第109号
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熱帯地方に蔓延する寄生虫病の特効薬を発明してノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智博士(中)

2015年10月28日

馬場錬成

馬場錬成:科学ジャーナリスト、
中国総合研究交流センター上席フェロー

略歴

1940年 東京都生まれ。東京理科大学理学部卒業後、読売新聞社入社、編集局社会部、科学部、解説部を経て論説委員(科学技術政策、産業技術、知的財産権、研究・開発間題などを担当)2 000年11月読売新聞社退職、読売新聞社社友。
現在、特定非営利活動法人・21世紀構想研究会・理事長、科学技術振興機構(JST)中国総合研究交流センター・上席フェロー 、文部科学省・学 佼給食における衛生管理に関する調査研究協力者会議委員など。

主な著書

「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社)、「大丈夫か 日本の特許戦略」(プレジデント社)、「ノーベル賞の100年」(中公新書)、「大村智 2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)、「 スイカ」の原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡(日本評論社)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞社、荒井寿光と共著)など。

動物からヒトの治療薬に発展

 少量のイベルメクチンを動物に少量1回だけ飲ませるか皮下注射をするだけで、寄生虫退治に劇的な効き目を見せる。家畜動物に効くなら、人間の疾病に使ってみようと思いたったのはごく自然の成り行きだった。< /p>

 人間に使う場合は、毒性検査などを慎重に積み上げ、安全性を確認する必要がある。メルク社は、多くの実験を展開し、世界中で発症している線虫、寄生虫などを原因とする様々な疾病に効く薬として開発した。< /p>

タイ、ベトナム、インドネシアの辺りから東南アジアを中心に糞線虫症という風土病が流行している。糞線虫は、長さ2ミリほどの糸くずのような虫で、小腸上部の粘膜に寄生している。日本では奄美・沖 縄などの南西諸島が主な流行地になっていた。

 感染は土壌中にいる幼虫が皮膚や爪の間から入りこんで発症するとされており、感染した患者は、ほとんどが何十年も前に感染したと考えられている。それまでこの病気に効く薬がなく、多 くの人々を悩ませていた。

 糞線虫は人体の中で成虫になると腸の中に卵を産みつける。卵は孵化して幼虫になり、それが血液やリンパ液の中に混じって肺や腸管へと移動して成虫となりまた卵を産んで世代をつないでいく。こ のようなことを繰り返して何十年も持続感染をしているという。

 免疫力が低下すると、重い症状に移行して死亡することもある。罹患者は、世界で約4000万人いるといわれていた。ところがイベルメクチンが治療薬として使われた後は、沖縄県と九州地方での感染者は、ほ とんど見られなくなった。

 ヒゼンダニに感染すると皮膚に強いかゆみが生じる疥癬という皮膚病も治療の特効薬がなかった。老人施設などで疥癬症が持ち込まれると、入所者だけでなく看護師、介護士など職員、ス タッフにも感染を広げていた。イベルメクチンはこの皮膚病にもよく効くことが分かり、2006年8月が保険適応となってこの問題も解決した。

オンコセルカ症(河川盲目症)の特効薬となる

 患者数が多く悲惨な病状になるとして恐れられていたオンコセルカ症にも劇的に効くことが分かり、イベルメクチンは世界中で知られるようになった。オンコセルカ症は、フ ィラリア線虫の回旋糸状虫による感染症であり、アフリカ、中南米など熱帯地方に蔓延している。感染させるのはハエより小さいブユである。

 ブユの成虫はハエの4分の1ほどの小さな虫で、カやアブと同じようにメスだけが吸血する。カと違うのは吸血するときに皮膚を噛み切るので多少の痛みを感じることが多いことだ。

 アフリカの赤道直下の河川流域には、ブユが生息している場所が至るところにあり、ブユに刺されて感染するとメスがミクロフィラリアを産み、これが皮膚や眼の中に侵入してきて失明する。失 明のワースト1はトラコーマでありオンコセルカ症はそれについでいる。雌の成虫は、皮下に出来た小結節の中で最高15年も生き続けるという。

 毎年、約1800万人が感染しており,そのうち約27万人が失明し、50万人が視覚障害を持つようになる。オンコセルカ症はアフリカの熱帯地域およびサハラ以南において最もよくみられる。

 イベルメクチンは、6ミリグラムのタブレットで、1年に1回飲むだけで虫を駆除できる。メルク社は商品名を「メクチザン」として世界中に売り出した。

 イベルメクチンの投与を行ったWHO(世界保健機関)は、その効き目に驚いただけでなく、投与の仕方が非常に簡単であることにも驚いた。錠剤を渡して水で飲んでもらうだけだ。メ ルク社とこの化学物質の元の物質を発見した大村博士は、イベルメクチンを無償で提供することを決め、WHOなどが感染地帯で大掛かりな配布を行った。

アフリカの現地を視察した大村博士

 2004年9月、大村博士とWHOの関係者、ガーナ共和国政府関係者らが数台の車に分乗し、首都からガーナの第2の都市クマシイから北へ100キロにある集落アズベンデに行った。

 この地域は、オンコセルカ症(河川盲目症)の感染地帯として恐れられていた地域で、盲目になった人やリンパ節が腫れ上がり、太い樹木のような脚になった人も多い。

写真1

リンパ系フィラリア症になった足。向かって左。
虫によってリンパ液が還流しなくなり浮腫を起こして太くなってしまう。

 アズベンデは、赤土と緑の木々に囲まれた集落であった。気が付くと子どもたちの杖で導かれる盲人たちの姿が、あちこちに見える。集落の人々に助けられながら、盲 人たちが静かに生活している様子が伝わってきた。

 人口500人ほどのこの集落の子どもたちの10人に1人は、家に盲人がいるという。失明は徐々に進むので働き手の多くの人々は、眼が不自由になっている。

 リンパ系に入り込んだミクロフィラリアがリンパ管やリンパ節に寄生して障害を起こし、身体末梢部にリンパ液が滞留して結合組織が増殖し、太い樹木のように浮腫を起こした人も見える。

 しかし、予防薬としてイベルメクチンを服用すればこのような悲劇はなくなる。オンコセルカ症とは無縁になった子どもたちだけは、元気な姿を体いっぱいあらわしている。

 大村博士は、集落の教室へ案内されて入って行った。黒板は墨を塗った粗末な板で作られている。案内役の人が大村博士を日本から来た先生だと言っているようだが、どの顔もきょとんとしている。

 大村博士は黒板の前に立つと、簡単な英語を使いながら子どもたちに話しかけてみた。JAPANと言ってもTOKYOと言っても誰も知らない。そ こで好奇心をいっぱいにした子どもたちの眼を見ながら問いかけてみた。

写真2

子どもたちに話しかける大村博士

写真3

子どもたちに取り囲まれる大村博士

「メクチザン、知っていますか?」

 とたんに怒涛のような叫びがあがった。メクチザンとはイベルメクチンの製品名である。すかさず通訳が「この先生はメクチザンを作った先生です」と紹介する。

 またもひときわ高く叫びがあがった。「メクチザン、メクチザン」と子どもたちは口々にはやし立てている。案内役がカメラを持ってきて構えると、子どもたちが大村博士をわっと取り囲んだ。大 村博士がVサインを見せると、子どもたちも大声で笑いながらVサインをかかげる。健康に輝く若い渦の中で大村博士は、この地に光を当てたことを初めて実感していた。

(つづく)

書籍紹介

書籍イメージ

書籍名: 『大村智 2億人を病魔から守った化学者』
著 者: 馬場 錬成
出版社: 中央公論新社
ISBN: 978-4-12-004326-0
定 価: 2,100円+税
頁 数: 296
判 型: 四六判
発行日: 2012年2月