奈のゴルフ場近くで採取した土壌の中から、新 種の放線菌を発見してメルク社に送った。

図1

オンコセルカ症(河川盲目症)を引き起こす線虫。
これが網膜の中に入り込み、白内障や角膜炎を起こして盲目にさせる

 メルク社は、多様な化学物質を産生していることから動物の寄生虫に効くのではないかとにらんで 実験を続けると、果たせるかな家畜動物の寄生虫の退治に劇的な効果を発揮することが分かる。

 この化学物質はエバーメクチンと名付けられ、その後、実験を重ねる過程で化学的に改良されてイベルメクチンという名前になる。ここでもイベルメクチンという名前で続けていきたい。

 牛のお腹の中には、5万匹もの寄生虫が生息しているが、この寄生虫が牛の栄養分を相当に消費している。これを退治すれば飼料代が節約できるし、牛の 健康状態も良くなるので家畜の量産につながる。メ ルク社の実験によると、少量のイベルメクチンをたった1回飲ませるだけで寄生虫はすべて排除するという劇的な効き目があることを実証した。

写真2

ダニに食われて見る影もなく衰弱した牛も、イベルメクチンを1回投与するだけで
左のように完璧に退治することができた

 これはすぐに動物薬として発売し、たちまち動物薬の売上トップに躍り出てしかも20年以上も首位の座を守ることになる。

 大村博士とメルク社で取り交わした産学連携の契約では、実用化で開発した薬剤の売上高に応じて特許ロイヤリティを北里研究所に支払う内容になっている。こ の契約に沿って北里研究所は1990年ごろから毎年15億円前後のロイヤリティ収入が入るようになる。

 北里研究所は当時、経営が非常に大変な時期だったが、特許ロイヤリティの収益でたちまち建て直し、さらに埼玉県北本市に病院建設まで実現してしまう。

 それだけにとどまらず、動物に効くイベルメクチンは、やがて人間にも効くことが発見される。対象となった疾病は、アフリカや南米の赤道地帯の熱帯地方で 蔓延しているオンコセルカ症(河川盲目症)と いう盲目になる恐ろしい病気の予防薬として劇的な効果が発見されるのである。

写真3

イベルメクチンの分子模型を前に説明する大村先生

(つづく)

書籍紹介

書籍イメージ

書籍名: 『大村智 2億人を病魔から守った化学者』
著 者: 馬場 錬成
出版社: 中央公論新社
ISBN: 978-4-12-004326-0
定 価: 2,100円+税
頁 数: 296
判 型: 四六判
発行日: 2012年2月