第129号
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ノーベル賞と日本人(2) 21世紀になって受賞者が急増した秘密を探る

2017年 6月 9日

馬場錬成

馬場錬成:特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、科学ジャーナリスト

略歴

東京理科大学理学部卒。読売新聞社入社。1994年から論説委員。2000年11月退社。東京理科大学知財専門職大学院教授、内閣府総合科学技術会議、文部科学省、経済産業省、農水省などの各種専門委員、国 立研究開発法人・科学技術振興機構(JST)・中国総合研究交流センター長、文部科学省・小学生用食育学習教材作成委員、JST中国総合研究交流センター(CRCC)上席フェローなどを歴任。
現在、特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、全国学校給食甲子園大会実行委員長として学校給食と食育の普及活動に取り組んでいる。
著書に、「大丈夫か 日本のもの作り」(プレジデント社)、「大丈夫か 日本の特許戦略」(同)、「大丈夫か 日本の産業競争力」(同)「知的財産権入門」(法学書院)、「中国ニセモノ商品」( 中公新書ラクレ)、「ノーベル賞の100年」(中公新書)、「物理学校」(同)、「変貌する中国知財現場」(日刊工業新聞社)、「大村智2億人を病魔から守った化学者」(中央公論新社)、「『スイカ』の 原理を創った男 特許をめぐる松下昭の闘いの軌跡」(日本評論社)、「知財立国が危ない」(日本経済新聞出版社)、「大村智物語」(中央公論新社)ほか多数。

ノーベル賞受賞までの時間が短縮

 ノーベル賞は画期的な成果を出さなければ受賞できない。授与した後に間違いだったということになれば権威が失墜するので、画期的な成果であればあるほど、選考委員会は念には念を入れて調べる。しかし戦前には、間違った受賞業績があった。これについては、後でこのシリーズでも紹介する。

 受賞した業績がずいぶん前のものであり、高齢になってから受賞するケースも多いが、それは業績が確定するまで時間がかかったからである。ノーベル賞選考委員会の委員にインタビューしたことがあるが、「間違いが許されないというプレッシャーを常に感じている」と語っていた。

 業績確定まで時間がかかるケースが多い一方で、21世紀になってからその時間が極端に短縮される受賞例が出てきた。コンピューター化によってあらゆる研究手法が進歩したからだ。研究成果を発表する場も、かつては学術機関の印刷物だけだったが、いまはインターネットで発表し、時間差も地域差もなくあっという間に世界中で共有される。

 その典型的な受賞が、2012年に医学賞を受賞した京都大学教授である山中伸弥である。

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山中伸弥教授(出典:京都大学iPS細胞研究所)

再生医療の切り札になるか

 山中があげた画期的な業績は、どのような組織・器官にも分化・再生できる細胞を人工的に作成した業績である。山中はこれをiPS細胞と名付けた。このような細胞は、受精卵がそうである。受精卵は、母親の胎内でほぼ10か月かけて一人の人間を形成してしまう。

 たった1個の細胞が2個、4個、8個・・・・と分裂しながら人間の各組織や器官を形成していく。その設計図となるのが遺伝子(DNA)である。たとえば心臓も肝臓も皮膚も歯も肋骨も生殖器官もすべて遺伝子にある情報をもとにして形成される。

 もし、肝臓が悪くなったり肋骨を折ってしまい、これまでの治療では限界があるとき、それを丸ごと再生してしまえば完治する。これが再生医療である。その器官や組織を作る遺伝子だけを働かせれば再生できる。その夢のような治療が、iPS細胞の発明によって実現できる可能性が出てきた。

 これまで、このような遺伝子は人間の遺伝子そのものを使わないとできなかった。しかしこれには倫理問題がある。科学の進歩によって個人の尊厳がないがしろにされることがあってはならない。しかしiPS細胞は、人工的に同じ能力を持つ遺伝子をもっている細胞を作るので倫理上の問題は生じない。

 iPS細胞を使えば、あらゆる器官を再生でき、それを使って入れ替えれば多くの病気が完治してしまう。そのような夢の治療法へ道を開く発明だった。山中はこの画期的な業績を発表して世界中に衝撃を与えた。その発表からわずか6年後にノーベル賞である。これまた世界中に衝撃を与えた。

 山中が受賞できたのは、世界中で追試した結果、間違いないことが実証されたからである。再生医療に道を開く業績であり、普及することが人類の福祉に貢献するという判断もノーベル賞選考委員会で審議されただろう。

 このようにノーベル賞受賞業績を発表してから授与するまでの時間が短縮されてきたのは、21世紀に入ってからの特徴でもある。たとえば、2006年の医学賞は、米スタンフォード大教授のアンドルー・ファイアーと米マサチューセッツ大教授のクレイグ・メローであった。

 受賞理由は「RNAの干渉の研究」であり、最初の論文発表から8年後に受賞して世界を驚かせた。しかし山中は発表から6年後に受賞してこの記録を更新した。

 物理学賞も近年は業績発表からすぐに受賞するケースがある。2010年に炭素1個分の薄さを実現したグラフェンの発明で物理学賞を受賞したのは、ロシア生まれでマンチェスター大学の物理学教授のアンドレイ・ガイム、同コンスタンチン・ノボセロフである。この業績では、発明から6年後にノーベル賞を受賞している。

 物理学賞の場合は、実験して確認できれば業績を確定できるので時間がかからない。このように早くなってきたのも21世紀のノーベル賞の特徴である。

研究現場を渡り歩いてレベルアップする

 ノーベル賞受賞者のほとんどは、3つ4つの研究機関を渡り歩きながら自身の研究レベルをアップさせていく。特に外国へ留学したり、ポストドクトラル(ポスドク)研究員になってレベルアップをはかるケースが多い。

 iPS細胞を発明して受賞した山中は、神戸大学医学部を卒業後、大阪市立大学で博士号を取得、その後アメリカのカリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学。帰国後、大阪市立大学の助手を経て奈良先端科学技術大学院大学助教授となった。その後同大教授を経て京大再生医科学研究所の教授になった。

 異動しながら自身の研究ステイタスを高めていった流れは米国の研究者とよく似ている。日本の旧式な研究風土は、旧帝大を卒業後定年まで動かないのが普通であり、それがむしろ日本の中では一定の評価を受けていた。

 ただし外国へ留学してノーベル賞業績をあげるというのは、戦前にノーベル賞受賞候補者になった日本人研究者もそうだった。そのころ日本は途上国であり、日本で業績をあげるには全体のレベルが低かった。そこで外国へ出て才能を伸ばしていったのである。

 個人の能力と学術環境がうまくマッチしないとノーベル賞には届かないということだ。

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ノーベル賞受賞を記念して撮影。左から中村道治・科学技術振興機構理事長(当時)、山中所長、松本紘京都大学総長(当時)(出典:科学技術振興機構HP理事長談話「山中伸弥博士のノーベル医学・生理学賞受賞をお祝いして」平成24年10月10日)